47話 二年と少しの月日が流れて
コミカライズ開始記念に連載再開
二年という歳月が流れた。
そのあいだに農地は安定し、生活も、一時期に比べればだいぶ豊かになったと言えよう。
人はあれから増加してはいないが、もともと、混血の二人、翼を生やした二人、ダークエルフの一団に、リザードマンハーフ……
そしてなぜか水の竜王までまだいるので、ちょっとした集落と呼べるぐらいの人員はすでにいた。
その人数を養ってなお余裕があるのだ。
「クックック……ハッハッハ……ハァーハッハッハッハッハ!」
闇の竜王の哄笑が響きわたる……
なんと恐ろしいことか! さんさんと照りつける日差し。すでに季節は実りの時期となり、昼とはいえ少々どころではなく肌寒い……
その冷たい空気に入り混じる、黒い残滓……
それこそが、闇の竜王の放つ、禍々しきオーラ。
そう……
闇の竜王がはしゃいで笑った時にうっかり漏れてしまう、闇のエアロゾルであった。
「声をおさえてください。闇がうつりますよ」
皮も肉もない、巨大な、異形の存在……
見るからにおそろしきこの闇の竜王に語りかける者がある。
それは透き通るような青い髪を長く伸ばし、それを体に巻きつけて要所要所を隠した、幼いヒトの女性に見える生き物であった。
しかしその肉体はほとんどが水でできている。
そう、この女性もまた、ヒトではない……
水の竜王。
『六大竜王』と闇の竜王とともに並び称される、あらゆる生態系の頂点に位置する存在なのであった。
闇の竜王はカタカタと骨のみの巨体をゆすって、こらえきれぬように笑いをこぼす。
「これが笑わずにいられようか! この俺がまさか、これほどまで長くスローライフをするとは……この飽き性の俺がだ! クックック……この退屈極まりないかと思われたスローライフ、まさか気付けば二年もの歳月が経っていようとはな」
まるで、気絶でもしていたかのような二年間であった。
そう、この二年を過ごした記憶が、闇の竜王には乏しいのである――
もちろん、農業にとって時間というのが有限のリソースであり、無意識にぼんやりしている余裕がないのは、闇の竜王とて知るところだ。
かの存在は超越的な力を持ち、ヒトよりはるかに上位の視点を持つものであるが――
あと、闇の竜王が直接農業にかかわる機会はほぼなく、農耕などはすべてヒトがヒトの手によりなしているので、ぶっちゃけただの置き物ではあったが――
それでも、闇の竜王はヒトの視点を持ち、ヒトのように考えることのできる存在であった。
なぜならば、闇とはあらゆる知恵の源なのだ。
ヒトは闇より出でて光に照らされその存在を確固たるものにした。闇の中では己と他者の輪郭さえわからぬ……
しかし、闇の中にもたしかに『いた』のだ。そして、闇の中はまったく見通せないだけに、なにもかもがいる――すなわち、言ったもの勝ちなのである。
全知を持つのは光の竜王の領分ではあるが……
闇もまた、あきらかならざるすべての知識がそこに眠っている。
闇の竜王は、すべてを知っていると述べても過言ではなかった。
ただ、光に照らされぬものの輪郭が不鮮明なように、闇に眠る知識すべてを鮮明に思い返すことが叶わないだけの話だ。
そう、知ってるのだ……出てこないだけで、知ってはいる……なにもかもが喉まで出かかっている……そういった存在なのであった。
「ところで『水の』、貴様の成そうとしていることは、かたちになりそうなのか?」
闇の竜王は深淵なる暗闇を秘めた眼窩で、農耕に励む人々を捉えながら、話題を変えた。
『水の竜王』が成そうとしていたこと――
かの存在は農耕が安定期に入るきざしを見て、商業に手を出そうとしたのだ。
しかし、水の竜王はろくでもないので、その提案たるや、不安が大きすぎる。
なので無視して放置するのが安定と思われたが……
水の竜王は、商業を始めるのをいったんおいておいて、その準備だけを推進していたのだ。
つまり――教育。
読み書き計算である。
もっとも新しいメンバーであるリザードマンハーフのルージュを除くと、この集落のメンバーの平均学力は低い。
ダークエルフどもには闇の竜王てずから読み書き計算を教えた。
……しかし、やつらは脳筋……
しかも『こんな複雑な計算を覚えたところで、将来役なんの役に立つというんですか!』などという反論をしてくるタイプの脳筋であった。
これに教育をほどこす苦労たるや、闇の竜王の心をも折りかけたほどである。
だが、計算は必要だし、勉強は必要なのだ。
計算というのは獲った敵の首の数を数える以外にもさまざまなことに役立つし、教育というものは可能性を広げ、思考方法を身につけるために必要だ。
ゆえに、ダークエルフどもの再教育に加え、ヴァイスやムートといった教育の機会に恵まれなかった者たちが教養を身につける機会は必要で――
