50話 あなたは神を信じますか?
「どうにも世界について目を向けねばならぬ時期が来ているようです。
さて、この世界は数百年前から『人』と『魔』がわかれ、争いを続けておりました。
雑な竜王であれば『数百年』を『短い時間』と表現もするでしょう。
けれど、それは、途方もなく長い長い時間なのです。
恨みは骨髄にまで浸透し、次代へと受け継がれます。
子供が親に語り聞かせる『寝かしつけるための物語』には、『敵をたくさん殺す英雄』や『敵のひどい仕打ちのせいで辛い目に遭った主人公』が出てきます。
そこで語られる『敵』は、語り部が『魔』であるならば『人』で、逆ならば、そのまま、逆になるのです。
そういった物語を聞かされた子供たちが成長し、他の子と遊ぶようになります。
すると、同じような物語を聞かされた子供たちばかりが周囲にいます。
友達ができれば、『ごっこ遊び』が始まることもあるでしょう。
たとえばヒーローごっこなどで、なにが『悪』になり、なにが『善』になるのか、もはやおわかりですね。
子供たちはそうやって友達と仲良く遊び、年齢を重ねていきます。
そして少しばかりの賢さを身につけ、世の中が善悪で割り切れない、面倒くさいものだと気付く者も出てくることでしょう。
気付いた者の大半はしかし、それでも善悪がわかりやすい世の中を望むのです。
そうして、悪を悪とすることを止める者は、戦時中において、おりません。
いたとして、そういった者の声はかき消されることでしょう。
さあ――子供たちは、大人へと成長していきます。
彼ら、彼女らは社会や世間というものの流れに逆らうことの面倒くささを、そろそろ学んでいるころでしょうか?
あるいは、『正義の怒り』を燃やす楽しさを覚えていて、その快楽なしでは一日たりとも生きてはいけないような状態になっているかもしれませんね。
恨むべき、憎むべき敵がいるという快感――
毎日当たり前に続くと思っていた、いくら口汚くののしっても、誰からもとがめられない『敵』のいる生活。
これが、ある日唐突に、終わります。
いわゆる『戦争の終結』です。
昨日までは敵だったけれど、これからは仲良くやっていこう――こういうふうに、いきなり、言われるわけです。
さて、今日から変われますか?
戦争というのは基本的に金を食い、食料を食います。
戦争が終われば土地を奪ってそこから作物を得ることもできなくなります。
戦果というものはなく、『善が悪を倒した』と人々を沸き立たせるニュースも減ることでしょう。
苦しく、つらい、敵をののしる快楽を不当に奪われた環境で、ふと、『善ではない人種』が目の前を横切ったとします。
自分たちから快楽を不当に奪った人種です。
これにまったく公正な感情で接するには、人類は幼い。
舌打ちをする、にらみつける――まあ、このぐらいなら、飛び抜けて節度がある方でしょう。
不当に低く扱う、小馬鹿にする、成果をあげれば『卑怯な手を使ったに決まっている』と決めつける――このあたりまでが表立って『良識ある大人』として扱われるでしょうか。
暴力をふるう――ここまで来れば表向きには『やりすぎ』と言われるでしょうね。
けれど、みな、どこかでその行いを許します。
そしてなにより、世間は、『悪たる人種』が悪事を働くのを待ち望んでいます。
少しでも瑕疵を認め、それを糾弾するチャンスに、目を光らせて、『悪』を監視しているのです。
これが戦後、世界にはびこるものです。
あなたたち『混血』は、どちらの領域でも、この扱いを受けるでしょう。
大多数にとっての『正義』があなたたちの敵になるのですよ」
水の竜王の語り口はあまりにもなめらかで、詰まったりひっかかったりすることがなかった。
当然のことを当然のごとく語るだけといった様子に、ヴァイスはつい、かの竜王の背後に立つ人物を見た。
そこには教室――勉強のために建てられた、簡素な木造の建物だ――の壁によりかかるように腕を組み、じっと目を閉じていたリザードマンハーフのルージュがいる。
ヴァイスがじっと見ていると、視線に気付いたのか、ルージュは目を開けた。
燃えるような、深紅の瞳――
縦長の鋭い瞳孔が、無感情にヴァイスを見つめ返す。
「水の竜王のおっしゃることは、おおむね、正しい。こう言ってしまうのも業腹だが……私のような『魔に味方したとはいえ混血の者』が六大将軍の地位に就けたのは、戦後の融和政策の一環だ。ようするに、『国家としては混血でも差別をしませんよ』と、こういうメッセージの発信のためだな」
馬鹿にはつとまらんよ――とキリッとした目で彼女は告げた。
しかしヴァイスはルージュがその役目から逃げるようにスローライフを始めたことを知っている。
つまり、彼女でさえ、嫌になるようなものが、この集落の外には広がっている、ということなのだった。
水の竜王は――定まった姿を持たず、いかようにも姿を変えられるかの存在は、今日は豊満な胸を下からささえるように腕を組み、
「さて、わたくしは闇の竜王より、あなたに世間について教えるよう依頼を受けました。わたくしは水の竜王ゆえに、その目的について、予測が可能です。なぜならば、水とは流れ、連なるもの……一を聞いて十を知る賢さがあるのです」
竜王は己の属性になぞらえてなにかを語る芸風があるようだった。
水の竜王は、衣服のように体にまとっている、青く透き通った髪を手ですいて、
「ヴァイスさん」
透明度の高い、真っ青な瞳が、ヴァイスを見下ろす。
ヴァイスは緊張してフサフサのしっぽをピンと立てながら、「はい」とうわずりをがんばって抑えた声で応じた。
水の竜王は微笑み、
「あなたは神を信じますか?」
「…………はい?」
