64話 女子会
部下たちが急に克己の心に目覚めたので、ダークエルフ宿舎の居心地が悪くなった。
だからダンケルハイトは仇敵のルージュのところで寝泊まりすることにした。
「いや、なぜだ」
ルージュの住まう宿舎は石造りの二階建ての建築で、中にはいくらかの家具があり、それから、生活を便利にするための道具なども置かれていた。
最近ではすっかり武装することのなくなったルージュだが、その剣や鎧はきちんと蔵にしまわれて定期的なメンテナンスがなされている。
武装のメンテナンスが大嫌いがゆえに鎧をまとうこともなく、闇の竜王の骨でできたナイフ(メンテナンスがいらない)のみを武器として使ってきたダークエルフどもとはえらい違いだ。
「居心地のいい広い家だな。気に入った」
「気に入るな。出ていけ。ここは私が苦労して作り上げた家だ。貴様のようにかわいくない生き物を入れる気はない」
「まあまあいいじゃないかよ。あたしらの仲だろ」
「それはつまり『言うことを聞かせたければ殺し合いで勝て』ということか?」
「それでもいいぜ」
「いや、よそう。闇の竜王にうったえに行く。その方が確実だ」
「やめて!」
というようなやりとりはあったが、ルージュは押しに弱いところがあるので、なんやかんやとダンケルハイトは居つくことに成功した。
ルージュの家での生活は、三日も経てばそのあまりの良さに抜け出すのが難しくなった。
仕切りのある部屋。勝手に掃除される家。気付けば敷きなおされているベッド。
おまけにルージュは朝早く起きてダンケルハイトのことを起こしてくれるし、さっさと寝てしまうのでダンケルハイトも寝るしかなくなり、生活リズムも改善された。
二人の関係性は良好だった。少なくとも、ダンケルハイトから見れば。
同じ家にいるのにまったく会話がないということもなく、二人はよく言葉を交わした。
交わしたというか言葉のターン制バトルみたいなものが起こった。
ルージュが軍人だったころの恨みつらみを述べればダンケルハイトは黙って聞き流したし、ダンケルハイトが高い意識に目覚めた部下どものことを愚痴ればルージュもなにか言いたそうにしながら黙って聞いた。
それは居心地のいい生活だった。
けれど――
「というか、貴様、そんなんだからダメなのだ」
ルージュの説教が、ある日、自分に向いた。
ベッドでごろごろしていたダンケルハイトは、まずい話題展開になりそうな気配を察して出ていこうか考えたが……
夜も遅いのと、ルージュが酒を出しており、その酒がまだ瓶に残っていたことから、ルージュの話を聞く方を選んだ。
とはいえ、自分に向いた説教を黙って聞いてやるだけというのも面白くない。
ダンケルハイトは、ルージュに、わずかばかりの徒労感をプレゼントしておこうと考えた。
「ルージュよ、お前はあたしをダメだと言うが、そんなことはあたしだってわかってる。ダメだっていう自覚を持ってる相手に『ダメだ』なんて言ったって、なんの意味もないんだよ」
「それはどうかな? 私が言おうとしているのは、貴様が戦後に私と違って無職になったことでも、貴様がこうして人の家に居つきながら家事をいっさいする気配を見せないことでも、ダークエルフたちから『あずかってもらってありがとうございます』と感謝を述べられたことでも、闇の竜王がお前の最近の素行についてノーコメントを貫いていることでもないのだぞ」
「後半知らない情報があったんだが⁉︎」
「私がなによりダメだと思うのはな、貴様が二度も与えられた温情のありがたさを、まったく理解していないことだ」
「なんだよ『二度の温情』って。あたしが闇の竜王様に与えられてる温情は、二度や二十度じゃあきかないんだぜ」
「貴様は闇の竜王から『離れるか、離れないか』を選ぶ機会を与えられているではないか。それも、二度もだ」
「……」
選択肢を与えられたのは、今回一度きりだ――
そう突っ込もうと思ったが、できなかった。
「炎の竜王様は、唐突に我らの前から去られた。なにも言わずにだ。……もとより、竜王とはそういうものよ。だというのに、貴様は闇の竜王より『ついてきてもいい』という選択肢を与えられた。これが温情ではなくなんだというのだ」
ルージュもそこそこ酒が入っている。
ただ、酒場で会えば二人で樽酒を酌み交わし、酒の強さを競う仲だ。まさか、酒杯に二、三杯の酒で酔ったということもなかろう。
だというのに今日のルージュはどこか熱っぽく、そして酒気に溺れている様子があった。
赤い瞳はますます赤く、冷たそうな頬にも朱がさしているように見える。
さすがに、ダンケルハイトは聞いた。
「……炎の竜王は、やっぱり、お前にとって親代わりなのか?」
「そうでもあり、そうでもない。……というかダンケルハイトよ、私がここに来てまずおどろいたのは、貴様らと闇の竜王との関係だ」
「あたしが無礼だって言いたいのか?」
「自覚があるのか……いや、まあ、それもあるが……なんだろうな、あんな、普通の関係だとは思ってもみなかった。我らは……炎の竜王様の『駒』だったのでな」
