59話 闇の竜王、なぜスローライフをする?
時は一定のリズムで流れ続ける。
集落にはさまざまなものが取り入れられていく。
パンを食べ始めたヒトたちは、麦がなくなっても、やはり、パンを食べたくなるようだった。
宗教を学んだヒトたちは、あらゆる『自分の知識・知能では説明のつかないこと』の陰に神の存在を浮かばせるようだった。
概念の導入。
『考える生き物』の必然とでも言うべきか、日常でこなすべきタスクのルーチン化が進み、思考に割くリソースが余り始めると、色々なことを考え始める。
そうして『より豊かに』『より楽に』という方向に思考が進むのは、生き物の必然だ。
その思考の主語となるのは、なにも『自分』だけではない。
「ムートやニヒツちゃんやクラールくんにも、もっといい暮らしをさせてあげたいなと思うんです」
ある日、ヴァイスが食事中に漏らした言葉を、闇の竜王はたしかに耳にした。
それはルージュとヴァイスの雑談のさなかに聞こえた言葉だった。
それは、この集落の指導者におさまっている者として、当たり前の思いやりだった。
だからこそ、応じるルージュは返答に詰まったのだろう。
その赤い瞳が一瞬、なにかをうかがうように、闇の竜王の方へと向いたのにも、かの存在はたしかに気付いた。
しかし、闇の竜王は反応をせず、ただ、眠るように石の祭壇の中で体を丸めていただけだった。
……ある夜だ。
集落の者たちが寝静まったころ、まばゆい光の球体が、集落に降りてくる。
それは、光の竜王の思念体であった。
闇の竜王は石の祭壇の中でとぐろを巻いていた首を伸ばし、来訪者に告げる。
「夜中にあまり明るくするでない。ご近所さんに迷惑であろう」
すると光の球体は光量を落とし、落ち着いた声で述べた。
「ごめん」
「フハハハハ! わかればよいのだ!」
闇の竜王の笑い声が響き渡る……
その声はしかし、かの存在の尾がとどく範囲内にしかとどかないものであった。
そう、闇(説明略)。
「それにしても『闇の』。君の集落も発展のきざしが見えてきたようだね」
「クククク……! きざしとは! 最初に比べればすでにめざましい発展を遂げていると思うが、貴様からすればまだ『きざし』か!」
「そうだね。まだまだ、原始の時代さ。このあとさらに発展し、最終的にはビル群が立ち並ぶ都市になる……スローライフとは、そういうものさ」
「その結果が、『仙界』というわけだな」
仙界――
そこは、翼を持つ美しい人々の住まう、浮島であった。
規律正しく、礼儀正しく、衛生的で、理知的な人々が住まう、地上から物理的に隔離された土地。
そこはかつて、光の竜王が被差別人種であった『翼人』を集め、避難させた結果生まれた場所で……
光の竜王は、その土地にて『最上君主』として君臨し、人々には『予言』というかたちでかかわっている。
「そうだ。私の完璧な箱庭……すべてを差配し、人々の幸せを望んだ結果生まれた、停滞した文明圏。行き着くところまで私の手で行き着かせてしまった結末たる場所さ。……まあ、『さらに先』を目指して、今は手を加えていたがね」
「うまくいったのか?」
「まだまださ。私はどうにも、人々が考えて自分の意思で好き勝手に行動するのを、邪魔だと思ってしまうところがあるらしい。自主性を育てるというのは、なかなか進まないね」
「フハハハハ! であれば、あの土地は、貴様の趣味の結末というわけか!」
「うん。まあ、あまりにも頼られすぎるのもそれはそれでどうかと思っていたのは、本当だけれどね。……君のところにあずけた双子は、どうだい?」
「知っているであろうに」
光の竜王はあらゆる情報にアクセスできる権能を持っている。
この集落の様子も、観察しているはずだ。
すると光の竜王は、こう返した。
「君の所感は、さすがに私でも知り得ない」
「……ふん。さてな。見てわかるもの以上はなかろう。そこそこよくやっている。年少組は仲が良い。俺から見て自我も芽生えて見える。が、俺の所感とてその程度よ。あれらの自意識の発達に、俺はあまりかかわっておらんのでな」
闇の竜王は石の寝所より這い出る。
巨大な骨のみの体を極めて静かに動かし、長い首を動かして、どこかに視線をやり、
「光の。実のところな、俺は、この土地から去ろうとも考えていたところよ」
「へえ」
