58話 街で過ごすある夜
ダンケルハイトにとって人里というのはあまり居心地のいいものではない。
とはいえ、彼女らは『暗闇の刃』隊と呼ばれる独立強襲部隊だった。
ヒトの強度を今ひとつわかっていない闇の竜王に仕え、かの竜王の旗の下で戦いを続けてきた集団である。
その時代に待ち伏せやら野営やらで過ごした環境に比べて、人里が住みやすいことはまったく否定できない。
そもそも、ダンケルハイトは酒が好きだし、うまい食い物が好きだし、自堕落な生活が好きだ。
だから人里における居心地の悪さというのは、あからさまなものではなかった。
酒造り実習を終えて夜に眠る時、ふとベッドの上にあおむけになって粗末な天井をながめていると、ふと、『なんか、やっぱり、今日会った街の連中、自分に対する態度がおかしかったよなあ?』というのが浮かぶという、そんな、言語化の難しい居心地の悪さなのだった。
「……ひょっとして、あたし、嫌われてるのか?」
今気付いた、という調子でつぶやく。
安宿とはいえ一人きりの部屋。
夜はまだ早いとはいえ、外に聞こえるような声量でもない。
また、ダンケルハイトは過去の経歴から、他者の気配に敏感だった。
けれど。
あまりにも唐突に、部屋の中から、自分のものではない声が聞こえる。
「そうですよ」
ダンケルハイトがベッドから跳ね起きつつ声の方向を見る。
すると、そこでは、ぽつり、ぽつりと天井から水が染み出し……
その水が、次第にヒトのようなカタチになっていった。
ダンケルハイトは枕の下に入れていたナイフを放し、
「水の竜王か」
「ヒトには二種類います。わたくしへの尊敬を抱ける賢き者と、わたくしを尊敬できぬ愚かな者です。あなたは後者のようですね。そしてわたくしは、愚か者と会話をするのがことのほか嫌いです」
――だから、会話を避けていました。
そう言い終えるころには、すっかり水の竜王はヒトのカタチを完成させていた。
透き通るような青い髪を体に巻きつけた、豊満な肉体を持つ美女……
水の竜王が好んでとるカタチだ。
ランプの明かりもない真っ暗な部屋だというのに、かの竜王の姿は燐光をまとっているように煌めいて見えた。
なるほど、ヒトの世界にはこの竜王を祀る神殿が数多く存在するが、崇め奉りたくなるのも納得してしまうほどに、その姿には『神聖』と感じさせる魅力があった。
もっとも、ダンケルハイトには関係がない。
闇の竜王に仕えるこのダークエルフにとって、この世のすべては『闇の竜王様およびその味方』か『それ以外』かだ。
そして水の竜王は『それ以外』に分類される。
敬意を示す理由が、ダンケルハイトの中にはない。
「あたしだって、あんたとの会話は苦手だよ。あんたの言葉はなんか、全部、嘘っぽいからな」
「……あなた、わたくしが集落に着いた当初は、もう少し敬意がありませんでしたか?」
「闇の竜王様との関係がわからなかった。今はわかる。あんたは、あのお方の敵ではないけど、味方でもない」
「なぜ、そう思うのです? わたくしはずいぶん身を粉にして『闇の』のために尽くしてきたつもりですが」
「『なぜ』とか難しいことを聞くな。あたしがそう思った。だから、あたしがそう思ったんだ」
水の竜王は頭を抱えた。
予想以上に会話が成立しなさそうなのを感じたのだ。
「……まあ、いいでしょう。お互いに、お互いのことを好きではない、ということで」
「そうだな」
「では、用件を告げましょうか。……あなた、このまま、街に住みなさい。闇の竜王には、わたくしから言っておきますから」
「はあ?」
「好きでしょう? 街の暮らし」
「暮らしだけならな。あたしは闇の竜王様以外に頭を下げて使ってもらうのはごめんだ。だから、仕事はしたくない。酒造りだって闇の竜王様に言われたから仕方なく覚えてるが、そろそろ蔵にある酒を盗んで集落に持っていった方が早いんじゃないかって思い始めてるころだ」
