45話 とあるリザードマンハーフとのあれこれ
「あなた、リザードマンとの混血なんですか?」
ヴァイスというのは真っ白い少女だった。
獣人系の特徴――ふわふわの白い獣耳と、腰の後ろに伸びる、毛でふくらんだ尻尾。
そして、どの種族の特徴なのか、あまりにも白すぎる肌。
混血。
純粋な人や魔が『混血なのか』と述べる時、そこには侮蔑が混じる。
しかし、混血が混血に対し言うぶんには、そういった他意はないだろう。
というか――
ヴァイスはだいぶかわいい。
まだ十代前半であろう幼さを見せる彼女は、そばに油ぎったオジサンか脳筋女しかいなかったルージュには、だいぶ刺激が強い存在だった。
竜の末裔と言われるリザードマンは気分が体調に出やすく(竜王たちを見れば彼らが非常に気分屋なのがうかがえるだろう。その性質を持っているのだ)、対面しているだけでかわいさのあまり鼻血を出しかねないほどであった。
ルージュは赤い瞳をキョドキョドと動かしつつ、鼻血が出ていないかたしかめるためにも口元を片手で覆って、
「い、いかにも。君も混血のようだが」
「あ、はい。わ、私は両親の姿を知りませんけど……」
「そうだったか。まあ混血ならば珍しいというほどでもない。……私は見ての通り、リザードマンと人間の混血だ。名はルージュという。これからこの集落でスローライフを送らせてもらう予定だ。よろしく」
ルージュは片手を差し出した。
が、これは失敗だった――つい仕事で大人相手にするように友好の握手を求めたが、今の自分がヴァイスに手を握られたら、鼻血を噴きかねない。
ヴァイスは――
木漏れ日に照らされて白黒まだらになった可憐な少女は、一瞬困惑を見せた。
しかし、おずおずと、真横でイモが実り続ける畝を踏み、一歩前へ出て、ルージュの手をつかむ。
「よ、よろしくお願いします……」
「ふうううううう……!」
「ど、どうしました!?」
「……いや。なんでもない。私は深呼吸が趣味なんだ。たびたびするかもしれないが、それは別に精神の高ぶりを抑えるためなどではなく、純然たる趣味で新鮮な空気を吸っているだけなので、気にしないでくれるとありがたい」
「は、はい……」
すごい早口でまくしたててしまったせいか、ヴァイスはちょっと引いているように見えた。
ルージュはこれ以上墓穴を掘る前に次の話題へ移る。
「それで、えっと……そう! 仕事だ。君に言えばここでやるべきことを示してもらえるのだと水の竜王に聞いたのだが……」
「あ、はい。ここでやっているのは、主に畑仕事、あと獣避けの柵を作ったり、狩りをしたり、狩ったお肉をさばいて保存用、衣服用などに部位分けしたり……それ以外にも仕事が増えることはありますけど」
「仕事が増えるか。まあたしかに、これだけ整備されていない環境であれば、予定外のことも起ころう」
「それもありますけど、闇の竜王さんが時々思いつくので」
「思いつく?」
「仕事を」
「……なんだそれは……ああ、いや、まあ、竜王だものな。彼の存在らは基本的に気まぐれ……我らに彼らの考えをおもんばかることなど適わぬ超越存在だ。言わば神にも等しい。そのような者らならば、気まぐれにタスクを増やすこともあろう」
「……あ、たしかに、気さくで忘れそうになりますけど、すごい力を持ってらっしゃいますものね……」
「……気さく?」
「竜王のみなさんは、気さくな方々では?」
「……ひどい認識の齟齬があるようだ。竜王といえば、恐怖の象徴であり畏怖の対象……軽々に口を利くこともかなわぬ『具現化された大自然の脅威』なのだぞ」
「そうなんですか?」
「うむ。……戦争中には特に様々な逸話が人口に膾炙した……曰く『闇の竜王と目を合わせた者は、その精神を永遠に闇に封じられる』だとか、曰く『炎の竜王の怒りをかったならば、その者は子々孫々まで業火で焼かれ続ける』だとか……あとは『戦争に疲れたみなさまには水の竜王が癒しを与える』……まあこれは宗教の宣伝か……」
「へえ……」
「……君の年齢ならば、戦争中まだ生まれていなかったということもなかろうに。まあ、もっとも激しかった時代に産まれていたかは怪しいが、それだって、幼いころ、保護者に語り聞かされることがなかったか?」
「私、戦争が起きていたことも知らなかったんです」
「……それはずいぶん、特殊な環境で育ったものだな」
「はい。ですから、ここに来て、なにもかもが初めてで……一時は死ぬしかないと思った時もありましたけど、今、みなさんが来て、色々なことができて、色々な話を聞けて……そういう毎日が、すごく楽しいんです」
「ぐふぅ」
「どうしました!?」
「いや」
ルージュは胸をおさえた。
ヴァイスの今の発言から感じられた切なさとか、可憐さとか、そういったもので心臓が破裂するかと思ったのだ。
「大丈夫、大丈夫だ……そ、そうだ。それよりも、ここでのみなの仕事ぶりについて、一つ提言があるのだが」
「なんでしょう?」
「うむ。少し様子を見させてもらった限りなのだが、ここでは『役割分担』やら『上下』やらがないように感じられる。身分制度と聞くとよくないものを想像することも多いのだろうが、ある程度の制度作りは効率的な組織運営において重要な――」
「あ、あの」
「……なんだ?」
「すみません、タイミングが悪いんですけど……向こうから妹たちが来たので、先にごあいさつさせても?」
「……まあ、そうだな。私の率いてきたリザードマン隊も紹介したいし、呼ぶか」
と、そこまで言って、ルージュは人生最大の危機がすぐそこに迫っていると気付く。
――妹たち。
大丈夫だろうか?
