39話 無限に乳の出る乳牛にも優しさを
「ンモォォォォ……」
突如家の柱が叩かれ、そのような声が呼びかけてきた。
真夜中である。
全員が寝静まった暗闇の中、ちょっと油断していたのもあって、闇の竜王はおどろき、家の天井に頭をぶつけてしまう。
たったそれっぽっちの衝撃だったけれど、建て付けの甘い石の寝所はグラグラと揺れた。
「ンモォォォォォ」
「なんだ貴様……『青牛』ではないか」
暗闇の中、ぼんやり浮かび上がるのは、その名の通り真っ青な毛並みの牛であった。
彼女は『仙人』のいる浮島よりもたらされた、この集落のミルク需要を一手に担う存在である。
その『川のごとく流れる』とされる乳はミルク風呂を始め、飲用として、それから『イモミルク粥』の材料として集落で広く愛されている。
闇の竜王を正面にすれば小さくも見えるが、青牛は牛なので、これでも結構な大きさである。
ムート、ニヒツ、クラールの幼少組ならば、三人乗っても大丈夫だろう。
「ンモゥ……モゥ……モ”ッ!」
「ええい、なにを言っているかわからん! ……竜骨兵!」
「いちばん! りゅーおーさまの『ほね』をけずります!」
「にばん! けずった『ほね』の『こな』をあつめます!」
「さんばん! あつめた『こな』を『みず』にまぜりゅ!」
「よんばん……『あおうし』のくちに、『みず』をのませるぜ……」
「ごばん! 『あおうし』さんがむせたら、せなかをさすります!」
「ンモォォォォォ!?」
暴力的なまでの連携で青牛の口の中に水(闇の竜王入り)が運ばれていく。
小さな体をした竜骨兵どもがかわいらしい声でわーわーしながら牛の体を押さえつけ無理矢理水を飲ませる様子は、もし家畜が抑えつけられて無理矢理口にものを入れられるシチュエーションで興奮する者であれば興奮したかもしれない。
「ンモッ……ンモォ……も……あら! しゃべれる!」
「フハハハハハ! 俺の骨粉はだいたいの無茶を可能にする代物よ! その効果は闇……すなわち、効果のすべては俺さえ把握できておらん……! 無限の可能性を秘めているというわけよ!」
そして副作用の可能性も無限大である。
しかし闇の竜王、過去よりも未来、未来よりも今を見る者。闇の中では己の足もとをこそ注視すべきであり、先のことは先で考えるしかないのだ。
「そして青牛よ……貴様、真夜中の俺の寝所に体当たりをするとは、よほどの事情なくば許されぬぞ。こうして話せるようになったのだ。思うところを述べてみよ」
「そーなのよ! ちょっと闇の竜王ちゃん、聞いてちょうだい!」
思ったより若い女性みたいな声でしゃべる青牛である。
しゃべりかたはおばさんだけれど……
「アタシはねえ、言いたいの! ちょっとあの褐色の子たち、女の扱いをわかっていなさすぎるんじゃなくて?」
「……ダークエルフどもか。……フハハハハ! あやつらは武器の扱い以外はてんで素人よ! 女性男性家畜問わず、扱いになど慣れておらんわ!」
「あの子らがあんまりにも強くアタシのお乳を絞るもんだから、乳首がヒリヒリするのよ!」
「ふむ、なるほど」
「それでねェ。たまらず直談判に来たってワケ!」
「なるほど。……ククククク! 牛が直談判に来るほどとはな! これはひどい! ……しかし貴様からの伝言を俺が伝えただけでは、連中は加減などわからなかろう。なぜならば連中は頭があんまりよくない……まして力加減は『最強』と『無』以外に選択肢のなき者ども! 連中には『優しく』という概念がわからぬのだ……」
「あらあ、困ったわねェ。どうすりゃいいんだか」
「貴様、乳を無理矢理絞られることには辟易しておらんのか? この俺は個性を尊重する者よ。貴様が乳牛生活に嫌気が差したというなら、その意思を尊重するが……」
「……闇の竜王ちゃん、あなたはアタシら青牛の生態を知らないようねェ」
「ふむ。つまり、なんだ?」
「アタシらは……定期的に乳を搾られなければ死んでしまうのよ」
「……なんだと?」
「品種改良の成果でねェ。あまりにも乳を搾られなさすぎると、おっぱいが張って張って、張って、張って……」
「……」
「パァン!」
「…………本当か」
「ええ。それにね、アタシらは乳を搾られるの好きだから、いいのよ、絞られるのは。ただ、強引に力任せでやられるばかりだと、気持ちよくないじゃない? 優しく、愛おしくやってほしいっていうだけなのよ」
「なるほど」
力加減以外に不満はないらしい。
だが、闇の竜王は『力加減』を教えることが苦手だ――なぜならばその身は骨。痛みはあんまり感じないので、『滅亡』と『創世』のあいだの力加減がない。
かといって『上手な乳搾り』などという科目を教えられる者はいないだろう。
ダークエルフ以外は問題なくできているっぽいが、褐色マッチョのダークエルフたちに、ヴァイスやムートなどが乳搾りを教えるという図はなにかイヤだ。
闇の竜王は考え――思いつく。
「では――貴様が指導してはどうだ?」
「アタシが? 乳搾りを?」
「そうだ。貴様の望む力加減ならば、貴様が指導するのが一番よかろう。……フハハハ! 幸いにも、俺の骨粉さえあれば、貴様にはそうして言語も知能も備わる! 加えてダークエルフどもはその場その場で指導されなければ難しいことは覚えられぬ身! であれば貴様が実地指導をするのがもっともよかろう!」
「なるほどねェ。闇の竜王ちゃんは色々考えているのね。偉いわぁ」
「ククククク! この俺に『考え』などない! すべては闇の中より突如生じる――すなわち思いつきよ!」
「いいのよォ、謙遜しなくて。青牛さんはみんなお見通しなんですからねェ」
「……貴様の相手はやりにくいな!」
「ンモモモモ」
「……なんだ今のは」
「笑ったのよ」
「ククククク! 面白い笑い声ではないか! ……よし、明日から貴様の食事に俺の骨粉を混ぜてやろう。継続的に俺の骨粉を接種することで知力を維持できるはずだ。幼少組に人気が出てしまい、消すに消せず今の今まで維持し続けている竜骨兵どものようにな!」
「優しいのねェ、闇の竜王ちゃん」
「クックック……ハッハッハ……ハァーハッハッハ!」
闇の竜王は笑ってごまかした。
なお、翌日から、『妙にねっとりしたしゃべりで乳の絞りかたを指導する女性の声』が集落内に響くようになるが――
その教育に悪い響きが問題視されるのは、まだまだ先の話である……