65話 農閑期の終わりに
実を言えばダンケルハイトはヴァイスと会話らしい会話をほぼしない。
なぜならばダンケルハイトは闇の竜王の部下であり、それを誇りにしている。
闇の竜王以外には仕えない――これを信念にすえることで、無職を貫いた誇り高きろくでなしなのだった。
だが、この集落に来て、ヴァイスから指示をあおぐことが増えた。
それはもちろん闇の竜王の指示によりヴァイスに従っているだけにすぎないのだが、それでもヴァイスに従っていることに変わりはない。
そこがどうにも許せず、自分の心と折り合いをつけるために『闇の竜王様の命令だから仕方なく言うことを聞いてやってるだけで、お前のことなんか全然認めてないんだからね!』というムーブをしているのであった。
そんなくだらないプライドを抱いたダンケルハイトが、ついにヴァイスの家に来たのは、他に屋根のある建物が食料用倉庫と青牛の家しかなかったためである。
その二つはどちらも闇の竜王じきじきに侵入を禁じられている場所だ。
なので、屋根を求めるならば、あとはヴァイスの家ぐらいしか心当たりがないのであった。
さて、いきなり「今日はお前の家で泊まるから」と述べたダンケルハイトに対し、ヴァイスはちょっとびっくりしながらも、「いいですよ」と応じた。
その時にダンケルハイトは『いきなり言われて嫌がるヴァイスの家に無理やり押しかける』という動きを考えていたので、困った。
困りすぎて、こんなことを言った。
「いいのか? あたしがその気になれば、お前の家にいる全員を一瞬で皆殺しにすることもできるんだぜ」
「え? するんですか?」
「いや、しないけど……」
はい。
というわけで厄介になったヴァイスの家は、畑からちょっと離れたところにある高床式の家であった。
石材加工もそれなりに進んでいるのだが、彼女の家は構造上、木造建築だ。
ただし前までは『樹上に引っかかっている』という様子だったその家は、わずかに石を使われて補強されたやぐらの上にあり、さらにはその面積も格段に広くなっている。
丈夫な縄梯子をのぼって家に入れば、なんということでしょう、内部は一本の廊下の左右に合計四つの部屋が存在し、そのうち一つがヴァイスとムートの部屋なのだった。
ちなみにニヒツとクラールの部屋もあるが、ニヒツはヴァイスとムートの部屋にいることが多い。
今もいて、ベッドが二つ並んだ、本棚まであるその空間では、ムートとニヒツが仲良く遊んでいた。
「よし、あたしは一番でっかいベッドを使うからな」
「あ、どうぞ。私のベッドでよければ」
「……いや、冗談だよ。床でいいよ」
反抗的なムーブをするのだが、ヴァイスが全部受け入れるので、いちいちあとから自分で撤回しなければならないという事態に陥ってしまう。
意識の高さに目覚めたダークエルフたちとはまた違った意味で扱いにくいヴァイスとの生活は、しかし、二日も経つころには慣れた。
というかダンケルハイトがツンツンすることの無意味さを悟り、普通にヴァイスと接するようにした結果、スムーズに意思疎通ができるようになったのだ。
酒が備蓄さえされていないのは不満と言えば不満だったが、最近は酒量も減ってきているし、ここにもどうせ五日ぐらいしかいないだろうなあという予感があったので、さほど苦にはならなかった。
この家においてダンケルハイトはやはり家事をしなかった。
しかし仕事はあって、それは、年少組と遊ぶことだった。
というか暇そうにしているとムートが寄ってくるのだ。
これを手招きして持ち上げたり下ろしたりくすぐったり転がしたりしていると、他の子供も寄ってくる。
ニヒツとはムートを取り合うふりをしてやると盛り上がるし、クラールはちょっと離れたところでこちらをうかがっていることが多いので、こちらから寄っていって遊びの輪にまぜてやる。
そんなことをしているうちに、年少組と遊ぶのがいつしか日常の一部に組み入れられた。
また、年少組は他の大人が働いている最中、集落周辺をうろちょろしていることが多い。
これには実のところ竜骨兵がこっそり同伴して護衛しているのだけれど、ダンケルハイトも定まった仕事がないも同然なため、三人組の冒険についていくことが定職のようになっていった。
酒造については――うまくいかない。
というか、飽きてしまった。
やっぱり酒は作るより買って飲む方がよかった。というか、スローライフは毎日忙しいくせに同じことしかしないし、試行錯誤をしても結果が出るまでに最低でも半年かかったりするし、ダンケルハイトにはまったく向いていない。
