表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
50/86

49話 陽光過ぎ去りし暗澹たる闇夜に浮かぶ白き影

「やっぱり、なにかが違いますよね」


 ヴァイスというのは複数の人種の特徴が出た『混血』の少女で、少々ばかり特殊な育ち方をしてきた。

 なにせ最初、彼女が『己の名』として名乗ったものが『十一』だったぐらいである――

 ただの番号を名前にするような環境というのは、闇の竜王の知識からしても珍しいものだった。いや、珍しさはどうだっていい。問題は、その名がどうやら、ヴァイスにとって誇れないようなものらしい、ということだった。


 儚げで清廉で気弱で図太い性質を持った彼女は、ヴァイスという名を与えられてから二年ほど、この地で農業をやっている。


 最初はまごついていた他の者たちのまとめ役というポジションもだんだんと板についてきている。

 彼女の中にあった『自信、あるいは自身のなさからくる、おどおどした様子』は最近なりをひそめていて、今では闇の竜王にも、正面からはっきりとものを言うようになってきていた。


 まあ、もともと、かなり早い段階で、けっこういろんな要求をしてきた少女ではあるが……


「クックック……ハッハッハ……ハァーハッハッハ!」


 昼下がりの農地に闇の竜王の笑い声が響き渡る。


 その声の発生源をたどれば、狭苦しい石の寝所に押し込められた巨体を目撃することができるだろう。

 そして、目にした者はその異様さにぎょっとするかもしれない。


 そう、かの存在は、肉もなく、皮もなく、内臓さえない、骨だけの竜。


 その白骨の巨体をふるわせて大笑しながら、深淵なる闇を秘めた眼窩で、己の目の前に立つ少女をみおろす。


 表情のわからないその骨の面相ににらみつけられているのは、なんとも無力そうな少女であった。


 まず、白い――闇の竜王とおそろいの色合いだ。


 しかし闇の竜王がつるりとした硬質なものであるのに対し、その細く小さな少女は、モフモフ、フサフサ、スベスベとした白さだ。


 いっときの病的なほどの血色のなさからは脱したものの、種族特徴として、毛髪も肌も、あまりに白かった。

 そして、白いうえで、獣のような耳としっぽが生えている。


 獣人ではない。


 世界を二分する勢力である人と『魔』。

 その両方の血が混じった、どの種族とも言えない種族――一言『混血』とまとめられるのが、彼女の種族なのであった。


 さて、もしも人里に闇の竜王が降り立っていたのならば、生贄にでも差し出されそうなこの儚い少女の両手には、なにがあるか?


 ――野菜だ。


 彼女の両手にはそれぞれ、まるまる太った、大きなイモが存在した。


 どちらも紫の皮に包まれた、ほとんど球形の大きなイモである。

 だが、彼女の左手にある方のイモは、彼女の顔ほどの大きさがあり、つやつやしているのに対し――

 彼女の右手にある方のイモは、どことなく痩せていて、つやめきが足りなかった。


「左手のイモが、土の竜王さんに祝福していただいた土地で育った『エアデミルヒ』です。右手のイモが、私たちが開発した土地で育てたエアデミルヒです。……やっぱり、祝福された土のものには、及ばないですよね」


 土の竜王の祝福――

 食に窮していたヴァイスらのために、六大竜王のコネを用い、闇の竜王がこのあたりの土地に祝福を与えさせたのである。

 そこでは異常な速度で作物が実り、また、実ったものはよく肥え、味もいい。


 一方で祝福のない土でも農業は行われており、そちらはこの二年をかけてヴァイスらが開発をし、どうにかまともな作物が実るまでにはできたが……

 やはり、土の竜王の祝福がある土地で育ったものと比べれば、見劣りする。

 ヴァイスはそのことを、不満に思っているようだ。


 だから、闇の竜王は、寝所から首を伸ばし、笑った。


「フハハハハ! ヴァイスよ! 貴様、六大竜王をなんと心得る⁉︎ 我らは『具現化された大自然の脅威』! そのうち土を司る竜王より祝福された野菜と、この水はけの悪い土地で自分らが育てた野菜とを比べて、『及ばないですよね』とは!」


「し、失礼だったでしょうか……?」


「クククク……笑いが止まらぬわ! 脆弱なる者よ。そのか弱き身で、この資源なき環境で、そしてなにより、たった二年というまばたきのあいだに過ぎるような歳月で、貴様は『竜王』に並び、超えたいと願う……その思い上がりの甚だしさ! 面白いではないか!」