「ああ?」
「かの竜王は争い好きであり、戦い好きだ。ただ、それは世間で述べられているような、己の身で強敵にぶつかりたがるような戦闘好きではなく……駒を動かし勝ちまでの盤面を詰めていくという、そういう『戦い好き』なのだ」
「……」
「そして我らは駒であった。かの竜王の戦術を行使するための……かの竜王が望んだ働きをするための駒……ああ、いや、勘違いはするなよ。我らはかの竜王の駒たれることを誇っている。望まれた通りに働くことこそ、我らが喜びだ」
「まあ、そうか。そりゃあなあ。竜王たる存在が『ぶつかりあいが好き』の戦闘狂だったら、今ごろ、この大地がない。それか六大竜王は五大竜王になっていただろうよ」
だいたいにして、竜王がその力を十全にふるったという記録はないし、記憶もない。
もちろん戦争に参加していた竜王は『魔』の側の重要人物ではあった。
加えて、その強壮さゆえに不用心でもあったので、手出しをしやすい位置にもいて、敵……ヒト側の刺客にその身を狙われることもあった。
そういった時に竜王は自衛のための戦いはしたが……
己の戦力を頼んで敵陣に突撃していくようなことはなかった。
ルージュはうなずき、
「そういった炎の竜王様のもとで教育を受けた私は、お前と違って、駒としての能力があったので、繰り手が竜王様ではなくなっても、軍人として定職に就けたわけだが……」
「さすがにその侮辱の仕方は、あたし個人じゃなくって闇の竜王様への侮辱にも受け取れるぞ」
「……私は、闇の竜王をおそれている。それはヒトとして当たり前に抱く、強大なものへの恐怖だ。だが、それでも、今度ばかりは、撤回はしない。貴様が無職なのは、かの竜王の教育の成果だ。かの竜王にも、半分かそれ以上に、貴様の現状に対する責任がある」
「おい。闇の竜王様への侮辱はあたしが許さねーぞ」
「忠臣ムーブをやめろ」
「……」
「そうやって強大なものにおもねることが、かの竜王の逆鱗に触れる行為だと、貴様とてさすがにわからぬわけではないだろう?」
「……」
「かの竜王はヒトに比べて賢く、強い。それに、貴様に対し親身であり、愛情を持っている。だが、だからこそ、貴様はこうなった。それは、かの竜王がヒトのように貴様に愛情を注ぎながら、ヒトのようにはこなせないことがあるからだ」
「なんだよ」
「かの竜王は、本気で怒ることができない」
「……」
「しかることはできよう。親が子を諭すように、貴様を諭すことができる。ただし、貴様がどのような道を選んでも、貴様のために怒ることはできまいよ。かの竜王はそれさえも受け入れる。ヒトの選択として尊重する。かの竜王は竜王の主観では、ヒトの決定の成否を判断せぬのよ。竜王なのだからそれは当たり前だが、ヒトのように貴様らに優しくしておいて、ヒトのようには怒れぬのだ」
「いいことじゃねーかよ」
「貴様にとってはな。だが、外から見ていると、そのせいで貴様が人道から外れていくようにしか見えんぞ」
「人道がなんだ。あたしの道は王道だ。闇の竜王様の道だ」
「ダンケルハイト、そろそろ、出て行け」
「……」
「これから貴様を怒らせる。だから、その前に、出ていく支度だけしておけ」
「最初っから身一つだよ」
「そういえばそうか。……いや、酒がまだ残っているか。とりあえず飲んでしまおう」
二人は酒瓶に残った酒を半分ずつ杯についで、一気に飲み干した。
そして、ルージュは、縦長の瞳孔のある赤い瞳をダンケルハイトに向けて、
「闇の竜王は、貴様の愚かさにあきれ、貴様をあきらめているにすぎんぞ」
「……」
「惰性で貴様を世話してはいるが――それをしてしまうぐらいにヒトのように貴様に接してはいるが――『無関心ゆえの厳しくなさ』と『優しさ』を混同している貴様は、冗談にもならんほど愚かだ」
「……そうかよ」
「怒り狂って飛びかかられるかとも思ったが」
「……あのなあ、あたしはまあ、バカだけどさ。今、ここでそれをしたら、もうどうしようもないぐらい格好悪いのだけは、さすがにわかる」
「そうだったか。成長したな」
「今のの方がよっぽど飛びかかってやろうかと思う発言だったな!」
「しかし、飛びかかってはこなかった。お互いに戦いから離れて、ボルテージが上がりにくくなったということだろう」
「……まあ、そうかもな」
「あと、そろそろ出ていけというのは、かなり本音だ」
「わかったよ! 出てけばいいんだろ!」
「というか居つくな。私が家を綺麗にしているのも、もう一組寝具を用意していたのも、貴様のような年かさのいった行き遅れを迎えるためではなく、ムートたんやヴァイスたんがプチ家出をして私を頼った時に備えているだけだ。なにが悲しくてその年齢までまともに愛されたこともないような行き遅れを迎えねばならんのだ。貴様を愛しさで世話するような奇特な者など……あれ、おかしいな、なぜか私まで悲しくなってきている……」
「あたしは全然傷ついてねぇんだよなあ……」
「出て行け。泣きたくなってきた」
「わかったよ。じゃあな」