「ヒト基準の強さなど、我ら竜王にとって、その差異がわずかすぎて、違いがわからぬものですが……あなたは、ダンケルハイトや社畜に比べ、力が弱いでしょう?」
ルージュがこまった顔で「水の竜王、待ってください。なにかこう、発言に、我らに対する悪意が」と述べた。
水の竜王はそちらを一瞥して微笑んだだけで黙らせ、ふたたびヴァイスへと向き直り、
「あなた、路地裏で暴漢に襲われた際に、抵抗できますか? 三人ぐらいの男性に囲まれるシーンを想像してほしいのですが」
ところでヴァイスはかなり特殊な環境で育って、この土地にいる。
その環境は『男性』が一人もいないものであった。
だから、ヴァイスが『男性』と言われて真っ先に想像するのは、ダンケルハイトの部下である、あの、瞳の綺麗なマッチョダークエルフどもである。
「ひ、一人が相手でも無理です……」
「しかし、あなたが知識を求めて都会にでも出ようものならば、そういった危険に対し、常に警戒をせねばなりません」
「……」
「それは路地裏だけとは限らないのです。世間を知らぬあなたは、宿泊場所や、金銭の授受、そういったところで、常に警戒を続けねばならないのですよ」
ルージュが「そこで私がヴァイスたんに同行し、守るというわけです」と述べた。
水の竜王は『黙ってろ』という感じでそちらに向けて微笑んでから、
「知識ならば、そこの変態に本でも買ってこさせるなり、なんなり、得る方法があります。あなたとて、その方法は思いついたでしょう? それでも、自分で外に出ようと、そういう意思を持っているのですか?」
「……はい」
「そうですか。では、神を信じなさい」
それは――
それは、『ここまで忠告して、それでも行くなら、手の施しようがないから勝手にしろ』ということだと、ヴァイスは受け取った。
しかし、水の竜王は、こう続ける。
「神、すなわち、わたくしを信じなさい」
「は?」
「わたくしは、神です」
「…………あっ、はい。た、たしかに水の竜王さんは素晴らしいお方ですよね」
「そこ、かわいそうな者をフォローする感じで発言しないように。……よろしいですか。わたくしが痛いことを言っているわけではなく、竜王という存在が神も同然に見られているという話でさえなく――わたくしを崇め奉る神殿が、大陸の各地に実在するのです」
そういえば――
水の竜王は崇められるのが大好きで、よく人里に降りては水関係で人を救い、神殿を建てさせているのだ、という話を聞いたことがあった気がする。
「人はわたくしという神の名のもとに平等です。外に出るというのであれば、神官服をまとい、わたくしを讃える聖典を読み、聖句をそらんじられるようになり、神殿で寝泊まりをなさいと、そう述べているのです」
「……」
「すくなくとも、統制のない『世間』より、表向きには混血にも優しいでしょう。もしも不当に混血を扱う者があらば、近隣の村落は唐突に洪水に呑まれて消えるかもしれませんからね」
この大雑把さが竜王という感じで、ヴァイスは、この人型をとった存在もまた、闇の竜王とたしかに同類なのだと思い知らされた。
そして――
「……あの、私のために、ありがとうございます」
この不器用でまわりくどい優しさもまた、竜王の共通点なのだろうか。
水の竜王は微笑みを深め、
「そう、わたくしは、感謝をされるのが大好きです。もっと崇めなさい」
「は、はい……」
「ふむ、顔も知らぬ水しぶきどもから大量の感謝もいいですが、やはり、顔を知る者からの感謝は格別ですね。普段のが大味の大量生産品だとすれば、今回のような感謝は逸品といったところでしょうか」
「あの、でも……どうして、私にそこまでしてくださるんでしょうか?」
「はあ?」
「え、あの、手伝っていただけるというか、助けていただけるというか」
「あなたは闇の竜王を見て『竜王』というものを測っているようですが、それは、大きな間違いです。かの竜王は、我ら六大竜王の平均的存在ではありませんよ。むしろ、はみ出し者です」
「そうなんですね……」
「実のところ、もっとも竜王らしいのは『炎の』か『風の』だとわたくしは考えております。というか、六大竜王とひとくくりにされるたび、わたくしは『一緒にするな』と思うほどです」
まともな者が、わたくししかいないので――
水の竜王は『当然』という様子で末尾にそう付け加えて、
「ともあれ、あなたは、思い上がらぬことです。わたくしがあなたを助けたのは、あなたが『あなた』だから、ではないのですよ」
「ええと……」
「ヒマなのです」
「……」
「たまたま目についた、感謝を忘れなさそうな人材が、あなただったのです」
「……」
「良いですか、わたくしという神を奉じ、祈りを捧げ、崇めなさい。そして願わくば信者を増やしなさい。あなたがわたくしという宗教に帰依し外に出るならば、それが、わたくしの望むことです」
「……はい。でも、ありがとうございます」
「そうですよ。感謝は一回一回思いを込めて丁寧に、しかし回数多く。その心を忘れないようになさい」
「あの、でもまだ信仰をどうするかは決めてないです……その、闇の竜王さんにも聞いてみないと……」
「…………………………」
「え、ええと?」
「神から直接勧誘されたのに『断る』という選択肢があることに、わたくしはおどろいています。心配とかなさらないんですか? 荒れますよ、川」
宗教ってタチが悪いなあ、とヴァイスは思った。
その後もやたら食い下がる水の竜王と、ちょいちょい言葉を挟もうとするルージュに小一時間詰め寄られつつ――
ヴァイスはどうにか、神を信じるかどうかを保留にした。
水の竜王は「手強い……」とつぶやき、ヴァイスを見送る。
その透き通った瞳には、たしかにヴァイスに対する興味の色が芽生え始めていた。




