4話 ご近所さんにお名前をうかがう
「いちばーん。ひふをはぎまーす」
「にばーん。にくをそぎまーす」
「さんばーん。ほねをおりまーす」
「よんばーん。ないぞうをまぜまーす」
「ご! せいいっぱい、がんばります!」
深夜、ボア退治はつつがなく遂行された。
第三者が見れば、竜巻に巻きこまれる木の葉のように蹂躙されたボアの方に同情したかもしれない。
かがり火によりうっすらと照らされた暗闇の中、倒れたボアの周囲では、竜骨兵たちがカチャカチャとおのおのの武器を鳴らし、回り、踊っている。
「見るがいい女よ。竜骨兵どもの勝利の舞いを……獲物をしとめたあとに必ずやるこの踊りも、戦乱期、ニンゲンどもを恐怖のどん底に突き落としたのだ。まあ、踊っている最中は無防備なので、今襲われるとひとたまりもないのだが……」
「えええ……じゃあなんで踊らせるんですか?」
「生き物を殺して無防備に狂喜乱舞する様を見せて、戦争を皮肉っているのだ。さらに! ダンス中の竜骨兵があっという間にやられる姿は、味方どもに『一つの勝ちを拾った程度で油断するな』という教訓を与える……! ククククク……さすが俺。我ながら無駄のない兵卒教育よ……」
「ふ、深いメッセージがおありなんですね……」
「闇の竜王たるもの、一つ一つの行為に複数の意味を込めていかねばならん……なにも考えてないくせに結果だけついて回るから賢そうに見えるだけの『光の』とは違うのだ」
「ひ、『光の』さんとは、仲がよろしくないんですね?」
「馬鹿者。仲良しでなければ堂々と悪態などつけぬ。それとも俺が陰口をたたくような竜王に見えたか?」
「……い、いえ……あまり『竜王』を見たことがなくて、よくわからないです……」
女は困惑していた。
竜王同士の関係性は、ヒトの頭では理解しがたいのかもしれない。
「ともあれ――これで俺も、この畑を貴様と共同で使える」
「は、はい……これからよろしくお願いします」
「――と、言いたいところだが」
「……まさか、共同利用がお気に召さない……?」
「いや。敵はおそらく『群れ』のはずなのだ。しかし、今倒したボアは一体のみ……つまり貴様の依頼は、まだ完遂されていない」
「……なるほど。じゃあ、お願いしてもいいですか……?」
「……先に依頼をされた時にも思ったが、貴様はなかなか図太い性格をしているな」
「ご、ごめんなさい……」
「いや、いい。俺の威容にすくむよりはよほどな。……無知ゆえ、か。貴様はどうにも、だいぶ世間から離れて暮らしていたと見える」
「あ、はい……その、混血ですから。幼い妹と、二人で……ずっと……ええと、ここ数年は、ずっと二人きりです」
「その妹はどうした?」
「家で待たせてあります。もう暗いですし、ボアに襲われたら危ないので……」
「そうか……では明るくなったら改めてあいさつにうかがわねばな……」
「え?」
「……なにを疑問に思う? 田舎ではご近所づきあいが重要なのであろう? あいさつはご近所づきあいの基本だ。……クククク! 竜王たる俺が! 基本などと! おかしいか!?」
「い、いえ、別に……」
「おかしかろうよ! しかし脆弱なる者よ、聞くがいい。基本は大事だ。貴様とてあいさつ抜きでのご近所づきあいなど、想像もつくまい」
「そ、そういうのはちょっと、わからないですけど……」
「……そういえば貴様は世間知らずだったな。よかろう。ならば俺が世間を教えてやる」
「闇の竜王さんは『世間』をご存じなんですか……?」
「よく知らんが、俺は闇の竜王だ。俺に任せろ」
余人からすれば根拠のない自信に思えるだろう。
その実根拠がないので、彼の自信満々の発言を聞いた者はみな一様に困惑する。
「りゅーおーさま、りゅーおーさま、おどりおわりました!」
コンコン、と竜王の後ろ足を叩きながら、竜骨兵ズが言う。
竜王は骨だけの長い首を曲げて、竜骨兵の方を見た。
「そうか。各自、踊りについて報告せよ」
「いちばん、『ぽっぷなりずむ』でおどりました!」
「にばん、『ゆうがでゆうび』におどりました!」
「さんばん、『はげしくあくろばてぃっく』におどりました!」
「よんばん、『のびやかでけんこうてき』におどりました!」
