62話 闇のリドル
「クックック……ハッハッハ……ハァーハッハッハ!」
闇の竜王の大笑が響き渡る。
夕刻を少しあとに控えた集落に響き渡る重苦しい笑い声は、ただの空気を鉛のように重くし、まだ明るい空をどんよりくすんだ色に変えてしまうかのようだった。
集落の畑前広場(広くはない)(今もそこでは爆速で野菜が実り続けている)(余ったイモは酒に利用されます)には、集落の首脳が集まっていた。
だが……
この集落は小規模!
ゆえに、住まう者すべてが首脳。
リザードマンハーフ、ダークエルフ、そして亜人が二人に翼人が二人。
そして、それら全員を見守るような位置には石の祭壇があって、そこには骨のみの巨大なドラゴンが、大きな体を必死に押し込めていた。
それこそが、闇の竜王。
そして……
集落首脳会議の場には、重苦しく冒涜的で、しかしどこかリズミカルな音楽が響き渡っている……
それは竜骨兵の奏でるBGM!
気が抜けるメロディが流れ続ける、重苦しい雰囲気の会議の場にて、取り沙汰されている話題は……
「ヒトの集落が近場にできたそうだな」
この集落のそばにできたという、新たなる『ご近所さん』のことであった。
闇の竜王は咽頭骨を鳴らして笑い、
「クククッ……この地は周囲を森に囲まれた、隔絶された場所。陸の孤島よ。ご近所さんとはいえ、その連中は森の向こう。早々に接触することはあるまいが……フハハハハ! 世界の方からこちらに迫ってきたことには違いがあるまい!」
かの竜王はいつでも楽しげなので、こうやってテンションを高くしていても、その内心をうかがい知るのが難しい。
特に最近は闇の竜王がなにを思い、なにをしたがっているのか察するのは、集落に住まう誰にとっても難しい傾向にあった。
「もとより、この世界はヒトの手が加わらぬところを探す方が難しいほどであった! 俺もこの土地を見つけるまでは苦労させられたものよ……。ヒトはその版図を広げ、あますところなく地図に記してしまおうとしており、そうしてようやく、このあたりに来たと、そういうことであろうな」
そこで闇の竜王は、雁首並べる集落の首脳どもを見回して、
「ルージュ、クラール、ニヒツ、ダンケルハイト、ムート……そして、ヴァイスよ。貴様らは、この状況を前に、なんとする?」
その疑問を受けて、真っ先に口を開いたのは、獣のような耳としっぽの生えた真っ白い少女――この集落の実質的主導者であるヴァイスであった。
「……なにか、した方がいいのでしょうか?」
「フハハハハ! 知らん!」
「ええ……」
「俺が問うているのが、まさにそこよ! 『なにかした方がいいのか?』。……さて、貴様らの前にある選択肢は無限だが、実質的に、最初に行きあたる別れ道は三つある」
闇の竜王が、図体に比すれば小さめの前脚を持ち上げ、そこにある指三本を立てる。
「一つ、『待つ』。一つ、『行動を起こす』。そして――『逃げる』」
「……逃げるなんていうのが、ありなんですか?」
「クククク……ヒトに不可能はなかろうよ。貴様らはいかようにも行動できる。行くあてがあるか、逃げるとしてルートや逃げている最中の生活はどうするか……そういったことを悩むのは、逃げると決めたあとでよい」
「……」
「さて、状況は否応なく変化した! そも、今までが順調すぎたのだ。嵐や水害もなく、ただ目の前にあることをこなしていくだけでよかった毎日! フハハハハ! なるほど、外部からもたらされる問題! それへの対応! これはスローライフか⁉︎ わからん! だが、間違いないのは――貴様らがどうしたいかを決めるべきだということよ」
「……放っておくっていうのは」
「『待つ』か! 俺はいっこうにかまわんぞ! ……俺がこうして選択肢を示したのは、どの選択をするにせよ、貴様らに能動的に選ばせようとしてのことよ。『情報がなく、選択肢も思いつかなかったため、結果として待つことになりました』というのはあまりにもつまらんからな! ヒトよ! 己の行く道を己で選べ! そして結果を受け止めるのだ。そして……」
「?」
「意見を統一する必要もない」
「……」
「貴様らは、それぞれが意思を持った個人である。逃げる者! いてもよかろう。待つ者! いてもよかろう。行動する者! いてもよかろう! ……『意見をまとめて一丸となる』『ばらばらに行動する』どれでもいいぞ! 悩み、あがき、苦しみながら、己の信じる道を行け! ……いや、信じられなくてもいい。とにかく、己の足で踏み出すのだ。――さて、ダンケルハイトよ」
いきなり名指しされて、ダンケルハイトは慌てて「は、はい! 聞いてました!」と応じた。
闇の竜王は意味深な沈黙を挟んでから、
「貴様に俺から忠告する回数には、限りがあると知れ」
「……」
「永遠に俺の庇護下で過ごすという道がないとは言わぬ! 貴様がそれ以外をすべて捨て、それを選ぶならば、俺ももはや、あえて止めはせぬ。しかし俺が忠実に従うだけの者を見捨てぬと、保証はできんぞ」
「……」
「なぜならば俺は闇の竜王! 安寧はあれど安息はなく! 静かなれどその静けさは人心に不安をもたらし! どこまで行けども闇ゆえに足元に穴が空いているかどうかさえわからぬのだ! 闇に抱えられるというのは、そういうことよ」
「……」
「フハハハハ! 各々、決断せよ! ただし、おそらくは時間に制限はあろう。それが何十年なのか、何年なのか、何月なのかは、もはや俺にすらわからぬ! 俺が望み、捧げよと望むのは、貴様らの決断よ」
闇の竜王はそう述べると、石の寝所から抜け出し、翼をはためかせた。
そうしていると次第にその巨体が浮き上がっていく。
皮の張っていない骨のみの翼――だというのにその身を浮かせ、さらには周囲には一陣の風たりとも吹かせない。
それはまさしく人理の外にある謎の現象であった。
その浮遊一つで、もしも知識の深い者が見たならば、竜王と他の生物との位階の違いに打ちのめされるであろう。
「フハハハハハハハハハ!」
闇の竜王は笑いながら飛び立った。
この飛翔に――意味はない。
強いて言えば楽しくなってきたので飛んでみたのと……
近くにできたというヒトの村を空から見てやろうと、そういう、興味の現れ。
気まぐれにして飽きっぽく、そして多趣味であり――野次馬根性が強い。
雑多な情報を求め、チャレンジ精神にあふれ、しかしそれら全部を独力でやろうとする、微妙に人付き合いが苦手気味の、陰の者……
それこそが、闇の竜王なのだった。




