5話 引っ越しのごあいさつに、お土産を渡す
未だ深夜である。
あたりはとうに暗く、かがり火からいくらも離れぬ場所でさえ、視界の通らぬ深い闇が満ちている。
そんな時刻――闇の竜王の眼前には、何本かの丸太が存在した。
先ほどヴァイスに聞いた『切ってもいい樹』を、早速竜骨兵に切らせたわけである。
そもそも竜王とは『具現化した大自然の驚異』だ。
当然、自然環境の保全には気を払う。
だがそれは、『どのような自然環境にも詳しい』という意味ではない。
炎の竜王なら炎を、水の竜王なら水を、といったように、それぞれ六大元素を司る――ようするに、各自専門があるのだ。
そして、闇の竜王は、もちろん、『闇』を司っている。
つまり――森の樹をどの程度伐採していいかの選定は、専門外なのだった。
「あの、闇の竜王さん……私、いくらか樹を指さしただけですけど……こんなんでいいんでしょうか? あとで生贄を要求したり、『お前を食うぞ』なんてことは……」
「生贄などなんの意味がある? それに、この体でなにを食えと?」
闇の竜王は皮も肉もない、骨だけの体であった。
生命活動というくびきから解き放たれた彼は、おおよその生物が活動できぬような場所での活動も可能であり、飢餓や睡魔などのあらゆる生物的な状態異常をはねのけることができるのだ。
巨大な体を持つが自然に優しい存在なのである。
「俺は食わぬ。俺は眠らぬ。俺は呼吸をせぬ。俺は鼓動をせぬ。……だからヴァイスよ、もし俺への感謝が足りないと思うのであれば、夜中にヒマをつぶせるものをなにか供出せよ」
「え、えっと…………あ、その、妹を寝かしつける時に物語を語り聞かせているので、それぐらいなら……」
「つまり貴様が、夜通し俺に物語を語り聞かせるということか?」
「……は、はい……それぐらいしか、できませんので……」
「ククク……フフフフフ……ハハハハハハハハハ! 愚かなり!」
「お、お気に召しませんか……?」
「馬鹿者めが! 貴様はどこまで愚かなのだ! 貴様――家には幼い妹がいるのであろう!?」
「は、はい……」
「幼い妹を放置して、夜通し俺に物語を聞かせる!? 妹がかわいそうとは思わんのか!?」
「そ、それはそうですけど……」
「いいか、愚かなるヴァイスよ、よく聞け。闇の竜王は――無茶ぶりをせぬ」
「……」
「貴様はどうしても、妹を放り出し、徹夜で俺に物語を聞かせたいのかもしれんが……そんなことをすれば、妹は『姉がいない』と不安がり、貴様は明日の朝からの活動がつらかろう。その程度のことさえ考えられぬとは、愚かなり!」
「え、えっと……ごめんなさい……」
「ほう! 少しは学んだか! 今の謝罪はタイミング的に正しいぞ! ……よいかヴァイスよ。貴様にはまだまだ利用価値がある……なぜならば俺は、竜骨兵の栽培以外はてんで素人……! スローライフどころか、ノーマルライフの送り方さえよくわからぬ身……!」
「……」
「貴様には人里離れたこの場所で生活をしてきた経験と知恵があろう。畑を共同で利用することになった以上、貴様の経験と知識を俺のために役立てる義務があると思え……! 畑に他の作物を枯らすような強い植物を植えるなど、素人である俺はいともたやすく行なうかもしれんのだぞ! そうなれば貴様はどうなる?」
「困りますね……」
「であろう? ……だからこそ、貴様は休むのだ。フハハハハ! 俺に目をつけられたが最後よ! これからは年間を通じて規則正しく無理のないよう毎日健康的に働かせ、俺のスローライフを手伝わせてやるわ! 光栄に思うのだな!」
夜のとばりの中に、闇の竜王の哄笑が響き渡る。
