57話 満腹と満足
知識があればすぐにできるというわけでもなく、パン作りはそれなりに難航した。
そもそも麦から麦をとる(?)などの工程が必要であったため、いくらかの追加の資料が必要にはなった。
それでも、石窯パンは完成した。
「クックック……ハッハッハ……ハァーハッハッハ!」
闇の竜王の三段笑いが響き渡る。
今日のお昼は……パン!
畑そばでは地面に座り込んだ人々が、ハンドメイドの皿に野菜を煮たスープをよそり、石窯で焼いたパンを片手に昼食をとっている。
野良暮らしのせいでテーブルレス生活が当たり前となっている彼ら・彼女らは初めて食べる手作りのパンを喜び、むさぼっていた。
闇の竜王は食べ物の味に関心がないわけではない。
むしろ、『うまい』『まずい』にはそれなりに気を払っているし、調理法などもいくらか知っている。
なによりダークエルフどもが幼かったころなどは、手ずから竜骨兵で肉や野菜などを調理し、ふるまった経験さえあった。
それでも――
やはり、闇の竜王は、『臭いものを食べられる程度にまで臭くなく』とか、『火を通さず食べると危険なものを危険のない程度に火を通す』とか、そういった方向性にばかり関心が偏っていたのは、否めない。
たとえば都会で饗される高級料理などは、『量も多くないし、過剰に手を加えすぎていて手間がかかる』と認識し、やろうとさえ思わなかっただろう。
なるほど、『うまいもの』を食べれば楽しいのだな、と――知ってはいたはずことを、あらためて実感させられるような気分であった。
そして……
知識を与えて、試行錯誤ができるだけの素材量があれば、こんなへんぴな集落でも、たいていのものはできてしまうと、思い知らされた。
たいして考えずにいきなり酒造修行に向かわせたダンケルハイトたちに少しだけ申し訳ない気分である。
竜骨兵を通して見れば、ダンケルハイトたちは案外まじめに酒造知識の収集に取り組んでいるようだった。
『これは酒造を覚えるために必要だから!』と言いながら酒を飲もうとするのさえなければ、文句がないほどだ。
酒に対する熱意はやはり高い。
適材適所という言葉がどこかの世界にはあるという。
ヒトには誰しも生まれ持った才覚がある。
けれど、才覚以前に、やはり、情熱がないと取り組むことができない。
ダンケルハイトには、スローライフの才能はないだろう。
あれは戦っている時がもっとも楽しそうだったし、どうしようもなく戦うことに対する適性があった。
ある意味で酒浸りの日々は楽しそうではあったし、戦いというもっとも楽しめることを取り上げられてハマれるものがあるのは、彼女らにとって幸せなことなのかもしれない。
ダンケルハイトが望むなら、ずっと、酒に浸ったまま生きてもいいと思っている。
ただしそれで人様に迷惑をかけない限りは。
「……」
闇の竜王は、目の前に置かれたパンをながめる。
かの存在が窮屈に押し込められている石の寝所。その前に置かれたひと皿のパン。
なにかお供えもののような趣があるのだが、おおむねその通りだ。
闇の竜王は食事をとらない。
だから、このパンには供えてある以上の意味がない。
それでも闇の竜王は、パンを見て、笑う。
「フハハハ! ……ヒトは、なにもない状況から、ここまでのことを成し遂げる。この俺が、長年その弱さに配慮し、その生命の保全にのみ注力し、危険を先んじて排除し続けたヒトごときが! 俺には想像もつかぬものを生み出す!」
それは。
ヴァイスたちだけの話ではなかった。
それは、ダンケルハイトたちまでふくめた話、程度でもなかった。
もっともっと以前より、闇の竜王はヒトとかかわっている。
平和な世で過ごすスローライフの素晴らしさを説いた者があった。
……もちろんそのニンゲンは竜王と比べれば弱かった。
しかし、ヒトの中では強かったのだろう。それでも、スローライフなどという、こんなものを求めたのだ。
「闇の竜王さん、召し上がってみたりは……」
気弱そうにたずねてくるのは、ヴァイスであった。
獣のような耳としっぽを持つ、真っ白な少女。
出会った当初から二年経つが、背も伸びないし、太りもしない。それどころか二年というヒトにはそれなりの長さの期間が経ったようにさえ思われない彼女。
ヴァイスの詳しい年齢はヴァイス自身さえ判然としていないようだが……
ダンケルハイトらがあまりにもすくすく育つのを目撃している闇の竜王からすると、ヴァイスの不変さには首をかしげたくなるものがあった。
闇の竜王は、その変わらぬ少女を見て、笑う。
「フハハハ! 俺はものを食わぬ。この体に胃があるように見えるか⁉︎ ……俺に献上しようという心掛けは立派だが、まだまだ貴重と述べていい食物を無為に失うこともあるまい。このパンは貴様らで分けるがよい!」
「……そうですよね。わかりました。ありがとうございます」
「ククククク……! 貴様は相変わらず礼を大安売りしているようだな! もとより俺は、貴様らにはなにも求めておらん。ただ、俺が救ったぶんを返せというだけのこと。神のごとく敬われるのは性に合わんのだ。そういうのを喜ぶのは、水の竜王ぐらいであろう」
だけれど、闇の竜王はかかわった相手にこういうふうに接されるのが常だった。
妙に敬われるというのか、恐れられるというのか……
そこが自身とヒトとの隔絶なのだろうな、と感じる。
……そう感じて、気付く。
いつか、土の竜王との会話で、指摘されたことがあった。
『あまりヒトに寄り添いすぎぬよう。傷つくのは、あなた様なのですぞ』
傷つく、傷つかないといったことはまだよくわからない。
だが、寄り添っていることで、思考に影響を受けているのはわかる。
ヒトと自身の隔絶などという『あって当たり前のもの』をいちいち再確認してしまっているのがその証拠だ。
……年が暮れてゆく。
そういえば年の瀬や新年に祭りをするのが集落の常だなあ、なんて考えていたことを思い出した。
食事の満足感。満腹感とは別なところにある、満足感。
一年を生き抜いたという『偉業』へのご褒美。
このあたりに対する関心がやはり薄く、忘れがちになってしまう。
努力には報酬を。働きには応報を。
闇の竜王は福利厚生を知る者――だけれど、いまいち、ヒトの強さと弱さを知らない。
気温は日増しに下がっていき、明るい時間はどんどん減っていく。
二回目の冬が深さを増していく中、闇の竜王は笑う。
昼食の時間は終わり、人々は生きるための仕事に戻っていく。
闇の竜王は石の寝所で笑う。
この世は笑うべきことがあまりにも多い。
人々はまた一つ歳を重ねていく。
ダンケルハイトはまだ帰らない。いつごろになったら帰るとか、そういう相談もしていないので、たぶんまたどこかの酒場でツケを作って帰ってくるのだろうなと思った。
次回更新
11月24日(火曜日)20時