「ごばん、がんばりました!」
「ご苦労、ご苦労。褒美に骨の欠片をくれてやろう。みなで仲良く遊ぶがいい……そう、お気に入りのおもちゃを取り合う愛玩動物のようにな!」
「「「「「わーい!」」」」」
闇の竜王が自分の肋骨を小さくちぎって投げる。
竜骨兵たちは投げられた肋骨の欠片に、我先にと飛びついていった。
「……あ、あの、闇の竜王さん……ヤスリで削ったりちぎったり、痛くないんですか?」
「闇の竜王は痛がらない」
「……な、なるほど?」
「……ああ、そうそう。そういえば、このあたりには貴様の妹もいるのであったな。ならば個体識別のための名称を聞いておく必要があるだろう……ククククク! ごあいさつに事前に備える俺の慧眼に怖れおののくがいい……」
「ええと、それはつまり、名前を名乗ればいいんでしょうか……?」
「そう言っているが」
「ご、ごめんなさい……あの、私は……『十一』です」
「その数字が貴様の名前か?」
「そうです……たぶん、村で十一番目に生まれた混血児だったから……」
女はうつむきがちに言う。
闇の竜王は、コリコリと前脚であごのあたりを掻いて――
「ふむ。では、他の名で呼ぼう」
「え……?」
「俺にとって、貴様は『十一番目の混血児』ではない。『第一村人』だ」
「……」
「だいたい、竜骨兵とネーミングの系列がかぶる。それとも貴様は、俺をいたずらに混乱させるつもりか?」
「い、いえ、そのようなことは……」
「それになんだ、その浮かぬ顔は。この俺が名をたずねてやっているのだぞ? もっと誇らしげに、堂々と名乗れ」
「でも……この名前は……」
「誇れぬ名なら、捨ててしまえ」
「……」
「俺が代わりに、誇れる名をやろう」
「……それは、たとえば、どんな?」
「ほう、我の名付けを欲するか、小さき者よ」
「え、えっと……」
「貴様の前にある選択肢は、二つだ」
「……」
「今ある『十一』という名を誇り、堂々と俺に名乗るか――俺から誇れる名を賜り、それを名乗るか。保留も、他の選択も許さぬぞ。俺に目をつけられたが最後と、己の幸運を誇るがいい。さあ、ヒトよ、選択せよ。貴様ら弱きモノどもが持つ唯一の権利は、『限られた中から己の意思で最良の選択をする』というものだけなのだから」
「…………では、名前を、ください」
「よかろう! 貴様にふさわしき名は……『陽光過ぎ去りし暗澹たる闇夜に浮かぶ白き影』」
「ええええええええ……」
「――という意味を込めた、『ヴァイス』としよう」
「……」
「さあ、約定に従い、その名を誇り、その名を名乗れ。胸を張り、俺を見上げ、己の口でハッキリと語るがいい。――貴様の名は、なんという?」
「……ヴァイスです」
「声が小さい」
「ヴァイスです!」
「……ふむ。まあ、よかろう。それにしても――」
「……?」
「ハッキリしゃべれば、なかなか美しい声をしている。ククククク! これは笑い方を教えたかいがあるというものよ!」
「……あ、ありがとうございます……」
女は――ヴァイスは、もじもと礼を述べた。
その瞬間である。
闇の竜王の、深淵より深き闇を宿した眼窩が、暗い輝きを放った。
「――貴様、今、俺に感謝をしたな?」
「……えっ、あ、は、はい……しました、けど……」
「ならば貴様から、感謝の印を受け取らねばならんな……」
「……そ、そんな……私、あげられるものなんか、なにも……」
「なに、貴様にしかできぬことを、してもらうだけだ。安心しろ。そう難しいことではない……ククククク! 今の俺にはどうしても必要な、しかし足りぬものがある! それを貴様に補わせようと言うだけだ……」
「そ、それはいったい……?」
「今の俺には、家がない……!」
「……」
「神殿とは言わぬ。貴様に建てろとも言わぬ。貴様はただ、このあたりで切ってもいい樹を我に教えるだけでいい……あとは竜骨兵どもにやらせる」
「……あの、それだけでいいんですか?」
「難しいことではなかろう。たったそれだけで俺への感謝を示せるのだ……! 労力としては破格! あまりに破格……!」
闇の竜王は、難しい要求はしない。
相手がなぜか警戒するだけで、別に裏はないのだ……!