それは無気味な残響をして、遠く遠く、深い森の中に響いた。
「え、えっと、それじゃあ、私は家に帰っても、よろしいでしょうか……?」
「早く帰れと言っている! ……む、そうだったな。その前に、一つ、用事がある」
「な、なんでしょう……?」
「俺は誰もいない土地に、居を構え、スローライフを送るつもりであった。しかし、ここには貴様という先客がいた」
「……」
「つまるところ、想定外ゆえ、少々対応が遅れたが……いるとわかった以上、対処せねばならん」
闇の竜王は、後ろ足で立ち上がる。
四肢を地面につけた状態でも充分に巨大だったその姿は、夜の闇のすべてを自身の威圧感に変え、さらにふくらんで見えた。
闇の竜王が立ち上がると同時、木材の周囲で踊っていた竜骨兵たちも動き出す。
竜骨兵たちは、ヴァイスの周囲を取り囲むように立ち、カチャカチャと武器を鳴らしてリズムを刻み始めた。
「ヒッ!? な、な、なんですかぁ……!?」
このまま生贄にでもされそうな空気が漂う。
ヴァイスは腰を抜かし、涙目になりながら、色素の薄い瞳で闇の竜王を見上げた。
闇の竜王は皮の張っていない翼を一度はためかせ――なぜか風が起こる――
「貴様に引っ越しのごあいさつとして、お土産をくれてやろう……!」
「ひいいいい!? ごめんなさいごめんなさい! 殺さないで!」
「フハハハハハ! 踊れ踊れ竜骨兵ども! 音曲を鳴らしなごやかな空気を作るのだ!」
「いちばん、『だがっき』やります!」
「にばん、『げんがっき』やります!」
「さんばん、『きんかんがっき』やります!」
「よんばーん、『もっかんがっき』やります!」
「ごばん! 『てびょうし』します!」
チャカポコチャカポコと狂気を誘うような音楽が鳴り響く。
骨を肥料に水と土の恵みでかたちづくられしどう見ても無害そうな殺戮者たち『竜骨兵』が、踊り回り時にバク宙とかしながら重苦しい旋律を奏でていく。
強い風が吹きあたりの木々も呼応するようにざわめく。
虫が、鳥が、そしてどこかで獣が鳴き、世界を奮わす冒涜的な夜のステージが形成されていった。
「さあ、ヴァイスよ……! 竜骨兵どもが樹を切っているあいだ、俺が手ずから作った『竜骨兵のミニチュアフィギュア』をくれてやろう……!」
「ごめんなさい……! 助け、助けて……! 私は、死ねない……! 妹がいるんです……! まだ小さな妹が……!」
「ならば俺の引っ越しのごあいさつを持ってさっさと家に帰るがいい……! そのフィギュアはお子様にも安全なように誤飲をしないような適度な大きさと、角を削り丸みのある安全な形状となっている……! 五個セットの予定だが今日は時間の都合で一つだけだ! 明日の夜にも一つくれてやるから、その後は姉妹で仲良く遊ぶがいい……!」
「ひぃぃぃ!? あ、ありがとうございます……!?」
「さあ行けい! 暗い夜道を気を付けて帰るのだ!」
「さ、さようならああ!」
ヴァイスは逃げるように駆けていった。
彼女の姿が闇に消え、竜骨兵たちがゆったりと演奏をやめると、あたりには静寂と、かがり火の爆ぜる音だけが残った。
「ククククク! 見たか竜骨兵ども! あの喜びよう! 貴様らのフィギュアは女子供に大人気のようだぞ!」
「「「「「わーい!」」」」」
「では俺の新たなる家を作るのだ……! さっそく仕事にとりかかれ、竜骨兵どもよ!」
「「「「「はーい!」」」」」
「ご近所づきあい、滑り出しは順調よ……クククク……ハハハハ……ハァーハッハッハ!」
闇の竜王の笑い声は、いつまでもいつまでも、暗い森の中に響いたという――