「山賊め……」
「もしもあんたから闇の竜王様になにかを言ってほしいとすれば、それは、『ダンケルハイトは粉骨砕身努力して言いつけを守り、そうしてできたお酒がこれです』というように、酒蔵の酒を紹介してくれってだけだな。それ以外はない」
「あなた、そんな思考だと、平和な時代に生きる場所がないですよ」
「知ってるよ」
「そのあなたが、もしも、自活できるようになれば、闇の竜王は喜ぶと思いませんか?」
「あんたの提案は何一つ聞くつもりがない。あんた、頭がいいからな。騙されててもあたしにゃわからん。あたしが闇の竜王様にご迷惑をおかけしないようにするためには、あんたの話は一切合切無視するのが一番いい」
「……なるほど。バカであることを自覚しているバカはやりにくい」
「あたしは、闇の竜王様公認の、ちょっとすごいバカだぜ。そこらのバカと一緒にしてもらっちゃあ困る」
「なんでこのヒトは、そんな情けない発言をこんなにドヤ顔で言えるのか……」
ダンケルハイトは不敵に口角を釣り上げる。
勝ち気そうな闇色の瞳には、好戦的な輝きがあった。
むやみに勝ち誇ったその顔立ちには、ダンケルハイトよりも知的な者をいらだたせる作用がある。
だが、水の竜王の司る属性は『水』。
ある程度の無礼までなら水に流すこともまた、かの存在の権能の範疇なのだ。
「……まあ、いいでしょう。あなたがわたくしの話に耳も貸さないなら、それはそれで、やりようがあるということです」
「頭のいいやつはそうやって思わせぶりなことを言って、すぐにこっちを怖がらせようとするよな。でもな、こっちは自分の決定を疑わないんだ。なにせ、『あの時ああしていれば』なんて未来視点で思っても、その時に選択肢を発生させるほどの知力がないのは自覚してるからな。どんな後悔も無意味なんだ」
「ふむ。いえ、思わせぶりなことを言うつもりはありませんでした。まあ、どうせ隠すようなことでもありませんし、はっきり言ってしまいましょうか」
「なんだよ」
提案を聞かない、意見をいれない――
そう述べていたダンケルハイトではあったが、なんだかんだ、水の竜王の話だけでも聞いてしまおうという姿勢にさせられている。
どうせ自分に影響はないし、帰らないし、敵対もしていないのだから、まあ、話を勝手にするぐらいならいいか――という思考である。
水の竜王はさほど重要そうな感じでもなく、するりと本命の提案を漏らす。
「あの集落に宗教を導入しようと考えています」
「ああ?」
「ヴァイスさんが集落を出て旅をするなら必要になる、とわたくしは考えていますが……本当に必要かどうかを判断させるためにも、教義と教典を持ち帰るつもりです。その後、判断するのはヴァイスさん」
「……つまり、なんだよ」
「いえ、見知らぬ神官を連れ帰るより、あなたにざっくりと神官の基礎を叩き込んで教師役にした方がいいかなと思って提案をしたのですが、思えば、あなたにわたくしを崇めろというのも無理な話でしたね。忘れていいですよ」
「っていうか、それは、あんたがやれるヤツだろ? わざわざ神官なんか連れていかなくってもいいじゃないかよ」
「なるほど、慧眼ですね」
水の竜王はおどろいたという様子で述べた。
そして、笑って、
「ならば、あなたのアドバイスに従いましょう。わたくし自ら、ヴァイスさんに宗教を伝授するとします」
……街で過ごしたある日の夜に、こんな会話があった。
ほとんど雑談のようで、あまり意味はなく、さほど重要でもない会話だ。
この会話が意味を持つかどうかは、集落に戻ったあと――
闇の竜王とヴァイスの反応によるのだが、それはもう、ダンケルハイトとはあまり関係ないところで進行する話なのだった。