「フハハハハ! なんだその『わかっていた』みたいな!」
「いやあ、君の介入があからさまに減っているからね。そんなようなことを考えているのだろうとは思っていたよ」
「クククク……! そうとも。もはやこの土地は、俺の介入を必要とはしておらん。というか――多少、飽きてもいる」
「君らしい」
「そうとも! 俺は飽きっぽいがゆえにな」
「それもあるけれど、飽きてなお、それでも、迷う。そこが、君らしい」
「……」
「飽きたのなら放り出してしまえばいい。君はそれをしていいぐらい自由なはずだ。けれど、それをしない。なぜなら君は、ヒトのような考え方をするからだ」
「ふん」
「拗ねないでおくれよ。私だって、見通したようなことは言いたくないんだ。けれど、さすがにそろそろ、言わなければならないし――友として、これを言うのが私の役割だと決意し、震えながら神殿の外に出たというわけさ」
闇の竜王は四肢を曲げて、地面に横たわった。
光の竜王が、思念体である光の球から、その細面をのぞかせ、
「我ら六大竜王が君を危険視しているのも、そこだ。君は竜王の一体であるくせに、あまりにもヒトと同じ視線の高さで付き合おうとする。しかも、ヒトを大事にしすぎる」
「……」
「かかわったヒトをみな庇護化に入れてしまうし、それが不当に傷付けられれば黙っていない。……ただ生きているだけでどんどん逆鱗を増やしていく竜王など、危険視されて当然だろう?」
「ククク……反論の言葉もない。笑うしかないとはこのことよ!」
「『炎の』がその直下組織にしていたリザードマンハーフたちを放って眠ったのは、極めて竜王らしいと思うよ。かの竜王は、たしかに、ヒトを自分と同列には見ていなかった。君は、たまたまかかわったヒトのその後の人生まで面倒を見ようとしている」
「すべて事実だと認めよう。だがな、そんなわかりきった事実確認ばかりされたところで、俺は反応に困るばかりだ」
「では、もっとも言うべきだったことを述べておこうか。――闇の、君は、私から託された役目は、すでに十全に果たした」
「……」
「この集落において、私の託した双子は、たしかに自我を目覚めさせた。その自我は、性格ゆえにあまり強くは見えないかもしれないが……私は、確信している。たとえ私の命令があったとしても、ニヒツとクラールは、己の大事なものを守るためならば、従わないということを選択できるだろう」
「喜ぶべきか?」
「いいや、君はこれに対して、なにも思わないべきだ。そして、次なる私の発言に対して、悔しがったり、怒ったりすべきだ」
「……なんだ」
「『私との約束』を、この集落を見守り続ける理由にするのは、もう、許されない」
「……」
「君と私のあいだにあった約束は、すでに果たされた。君がこの集落に居残るべき理由のうち一つを、私は奪おう。同じ竜王として――友として、そうすべきだと私は考えたんだよ」
「それは、なぜだ?」
「過去、未来、現在のすべての情報を、私は閲覧できるからだよ」
理由になっているようで、なっていないような、物言いだった。
光の竜王はしばしの間をおいてから、さらに付け加える。
「君の存在が、この集落の拡張性の『キャップ』になっている。それは、君の望まないことだと、私は考えた。これが、明かせる理由のうち一つだ」
ようするに、闇の竜王への遠慮が、集落の者の中にはあり……
そのせいで外の文化をとりいれたり、この土地から離れたりするのにいちいち『おうかがい』を立てねばならず……
それがこの集落の未来を潰しているのだと。
そういうのが、光の竜王が説得のために持ち出したものだった。
闇の竜王はこの集落から去るべきだと考える光の竜王の、説得、なのだった。
闇の竜王は、ただの遺骨のように黙ってその言葉を聞き……
「クックック……ハッハッハ……ハァーハッハッハ!」
笑った。
それはいつもの笑いのようでいて、そうではなかった。
過去に類を見ないほどの大笑で、あふれ出す闇のオーラのどす黒さもまた、過去に例がないほどのものであった。
さすがに光の竜王も戸惑ったようで、
「や、闇の⁉︎ どうしたんだい⁉︎」
「クククク……! これが笑わずにいられようか! 貴様はまことに心配性……! 細やかすぎる気遣い……! ぶっちゃけてしまえば余計なお世話……!」
