41話 お風呂(牛)
「ンモォ~。いい湯だわねえ……」
「フハハハハ! 己の乳でできた風呂に浸かるとは、なんとも奇妙なものだな!」
真夜中。
闇の竜王と『青牛』が、ミルク風呂に浸かっている。
すでに彼の者ら以外すべてが寝静まっている時刻だ。
二者の耳にとどくのは、風が奏でる葉擦れの音、樹が鳴らす風鳴り、虫や鳥など野生動物の声、そして――
もぉぉぉぉぉぉおぉぉぉぉぉぉ~おふろ~だよ~♪
きょうもつ~か~れ~て~♪
みんなつ~か~れ~て~♪
ウゥゥゥオ~オ~イェーイイェ~イイェ~エ♪
フフフンフンフンフンフンフフフフンフンフンフン♪
バラード調で響き渡る、名状しがたき音曲……
闇の竜王の周囲で楽器を奏で、踊り、泳ぎ、水をかけあい遊ぶ竜骨兵どもの歌声のみだ。
「ところで闇の竜王ちゃん、途中から歌詞が全部『うおー』とか『いえーい』なのはなんでなんだい?」
「ほう、青牛よ、貴様、その秘密に触れるか」
もしこの場を見る第三者がいたならば――
質問された瞬間、闇の竜王の肉体がふくれあがったかのような錯覚を覚えただろう。
事実、ふくれあがっている
骨のみの、肉も皮もない、ドラゴン。
その肉体は六大竜王の中でも小柄な部類に入る――しかし、彼の竜王が常に見せている骨の体は、文字通り『骨格』にしか過ぎない。
その本体は、闇。
広がる夜闇よりもなお暗く黒い深淵なる闇のオーラを身にまとったがゆえに、その存在感は増大している。
その圧力、迫力、威圧感たるや!
並大抵の者ならば、対面しただけで失禁はまぬがれず、一瞬後に己の死する姿を幻視することであろう。
だが――
青牛は「ンモォ~」と鳴き、
「気になるわねぇ」
「クククク……! よかろう、ならば教えてやる……! 竜骨兵どもの歌が、途中から歌詞として意味をなさぬものとなる、その理由は……」
「……」
「歌詞を考えながら歌っているので、前半だけで力尽きるからよ……!」
そう、闇の竜王は『あらかじめ考えておく』とか『前もって用意しておく』のが苦手……!
その骨粉にて形作られる闇の竜王の手足――竜骨兵たちも、主たる竜王の素養を色濃く受け継いでいるのだ……!
「なるほどねぇ……ンモッモッモッモ」
青牛は肩を揺らして笑った。
若い女性の声なのに、どことなく熟年女性のような雰囲気を持つ彼女は、ぱちゃりと尻尾で湯の表面をかき混ぜ――
「アタシたちはみんな、未来を思わず生きているのねぇ」
「未来! 未来と言ったか! フハハハハ!」
「ンモモモモモ!」
「青牛よ! ただの家畜に過ぎなかった貴様よ! ……ヒトや魔という『知的生命』ではなかった貴様ならばわかるはずだ。『未来を想う』などというのが、いかに愚かなことか」
「ンモゥ」
「相づちなのか疑問なのかわからん! ……ともかくだ。知恵を授かった生命は、ありもしない未来を描き不安を抱く……そのなんと無意味なことか!」
「でも闇の竜王ちゃん、ヒトっていうのは未来を見据えるから、今をがんばれるんじゃないの?」
「フハハハハ! 牛がヒトを語るか!」
「骨だってヒトを語るんだもの。乳牛が語ったっていいじゃない」
「それもそうよな! ……『先』を見るのはいい。だが、『未来の不安』を見るのはよろしくない。不安を見据えた時、ヒトは止まってしまうのだ。『これ以上悪くならないように』と思い、守りに入る……それを俺は好まぬ」
「ンモ~」
