55話 その土地
というわけで麦の調達が必要になった。
麦なんてものは上空から人里を見ていればわかるが、アホみたいな量が世界中で作られている。
闇の竜王のいます集落にいるとわかりにくいのだが、世間の主要穀物はイモではなく麦だ。
そのへんに落ちていてもよさそうなものだが、残念なことに、このあたりの土地には育てられそうな麦は見当たらなかった。
……そもそも。
このあたりの土地は、これだけヒトが世界中を拓いているにもかかわらず、未だ手付かずの地なのだ。
もちろん、森に囲まれているとか、不気味な笑い声が夜な夜な響いてくるとか、そういった発見・捜索をためらう要素はたくさんあるが……
それ以上の理由も、おそらく、あるのだろう。
「なるほど、『麦の無心』というだけが来訪の理由ではないと」
山が、声を発していた。
その森に囲まれた峻険なる山脈にはあまたの植物が生い茂り、動物たちが暮らしている。
さりとてそれは自然の山々とは言い難い。
その巨大な存在は――土の竜王。
六大竜王の長老格にして、まとめ役とされる古老――
と、世間では評判の、実際のところ、ただの胃痛役なのであった。
闇の竜王は、己の本体を置いた集落より遠く離れたこの地に、思念を飛ばしておとずれていた。
土の竜王の眼前に存在する闇の球体こそが、その思念だ。
「フハハハハ!」
思念は大笑する。
その声は低く、低く、大地さえも揺らすかのようなものであった。
ただ笑うだけでこれほどの威圧感が出るものか、というほど、耳にした者の恐怖心を引き出すような、そんな笑ごえ。
一方で巨体を誇る土の竜王は、ささやくような、威圧感のないしわがれた声で応じる。
「あなた様は唐突におとずれては、祝福をよこせだの、牛をよこせだの、そういうことをおっしゃいますからな。この老骨は、ふっと昼の空が暗くかげり、闇の球体がここに現れるたび、今度はなにを要求されるのかと、怯えてしまいますぞ」
「貴様が怯えると! 『土の』、どうやら冗談を覚えたようだな!」
「……ともあれ、本日の本題は要求ではなく情報の模様」
「うむ。少々ばかり考えてみた結果、わかったことがある」
「考える、などと。あなた様はその行為を自ら禁じているものとばかり」
「クククク……! よくわかっているではないか! ……だがな、気付いてしまったものは、仕方がない。――あの土地は少しばかりおかしい。俺も最近は、あの土地に住まう者どもの成すことを見守り、色々と先回りして調べるなどしているのだが……」
「……それはまた、ずいぶんと、過保護なことで」
土の竜王の声には、あきれた様子が見られた。
そもそも、土の竜王は、六大竜王の中でも『ヒトとかかわらず、見守る』というスタンスをかなり明確にしている。
もちろん他の竜王にそれを強制してはいないが、本音の部分では、他の竜王にも隠居し、ヒトとのかかわりを絶って欲しいと考えているようなのだった。
だからこそ、闇の竜王の『かかわった相手にはとことんかかわる』という行動方針について思うところがあるようだったし……
どんどんのめり込んでいるように見える闇の竜王には、物申したいこともあるのだろう。
もっとも、情にあついところがあり、泣き落としに弱いという欠点があって、そのせいで土に祝福を与えたり、その他情報の提供をしたりといったことも、やっているけれど。
闇の竜王は、ただ、笑った。
その笑いにはふくむところがなく、ただの話題転換でしかなかったが……
受け取り手によっては、自分の中に生じている矛盾に笑われたかのような、そんな印象を抱くかもしれない。
「『土の』。これは雑談だ。無理に情報を絞り出そうとは思わぬ――もっとも、絞り出そうという意図がないとは言わぬが、答えを強制するものではない」
「わかっております。……もとより我らのあいだで、他の竜王になにかを強制することなどできませぬからな」
「フハハハ! ならば改めて言うが――もとより痩せた土地だったというのに、ほんの二年で、その土地で実る野菜が、貴様の祝福を受けた土で育ったものに迫るほど肥えている。……これは、異常なことではないか?」