その結果、『教育をする』という水の竜王の活動を止める理由を、闇の竜王は捻出できなかったのである。
そして、教育の先には、さまざまな可能性があり……
もしも、ヴァイスやムートらが己の意思で商売の道を選べば、闇の竜王はこれを止めるつもりはないのであった。
水の竜王は勝手なことをしないという約束でここにおかれている立場だが、たしかに、かの者は勝手なことをしなかった。
必要なことをして、己の目的を叶えようとしているのである。
「『水の』、貴様は、なぜ、ここを世界とつなげようとする?」
闇の竜王は声をおさえて問いかける。
闇のエアロゾル飛散を防止した声量であった。
水の竜王は楚々とした様子で微笑み、
「世界、あるいは他者……そういったものとつながるのに、いちいち『なぜ』などと理由を求めるから、あなたは闇なのです」
「ほう」
「いいですか、闇の竜王よ――断言しましょう。ヒトは、みな、『つながりたい』という根源的な願望を持っています。さらに言えば、つながって、褒められたいという、願望。すなわち……承認欲求です」
「フハハハハ! だが、世には自ら隠遁し、世間との関わりを断つ者もあろう」
「そっちが、変わり者なのです。つながりたい、大きな群れの一部となって、さほどえらくはなくていいから、とにかくみんなにチヤホヤされたい――それこそが自然な、ヒトのあるべき姿なのですよ」
「では、それが真実としよう。して、なぜ、貴様は……ヒトならざる竜王たる貴様は、この畑の者どもを世界とつなげたがる? ヒトの承認欲求とやらについていくら解説をしようとも、それは貴様の行動原理の説明にはなっておらんではないか」
「なにをおっしゃいますか。わたくしは、評価されるのが大好きです」
「……」
「たびたびヒトの世に降り立って、治水などをし、時には川の氾濫などをおさめたのもすべて、ヒトにあがめられるためにおこなったこと。その結果、ヒトの土地にはわたくしを祀る神殿があまた存在し、わたくしという神を祀るものが最大宗教となりました」
「……」
「ちょう気持ちいい」
「……フハハハハ! そういえば貴様、そんなやつであったな!」
「そうです。お忘れとは……ひょっとしてわたくしとの会話まで二年ぶりとおっしゃらないでしょうね?」
そんな気もしたが、闇の竜王が司るのは闇である。
真相もまた闇の中だ。
水の竜王は清らかな表情で瞳を閉じ、その聖性さえ感じさせる横顔を闇の竜王に見せたまま、続ける。
「わたくしが、かかわった、この土地。そろそろ……他者に自慢をしたいのです」
「貴様は本当に己のことだけしか考えておらんな!」
「映えますよ、この土地は。たびたびヒトの世でムーブメントを起こしてきたわたくしには、わかります。……この土地を人々に知らしめれば、きっと流行る。そしてそれは、この土地に住まう彼女らのためにもなりましょう」
「……」
「おわかりの様子。……『魔』とヒトの混血たる者ども。未だその差別の根は深く、それは永遠に解決せぬ、ヒトがヒトであるゆえの問題でしょう。しかし、解決したかのように感じさせることは、できる。『受け入れられる』ための第一歩こそ、流行なのです」
「ふん」
「それとも、あなたは、彼女たちが死ぬまでここで彼女らを庇護すると、断言できますか?」
話題の飛躍――
の、ように思う者もいよう。
バズらせるか、死ぬまで庇護するか。
この二者択一に見えない問いかけは、しかし、たしかに、二者択一なのだ。
彼女ら自身の力……魅力で、この農地を世界とつなげるのか。
あるいは闇の竜王という後ろ盾で、この土地に手出しをさせないようにするのか。
……ここは人里から離れてはいるが、ヒトはこうしているあいだにもどんどんその版図を広げ、全ての土地を支配下におくまで、そう間はないだろう。
ならばいずれここも見つかり――
その時に、取り上げられないために。
あるいは取り上げられても生きていくために、『なにか』をせねばならない。
強者の後ろ盾にすがるか、彼女ら自身が世界から弾かれない者になるか。
そして闇の竜王は、己を頼り、すがるだけの者を好まない。
より正しくは、庇護をしすぎて、そうしてしまうことを好まないのだった。
「クックック……ハッハッハ……ハァーハッハッハッハッハ!」
闇の竜王の哄笑が響き渡る。
この土地で暮らす者にとって、もはや慣れ親しんだ大笑いだ。
農耕をしている者たちも、気にする様子はいっさいない。
しかし、闇の竜王は考えねばならなかった。
この笑いが、この場所から消える日のこと――
そう遠くない未来の、彼女たちの行く末を。
今後は平日(土日、祝日を除く)の20時に毎日投稿していきたいと考えています
つまり連載再開直後ですが、明日とあさっては更新お休みです