「『未来』という言葉には様々なものが入り交じりすぎ、多くのものが見える時、ヒトはなぜか不安や絶望ばかりに目を向ける。……それゆえに、ヒトは未来を見据えるべきではないと考える。見据えるべきは不安混じりの『未来』ではなく、『希望』のみであるべきなのだ」
「……あらあら」
「どうした青牛よ」
「闇の竜王ちゃんは、考えていないのに考えているのねえ」
「ククク……! この闇の竜王、『なんでもまずはやってみる』が信条よ! 『考える』もまずはやってみたことがある。が――うまくいかん。……いや、違うな。うまくいきすぎる」
闇の竜王は空を見上げた。
真っ暗なそこの中央には、大きな大きな、まん丸い天体が白く輝いている。
「ヒトでも魔でも混血でもない貴様相手だから言うがな。俺が――ダークエルフを拾い、これを戯れに育てようと思った時のことよ」
「お乳の扱いが下手な子たちねぇ?」
「覚え方! ……だが、そうよな。連中はがさつで不器用に育った」
「『うまくいきすぎた』結果かしら?」
「……実のところ、そうだ。当時、世界は戦争のまっただ中だった。俺は、連中を『戦時下を生き抜く』ということに特化させ、育て上げた」
「……」
「その結果生まれたのは、『戦争』に特化した生命よ。……クククク! 光の竜王も『仙人』の島で似たようなことをしていたが――俺はな、望み通りに連中を育てすぎた結果、俺の望み損ねた環境で生きられぬ存在を創り上げてしまったのだ。平和な時代を想定していなかった俺に育てられた連中は、平和な時代に適応できぬ者となってしまった」
「ンモゥ」
「ヒトは無駄なことをすべきなのだ。だが、我ら竜王が目的を持って他者を育てた時、目的に特化したモノを簡単に創り上げてしまう。おそらく、ヒトのみならず、環境にも、世界にも、きっとそのように影響してしまうのだろう。……俺はそれを嫌い、『望まぬ』『考えぬ』という生き方を、考えた末に望んだ」
「苦労してるのねぇ」
「クックック……ハッハッハ……ハァーハッハッハ!」
「モーモッモッモ!」
「これが笑わずにいられようか! この俺さえ、これだけ長い年月を過ごした果てに『学び』『変わった』のだ! ……だからな、ダークエルフどもも、『学び』『変われる』はずなのだ」
「……そうかもしれないわねぇ」
「ゆえに、青牛よ……貴様も連中に学びを与えてやってほしい。乳の絞り方一つでなにかが劇的に変わるわけではなかろうが、それを含めたここでの生活で行う様々な作業が、連中に『他者の痛み』『力加減』『協調性』『社会性』などを与えてくれればと、俺は望む」
「いつになったらあの子たちは、アタシの乳の絞り方を覚えるのかしらねぇ」
「フハハハハ! たしかに気の長い話よな! ……さて、珍しく真面目な話をしてしまった。――竜骨兵どもよ! なにか気分の明るくなる音楽を奏でよ!」
「いちばん! 『りーどぼーかる』やります!」
「にばん! 『ぼいすべーす』やります!」
「さんばん! 『ぼいすぱーかっしょん』やるの!」
「よんばん……『くちぶえ』をふくぜ……!」
「ごばん! 『はもり』ます!」
ハイ! ハイ! ハイ! ハイ! ハイ! ハイ! ハイ! ハイ!
ウォウウォウォウォ~♪
フンフンフーン♪
おかしのいえ~♪
あまい~♪
フンフンハァァァン♪
ハイ! ハイ! ハイ! ハイ! ハイ! ハイ! ハイ! ハイ!
とっくに考え疲れた竜骨兵たちの、『合いの手のあいだに、たまに意味のある言語が混じる』という歌が、明るく、楽しく、響き渡る。
人知れず――夜が明けていく。
ヒト知れないがゆえに、ヒトの知らぬ舞台裏が少しだけ語られた、夜が。