「……左様ですな」
「やはりか! 土いじりも品種改良も、膨大な時間と蓄積された知識あって初めて成せるものと聞く。だが、うちの集落の者どもは、少々成果を挙げすぎている。なんの知識もなく! 手探りで! たった二年でだ!」
「よいことではありませぬか」
「ククク……! 本当にそう思っている声音には聞こえんぞ!」
「……期待を持たせるのも悪いので、はっきりと申し上げてしまいましょう。あの土地について、儂から申し上げられることは、なにも、ございませぬ」
「ほう!」
「もちろん、我が司りし属性は土ゆえに、そこの土がおかしいことは、わかります。けれど、その原因までは、儂の分野ではございませぬ」
「クックック……ハッハッハ……ハァーハッハッハ!」
「というよりも、なにかを知りたいと望むのであれば、儂よりも、『光の』を頼るべきかと。情報、知識において、かの竜王の右に出る者はおりますまい。欲する答えは、必ずやかの竜王がお持ちでしょう」
「それは、つまらぬのだ」
こう述べる闇の竜王の声は、威圧感もなく、楽しげでもなく、まったくの無感情なものであった。
かの竜王にしては珍しい声音に、土の竜王は、少々ばかりおどろいて言葉を失ってから、
「……あなた様は、御身が世話するヒトどものために、危険があるならばそれを知り、取り除きたいと願って、儂に情報を求めに来たのでは?」
「俺がそうして動けば、『光の』と同じ蹉跌を踏む。……おっと、詳しくは聞くなよ」
「……」
「俺は平和な世の中を面白いと思う。が、同時に、あの戦争時の状況を好ましいとも思う。なぜならば、俺が干渉しすぎれば、『炎の』をはじめ、他の竜王との直接対決に転がりかねない状況があった。対決を避けようと立ち回ると、自然、どの程度干渉していいのかという度合いもわかりやすい。その一点のみ、戦時は好ましい状況であった」
「そのようにいらぬ苦労を背負い、探り探りやらずとも、隠居するか、眠ってしまえばよいのです」
「フハハハハ! 『土の』! 貴様は大雑把よな! ……俺は微細な調整が苦手だが、干渉の度合いだけは、気遣わねばならん。そして、あの土地についての『答え』を得た俺が干渉の度合いに対して慎重になり続けることができると、俺自身、思っておらんのだ」
「理解が及びませんな。そこまでして付き合うべきものですか」
「貴様は愛ゆえに『付き合わぬ』と決めた。俺は――フハハハハ! 言ってしまえば、俺もやはり、愛ゆえに『付き合う』と決めたのだろう。こればかりは相互に理解が及ぶものではないな!」
「……ああ、本当に、あなた様は、儂の『決まり』をゆるがせにするのがお上手なようで」
「ふむ?」
「……儂は、あなた様のいらっしゃる土地がおかしい原因について、わかりませぬ。けれど、あの土地がおかしいことだけはわかる。そしてそれは……必ずしも、いい方向にのみ、『おかしい』わけではない」
「……」
「あなた様が『愛ゆえに』その土地の者どもとかかわるのならば、心に留めるべきでしょうな。……あまり長くあの土地に滞在せぬ方がよろしいでしょう。もっともその『長く』は、百年、二百年という、ヒトにとっては永遠のように長い時間かもしれませぬが」
「含みをもたせるではないか!」
「申し上げたとおり、儂の領分ではありませぬのでな。あれは――呪い、と述べるには温かく、祝福と述べるには翳がある。そのような印象なのです」
「印象、印象、か」
「ええ。雑感でしか、語れませぬ。何度も申し上げているとおり、『土』の領分ではないようなのです」
「心に留めておこう。……心労をかけるな」
「ええ。これっきりにしていただきたいものですが――はてさて、そう思うならば、儂も眠ってしまえばいいのですが。どうにもこうにも、あなた様と、その隣人とを放っては眠れぬようで。まったく、困ったものです」
土の竜王はささやかにため息をついた。
闇の竜王は笑わず、「感謝する」と述べた。