ヴァイスと対面しただけでも鼻血を出しかけた。
彼女と会話しているだけでも一度死にかけたのだ――かわいさで。
そこに妹たちが加わる。
可愛死しないか?
「……」
「る、ルージュさん、どうされたんですか?」
「……リザードマン部隊! 方陣展開!」
鋭い号令が牧歌的な集落の昼下がりに響き渡る。
すると、方々に散っていた――主にダークエルフたちと腕相撲などしていた――リザードマン部隊が集結し、ルージュとヴァイスを円状に取り囲んだ。
屈強で大きい――身長にしてヴァイスの倍はあろう、半袖半ズボンの『キャンプを満喫するぞ』みたいな服装の、緑ウロコに覆われたリザードマンどもが、あっというまにヴァイスたちの姿を周囲から覆い隠してしまう。
「ルージュさん!? これはなんですか!?」
「……」
ルージュは答えない。
向こう側から来る気配に意識を集中しているのだ。
向こう側――すなわち、畑の方向、ルージュの背中側から迫り来る三つの気配。
『妹たち』の気配に!
「……ヴァイスさん、これは、命のかかった戦い……言わば戦争なのだ」
「すみません、まるで意味がわからないのですが」
「君の妹たちが私の死因になる可能性がある。なのでこちらは最大戦力を展開して挑む。それだけの単純な話だ」
「ムートたちは命を狙ったりしませんよ!?」
「それはそうだろう。命を狙われるのではない。君の妹たちを見て、私が勝手に死ぬ恐れがあるのだ」
ヴァイスはさっぱり理解できていない様子だった。
そのヴァイスに、周囲のリザードマンたちから補足説明があった。
「オス! 隊長は脂っこいオジサンと筋骨隆々の男しか見ない人生を送ってきたのであります!」
「オス! なので可憐な少女を見ると、今ままでの人生を儚んだり、かわいすぎたりして死ぬ可能性があるのであります!」
「オス! なので隊長に自分の子供を見せたりもできないのであります!」
「馬鹿者どもめ。私とて孤児院訪問で多少は慣れた。だが――ヴァイスさんの妹だ。並の戦力ではない可能性がある。気を引き締めろ! あとお前の子供には今度あいさつに行く!」
「「「「「「「「「「「「「「「オス!!」」」」」」」」」」」」」」」
リザードマンたちが気を引き締める。
それだけであたりの空気は重苦しくなり、気勢にあてられて周囲の木々からは小鳥が飛び立ち、戦場のような空気にあてられフラフラとダークエルフたちが集まり始めた。
そんな中……
小さな足が畝を踏む音が三つ、近付いてくる。
「前衛! 様子を報告せよ!」
「オス! 隊長にはお見せできないものと判断されます!」
「なんだと!? 孤児院で慣れたことをふまえてもか!」
「オス! 即死します! ……しかし」
「なんだ」
「あれは……翼?」
「報告は明瞭に!」
「お、オス! 翼の生えた金髪の少女が二人……自分の見間違えでなければ……」
「翼が生えているだと!? それでは伝承にある『天界』に棲まうとされる天使ではないか! 幻や見間違えではないのか!?」
「い、いや、しかし……しかし、あれは……あまりにも……」
「『あまりにも』なんだ!?」
「――あまりにも、かわいすぎる」
――その言葉とともに、前衛を固めるリザードマンが吹き飛んだ。
調教された戦闘用赤牛の突撃さえ止める屈強なリザードマンの精鋭が、なすすべもなく吹き飛び、あるいは崩れ落ちていく。
ある者は「家に妻子を残してなんで俺はスローライフなんか……」と言い残して倒れ伏し……
ある者は「だ、ダメだ……! これは、触っただけで逮捕される……!」と言いながら自ら吹き飛ぶ。
そうして前衛をあっさり砕いて、ルージュの目の前に三名の幼子が姿を現わした。
「――」
刮目せざるを得ない。
それは『かわいさ』という名の奇跡。
覚悟は、あった。
ヴァイスの妹御ならば、それはさぞかしかわいいのだろうと、そういう覚悟はしていたし、実際に警戒もしたのだ。
しかしそんなものを易々ぶち抜く、圧倒的な破壊力。
額に小さな角の生えた、真っ白い少女がいた。
背から翼を生やした、金髪の双子がいた。
彼女らは『この人たちなんなんだろう?』というような不可解そうな表情であたりを見ながら、ルージュに向けてゆったりと歩いてくる。
「ゴフゥッ!?」
ルージュは口元を手でおさえた。
その手の隙間からは、おびただしい量の血がこぼれ、ボタボタと地面に落ちている。
これはすべて――鼻血だ。
「る、ルージュさん!? 大丈夫ですか!?」
後ろにいたヴァイスが、真横にまわりこんで、ルージュに顔を寄せてくる。
なんて――綺麗な顔をしているのだろう。
真っ白い肌に白い瞳。
陽光を受けてきらめく白い髪。
うっすら顔に生えたうぶ毛さえもキラキラと輝いていて、こんな、こんな……
「……大丈夫だ。しかし、今日は休ませてもらってもいいか?」
「あ、はい。長旅でお疲れでしょうし……あ、でも家がないんですよね?」
「……そういえばそうだった」
「しばらくうちで休まれますか? 看病もしないと……」
「いや、大丈夫だ。地面の上でも横になれる」
「ダメです! 体に不調が出たなら、きちんと休まないと!」
気が弱いと見られたヴァイスの、意外なほど強い言葉だった。
ルージュは「そ、そうか、では頼む」と気圧されて返事をするしかなかった。
このあと、やけにつきっきりで看病されてさらに死にかけるのだけれど、それはまた別なお話――