 ここで闇の竜王慣れしていないと、『面白いではないか』を深読みして『怒らせたかな?』と思うのだが……

 ヴァイスは闇の竜王慣れしているので、かの存在が『面白い』と言うなら、そこに含みはなく、素直に面白がっているのだとすぐに判断できた。


「ありがとうございます」


「ふむ、なんの礼だかいまいち判然とせぬが……『ごめんなさい』を発言のたびに挟み込まれるよりはずっといい! ……してヴァイスよ。俺が名を与えし者よ。その肥えかたの違う二つのエアデミルヒ(いも)を持って、俺になにを訴えんとす?」


「……やっぱり、農業を学ぶ必要があると思うんです」


「ふむ」


「試行錯誤でここまでやってきました。土の改良、作物の植え方……どれも、最初に比べれば、だいぶ、慣れたと思います。でも、農業は、試してから成果が出るまで時間がかかりすぎて、改善のペースに限界があります。先人の知識が必要だって思うんです」


 ヴァイスの青みがかった灰色の目が、足元に落とされる。


 彼女は視線を伏せたが、それは感情を示す動作ではなく、単純に、下を見ただけなのだろう。


 下。すなわち――土。

 

 すべての者が踏みしめる場所。

 そして、野菜が実る場所。


 これと付き合い続けた二年間が、彼女にとっての『土』を、『ただ足の下にあるもの』以上の存在にしていた。


 闇の竜王は――

 ふと、懐かしくなって、笑う。


「ククク……! ヴァイスよ。ああ、弱き者よ! 貴様は痩せっぽちで、小さく、あれから二年経つというのに、まったく体格が変わらぬ。多少太ったのかもしれんが、それとて誤差の範囲内であろう」


「は、はあ」


「こうして俺と向かい合う貴様は、俺がこの土地に来た当初と変わらぬのだ。だが……それは、見た目の話だ。貴様の中身は、ずいぶんな変革を重ねたようだな」


「……はい。そうかもしれません」


「フハハハハ! 物怖じをしなくなったものよ! ところで貴様、ルージュに読み書きや歴史を教わっているな?」


「え? は、はい」


 水の竜王による集落を世界とつなげる計画があった。

 あれは竜王であるがゆえに改革や推進において弱き者どものペースを考慮しないところがあり、いきなりこの土地を『商業』というかたちで世界とかかわらせようという目論見は、闇の竜王によってスルーされたが……


 ただし、水の竜王は、『教育』という種をこの土地にまいた。


 そして自分では決して労働しない誓いを立てている水の竜王に代わり、教育という種をまき、水をやったのは、ルージュらリザードマン部隊であった。


 そういった背景があり、ヴァイスらにとって、ルージュは先生にあたる。

 つまり、その普段の様子を、ヴァイスらはよく見せられているのだ。


「あいつの愚痴を聞かされていれば、世間での『混血』の扱いがどんなものだか、想像もつこう」


「……はい」


「『魔』における実力者、先の戦争の英雄がおさまるべきポストである『六大将軍』でさえ、ああ(・・)なのだ。将軍でさえない者には、もっと多くの差別や偏見が待ち受けていると見るべきであろう。そして――ここにない知識は、外に仕入れに行くしかない」


「……」


「そこまでわかっている、という顔だな。……フハハハハ! つまるところ、貴様は、いつか俺に石材運搬用道具のアイデアについてたずねに来た時同様、俺に、自信を下賜されに来た、ということなのだろう。違うか?」


「たぶん、違わないと思います」


 青みがかった灰色の瞳が、闇の竜王の眼窩をしっかりと正面から捉えた。


 闇の竜王は、全身を震わせ、闇のオーラを撒き散らしながら笑う。


「クックック……ハッハッハ……ハァーハッハッハ! ……『弱き者』とは、もはや呼べぬな。この俺を真正面から見つめ返すなどと、かつて、これほどの勇気の持ち主がこの地上にいただろうか? 否! 一人たりともおらぬ。もはや、俺から下賜される自信など、いらんだろう。貴様は、貴様の生き方を自分で選ぶことができるはずだ」


「でも……私が、もしも、決断(・・)するなら、闇の竜王さんにおうかがいを立てないといけないと、思っています」


「必要はない。貴様は、俺の配下ではない。貴様は、俺の『ご近所さん』だ」


「たくさんのものを、あなたから借りています。そして、返済の方法も、まだわからないんです」


 ヴァイスはしかし、引き下がる様子がなかった。


 闇の竜王はため息をつき、長く鋭い前脚の爪であごのあたりをコリコリと掻いてから、


「闇の話をしよう。かつて、この土地を満たしていた唯一のものの話だ」


「……」


「耕されているかどうかも一見してはわからぬ(うね)があった。森に囲まれた、だだっぴろい空き地に、ぽつんと存在する者があった。ここは、まぎれもなく、ヒトの手の入らぬ自然の一部であった。貴様らがいたというのに、貴様らの存在は、なにも自然に影響していなかった」