冒険から戻って夕食をとって、またヴァイスの家に戻る。
年少組を風呂に沈めて家に戻り、寝かしつけると、ヴァイスに話しかけられる。
「子供の世話がお上手ですよね」
「ああ……まあ、慣れてんだろうな」
「私なんかは、ニヒツちゃんとクラールくんが仲のあまりよろしくないのに、困ってしまうばかりで……」
「マジで仲が悪いんなら、他に遊び相手がいなくたって一緒にいたりしねーよ。なんせ『仲良くしなさい』って強制するやつもいねーんだ。……救護院わかるか?」
「身寄りのない子供を世話するところですよね?」
「ああ。あそこなんかは宗教と神様で子供に悪ささせねーように教育するんだぜ。常に戒律っていうルールがあってな……なんつーか、雰囲気が重苦しい。てめぇらの神様は、そんな戒律なんか気にしねーだろうにな」
「そうなんですか?」
「その『神様』って水の竜王だよ」
「……ああ」
それ以上コメントはなかった。
かの竜王はヒトにルールを設けるのは好きだが、自分はルールの外側にいるとナチュラルに信じているので、己が縛られることだけはないのがわかる。
「……とにかくさ、この集落にはそんな堅苦しいルールはない。にもかかわらず三人いっしょってのは、まあ、仲悪くはないんだろうよ」
「なるほど」
「だいたいなあ、仲良くなるために変わっていくもんだよ。たぶんムートを中心に三人とも調整していってるっつーか」
「調整?」
「そういうのがあるんだよ。仲良くないと仲間はずれになるからな。仲良くなることが正しいって思って、その正しさに合わせて自分を変えていくみたいなの……まあ、これは、なんだ、この五倍ぐらいの人数と過ごしてたあたしの経験則だけどさ」
「ダークエルフのみなさん……仲良しですよね」
「……けっこう、無理させてたのが最近わかった」
「そうなんですか?」
ヴァイスは小首をかしげた。
その青みがかった瞳を見て、ダンケルハイトはなんとなく、彼女が闇の竜王に気に入られた理由を察する。
彼女は真っ白だ。
それは毛や肌の色だけではなく、心までもが真っ白で、自然に、いろいろなことを吸収しようとしている。
……闇の竜王はヒトの成長や進歩を好む。
それぐらいはダンケルハイトでもわかっている。それを続けられたらどんなに、かの竜王への恩返しになるだろうと思う。
でも、できないのだ。
ヒトにはあらゆる限界がある。
能力にも限界はあるし、情熱にも限界がある。
ダンケルハイトは自分の中に情熱みたいなものがあまりないのをわかっていた。
とにかく面倒で、なにもかもで『がんばろう』という気が起きない。
だから、なにもかもに興味を持ちやすいヴァイスを見て、
「……お前のそれ、すごいよなあ」
「はい?」
「いや。まあ、なんだ。がんばれよ。あたしは、がんばらないけどさ。なにかあったら言えよ。どうせお前は一人なんだから、なにもかもはできないんだしさ」
「ええっと……」
「そういやさあ、お前が集落を出ていくって話だけど」
「……なんで知ってるんですか?」
「いや、知らないのムートたちぐらいだろ……っていうか、ムートたちも知ってるだろ。なんせお前、闇の竜王様に相談したじゃん」
「ああ……」
かの存在は――声がでかい。
ヴァイスは困ったように笑って、
「でも、近くにヒトが来たっていうことで、どうするか考えなきゃいけなくって、ちょっと後回しになっちゃってます」
「あのさあ、一つ、アドバイスしてやるよ」
「はあ」
「闇の竜王様はな、ヒトが悩んだり、考えたり、決断したり、成長したり、そういうのが大好きだ。だから、めちゃめちゃ課題をよこすし、こっちの苦しみを興味津々に見てる」
「苦しみって……」
「言い方は色々あるんだろうけど、あたしはバカだからわからん。……でまあ、とにかくそういう感じなんだけど、かの存在は、ヒトの弱さをよく知らないんだよ。キャパシティっていうの? ヒトは一つの問題について悩むとき、同時に他の問題について考えられないし、へたすると忘れるっていうのが、わからないんだ」
「……」
「飽きっぽいって自称してるし、それは事実でもあるんだろうけど、かの竜王は己が出した課題についてヒトが必ず答えないのもわかってるから、『飽きた』ってことにしておくしかないっていう感じなんだよな。だから……」
「……」
「あーまー、なんだ。そのー……できないことは、できないって言ってやらないと、竜王様にはわからない」
「……でも、いいんでしょうか?」
「いや、いいも悪いもねーだろ。できないもんは、できないよ」
「……」