「いや、しかし、そうは言うがね……」
「俺が『キャップ』なのは、わかる」
「……」
「俺に遠慮があり、俺に『おうかがい』を立て、集落の発展ペースが、俺の内心に忖度したものであることも、わかっている」
「ならば……」
「だからこそ、連中は俺を振り切る必要がある。俺がここを飽きつつも去らぬ理由は、面倒見のよさなどではなく、己をここに置く効果を見込んでのことよ」
「……」
「わからんか、光の? 俺は、たしかに、ヒトを己と同列の存在として見がち……! だからこそ! だからこそだ! ――ヒトはいつか、竜王さえ超えると思っているのよ!」
それは、光の竜王の権能でさえ知り得ない、闇の竜王の内心であった。
闇をまき散らし、笑い声を立てながら、かの存在は歌い上げるがごとく、高らかに述べる。
「ヒトは、俺の強大さにひれ伏さないことができる」
「……」
「わからんか? 腕力で敵わずとも、寿命で敵わずとも、権能で敵わずとも、ヒトは竜王に勝利することができるのだ! ククククク! しかもだ! この土地には『土の』の加護があり! 『水の』の入れ知恵があり! 『光の』から受け取った青牛がある! 六大竜王のうち俺もふくめ四体までが介入した土地よ! この土地で連中は――竜王の力に頼らぬスローライフをしようとしている! ならば! いずれ俺の内心を無視し! 俺に『おうかがい』を立てず! 俺をうならせるスローライフを完成させることも可能だろう! それこそが竜王さえものともしない、最強のスローライフというわけだ!」
土の竜王の加護を受けた土地は、たしかに、日々の食糧を供給してくれている。
しかし、そうではない土地で、加護のある土に匹敵するほどの野菜を作り上げてみせた。
水の竜王による知識や概念の導入はヒトどもを悩ませた。
けれど、ヒトどもはその知識や概念に溺れることなく、理想と現実のあいだでできることをコツコツと続けている。
青牛はまあ――今のところなにも、超えるあてがないが!
「ヒトよ、スローライフで俺に勝て!」
「……」
「クククク……! 光の、貴様がどのような未来を見たのかは知らんがな。その未来が悲劇的ならば、俺は、それさえも覆せとヒトに望む! なぜならば、ヒトは闇の中を手探りで進む生き物だからよ! そうすることで、光にさえ勝利してみせるであろう!」
「つまり、君は――ヒトに負けたいのかい?」
「貴様でもいい」
「……」
「わからぬわけがあるまい。俺は、楽しいことを探しているだけだ。その探求こそ、貴様らが俺を危険視する理由であろう。では、楽しいこととはなんだ? フハハハ! 最初の最初から述べている通りよ! 『わからん! だから、やる!』」
「はあ……」
「竜王に勝つヒトなど、想像もつかんだろう。それは、いかにも、楽しそうではないか。なあ、そうは思わんか、光の!」
「同意はしかねるね。私は、安定が好きだ」
「フハハハハハ! で、あろうな!」
「そして、謝罪しよう。君を侮っていた。『ヒトと己を同列におく竜王』などと、それはヒトの側に落ちつつある存在だと、無意識で思っていたようだ。だけれど、君は違うのだね」
「理解したか? 答え合わせをしよう。――光の竜王、俺とはなんだ?」
「君は、己とではなく、竜王すべてとそれ以外が――すべての生命が、まったく同列であるべきと願っている存在だ。君は同列の証明をこの集落でしようとしている」
「フハハハハハハハハハ‼︎」
闇の竜王の大笑が、地面さえ揺らす。
限りなく平等な存在は、まるで挑戦者のようにぎらついた視線を、どこか虚空に――あるいはすべての生命に向けて、述べる。
「生きとし生けるモノどもよ! 俺を楽しませてみろ! 俺はいくらでも、貴様らが勝てるルールで戦ってやるぞ! ゆえに、かき混ぜろ! 序列を! 生物の位階を! 世界のすべてを‼︎」
闇の竜王の宣戦布告が響き渡った。
光の竜王はつぶやく。
「うん、理解したよ。そして君は、やはり、危険だ。『土の』は最初から正しかった。六大竜王の中で、君の真の危険性に気付いていたのは、かの存在だけだろう」
あまりにも、『世界の滅亡』につながる選択肢を多く持ちすぎる竜王。
それこそが、闇の竜王。
生物の位階も、愛情も、敵意も、平和も、戦争も、すべていっしょくたに呑み込む――あまりにも巨大な、闇。