「……」


「それが今や、見渡せばあきらかに開発された畑があり、絶えず灯りがどこかしらで灯り、たった二人だった場所が、三十人を超える大所帯となった。そして、そしてだ。貴様が、ここを仕切っている」


「そんなことは……」


「受け止めろ、ヴァイスよ。『先達だから』という、たったそれだけの理由で、俺は貴様にダークエルフらのまとめ役を任じた。そしてルージュらリザードマン部隊が来て、指揮系統の整備を行い、貴様はその上の方に位置した。それから、二年。貴様はうまくやっている。誇れ」


「………………はい」


「ふん。ヴァイスよ。『陽光過ぎ去りし暗澹たる闇夜に浮かぶ白き影』よ。この土地にあった自然という暗闇は、貴様という、やせっぽちで小さな光により払われたのだ。そう、貴様の力……」


「……」


「その、たぐいまれなる図太さによって!」


「図太さによって⁉︎」


「借り受けるべき力を、素直に借り受けることができるのは、才能だ。ダークエルフどもを見ろ! あの算数もできぬ連中! 『ルージュになにかを教わるなんて恥です!』と言いつつ、けっきょく勉強を避けているだけのあやつら! あの年齢で足し算も怪しい方が、かつての好敵手にものを教わるより、よほど恥ずかしいわ!」


 昼下がりの農地にはたくさんの人がおり、当然ながら、そのへんでダークエルフが畑の世話をしていたりする。

 あと、最近では農業以外にも石材加工や縄編みなどが時期を定めて行われるようになっており、そういった作業も畑近くでする慣例ができあがりつつあった。


 つまり、ダークエルフにも、ヴァイスより年下の子供たちにも、リザードマンたちにも、闇の竜王の愚痴はとどいているのである……!


 唯一、青牛の世話で少し離れた場所にいるルージュには届いていないかもしれないことが、救いの可能性はあった。


 闇の竜王は話題を戻すためにちょっとだけ笑ってから、


「遠慮せず、拒否せず、借りるべき力を借りられるのは、才能よ。そして、借りたものは返すべきと俺は思うが――借りたものを返すべきと、俺はけっして思ってはおらんのだ」


「ええと……?」


「今でなくともよい」


「……」


「あるいは、返せなくとも、よい。……もちろん、道義的に、借りたら返すべきだ。ダークエルフども! 俺が立て替えた酒場のツケの件は見逃さんぞ! ……『借りたものを返さなくていいんですか⁉︎ やったー!』などというのは論外だが」


「あはは……」


「返すのは、余裕ができてからでも、かまうまい。……そもそもこの俺は闇の竜王。ヒトや『魔』より高位の存在よ。貴様ら脆弱なる生命がこの俺になにかを返済できるなどと、思い上がりもはなはだしい。金銭は返せるがな! ……かたちのないものなど、返せるわけがなかろうよ。ゆえに、俺に遠慮をするな」


「……」


「少なくとも、今の貴様には、俺の貸し付けたものは返せまいよ。フハハハハ! 土地の祝福は土の竜王! 青牛(あおうし)は光の竜王! 石材の切り出しや治水知識は水の竜王! 俺がなにをしたというわけでもないがな! ……俺は、未来の貴様に期待する」


「……はい」


「もっとも、今すぐというわけにもいくまい。そして、いきなりというわけにも、いくまいよ。そしてなにより、たとえそこらにいる連中に話が聞こえていようが、貴様は俺に対し相談をしたのみ。貴様がこの話の結論を告げるべき存在は、他にいよう」


「そう、ですね」


 ヴァイスが視線を向けたのは、彼女の妹だった。


 二年で大きくなりはしたが、まだまだ子供と言える年齢の少女。


「闇の竜王さん、ありがとうございます」


「クククク……!」


 闇の竜王は笑った。


 あれから二年。


 人は成長し、実りは安定し、教育は浸透し、手工業らしきものさえ始まっている。


 だが、竜王たる超越存在にとっては、ほんのまばたきのあいだの時間。

 真っ正直に礼を述べられると照れて笑うしかないという闇の竜王の癖は、未だ、直ることはなかったのだ……

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] ちょいちょい挟まれるダークエルフどもが笑えるw
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