「まあ、上位種からの際限のない要求に応え続けようとするのは、マジで立派だと思うけどさあ。あたしは無理だった。お前ならできるかもしれないけど、あたしはできない。だから、できない者として、『無理なことは無理って最初に言っておけば、がっかりさせることもなかったかなあ』って、そういうふうに思ってる」
幸いにも、あるいは不幸にも、ダンケルハイトには戦時中に求められたことをなんだってこなせる才能があった。
しかし不幸にも、その才能は戦争に偏っていた――
もっと言うならば、『戦闘』に偏っていた。
組織に属して納得できない命令にも従うとか、戦術を理解してそのために動くとか、戦略的意義を察して時には負けてみるとか、そういうことが、できなかった。
プライドの捨て方とか、くだらなくない本物のプライドというものは、とか。
強いことと生きられることは違うだとか、暴力は万能ではないとか、そういうことが、よくわからない。
また、今さら学ぶ情熱もないのだった。
暴力でうまくいってきた人生の成功体験が足を引っ張っている――というのは言い訳かもしれないが。
それまでうまくいってきた方法を全部捨てて、新しい価値観を一から自分に叩き込んで、重ねてきた年齢と実績があるのにそれを全部無視して、赤ちゃん扱いしてくれるわけでもない社会の中で、赤ちゃんみたいになんにも持っていない年寄りとして生きていくなんて、難しすぎるし、やる気も起きない。
一念発起するべきなのはわかりきっている。
命がかかっているのも理解している。
ここで自分を変えなければ未来がないなんて当然のごとく身に染みている。
やる気を出すだけでいいのなんか言われるまでもない。
でも、できない。
やる気があればなんでもできるだろう。
だから、やる気がなくって、なんにもできないのだ。
「あたしはずいぶん、闇の竜王様をがっかりさせてるんだと思う。お前はまあ、がっかりさせる前に、うまいやり方を見つけてくれ。いずれ応えられなくなる要求に最初から『待った』をかけてもいいし、応え続けようとし続けるのもいい。あたしは知らん。お前の人生だし」
「……」
「でもまあ、やることさえハッキリしたなら、あたしも力を貸すよ。あたしには暴力しかねーけど、世の中の裏側にはいつだって暴力があるって信じてるからな。お前を理不尽にぶん殴るやつがいるなら、あたしがそれ以上の理不尽になってやる」
「……どうして、そんなにしようとしてくれるんですか?」
「ヒマだから」
「……」
「暴力しかねーんだもの。そりゃあ、暴力を発揮する機会があったら『くれよ』って感じだろ。スローライフよりよっぽど合ってるよ、暴力。あと、お前に暴力を貸すなら、闇の竜王様も怒らなさそうじゃん。お前、ヒトとして正しそうだし」
「ええと……?」
「ああ、ああ、理由なんか聞くなよ。ただの雑感だ。あたしの所感に意味を求めるな。あたしはものを考えねぇんだよ。考えるなんて面倒くさいこと、したくもねえ。酒飲んで全部忘れたい。そうだな、あたしの暴力に、お前は酒で応えろ。そういう契約にしよう。あと」
「な、なんでしょう?」
「ここで世話になるのも今日までだ。あたしはあたしの家に帰る」
「……なにか、機嫌を損ねることが?」
「ねぇよ。むしろあたしの方がお前の機嫌を損ねにいってたのに、ことごとくスルーされてた感じだ。ただ、ガキどもの世話をしてたら、弟のことを思い出した。いや、昼には普通に会って話してるけどな。もうじき離れ離れになる感じもあるんで、最後に仲良く過ごしてみるわ」
「……そう、ですか」
「まあ、離れ離れになっても今生の別れじゃねぇけどさ。それでもな。……お前もきちんとしろよ。あたしより若いぶん、あたしより一年が長いぞ。そんでもって、ムートはお前より若いぶん、お前よりさらに一年が長いぞ。一生とまではいかなくても、一生ぐらい長い時間、離れることになるかもしれん」
「……はい」
「あたしには暴力と年齢しかないから、それでマウントとれる時には盛大にとっていくからな。またなにかあったら言えよ。具体的には暴力か年齢を理由にあたしが気持ちよく説教垂れられるような話題があったら」
「え、ええと……善処します」
「難しい言葉を使うな。それは『はい』と『いいえ』のどっちだ?」
「……はい……?」
「よし」
ダンケルハイトは最後にそう述べてヴァイスの頭をなでた。
それから、ちょっとトイレにでも出るような気軽さで家を出て、自分の住まうダークエルフ宿舎に向かった。
……夜風は少しだけ暖かい。
季節が変わっていく。もうじき、畑作業が忙しくなり、そして――
村に人手が必要になる、そんな時期が、迫っていた。




