35話 ムートの交友関係
「む、む、む、む……」
「……」
「むうーと!」
「クックック……ハッハッッハ……ハァーハッハッハ!」
「はぁーはっはっは!」
昼時の畑に響きわたるのは、骨と幼女の笑い声だ。
骨は闇の竜王。
肉も皮もない、骨のみのドラゴン。
彼は巨大な体を丸めて、壁のない石の寝所の中ですべてを――スローライフのすべてを見つめている。
幼女はムートだ。
白い毛並みに、同じ色の毛が生えた、三角形の獣耳と、尻尾――
そして額にちょこんと生えた黄色い小さな角が特徴的な、混血だ。
なにせ昼時の畑なので多くの人がいて、最初はこの二人が突然笑ったことにおどろき、視線を向ける者もいたが……
しばらく注目して、『なんだ、あいつらか』ということがわかると、各々の仕事に戻っていく。
自給自足スローライフは仕事が盛りだくさんなのだ。
笑う幼女と骨にかまっている暇は、あまりない。
「……して、ムートよ、いったいなんの用事なのだ」
闇の竜王は重苦しい声で問いかける。
ムートの叫びに反応して笑ってはみたものの、ムートがなんでいきなり目の前で名乗りを上げたのかはさっぱりわかっていない。
闇の竜王は困っても笑うし、わけがわからなくても笑うし、笑いたい時にも笑うのだ。
ムートは闇の竜王の頭骨近くに身を寄せると、内緒話でもするように顔を寄せてきた。
闇の竜王も長い首を動かし、ムートに耳あたりを近付ける。
「むうーとは、ないしょの、はなしが、あって、きた……」
「そうか」
内緒の話があったんだって。
最初に大声で名乗らないほうが、内緒性が高かったようにも思える。
しかし闇の竜王はそんな野暮な指摘はしない。
なにせ本竜がそもそも意味なくよく笑うのだ。
そう、闇の竜王は知っている――会話には勢い付けが必要なのである。
「くらりんの、ことで……」
「……くらりん」
「くらりん……くらーりん……くらあ、くらあ……」
「クラールか」
「くらりん」
くらりんというのは、『仙人』と呼ばれる有翼人種の双子――の、男のほうだ。
金髪碧眼で、女の子寄りの容姿をしている。
そのかわいらしい見た目のせいで、ダークエルフ(♂)たちとの混浴シーン(男+骨の混浴)は、妙に犯罪的な光景となったものだ。
「くらりんが、むうーとと、なかよくしてくれない……」
「……ふむ」
「ずっと、ふるえている……むうーとを、こわがる……」
「ふむ」
「なぜ?」
「フハハハハハ! 知らんわ!」
「……」
「しかしムートよ、貴様とて愚か者ではあるまい……己でなにも考えずに突然俺を頼ったわけではなく、おそらく、様々なことを考えたうえで、己だけでは答えがわからず、俺を頼った……そうであろう?」
「そう……」
「であれば貴様の姉のヴァイスには聞いたのか? ヴァイスのほうが、俺よりも、貴様ら幼少三人組と過ごしている時間は長いであろう」
「おねーちゃんは……なにも、おしえて、くれない」
「……教えてくれない?」
「そう……くらりんのことをきくと、なぜか、おこられる……」
「なぜだ」
「なぞ……」
「……クックック……! なるほど。謎はすべて解けた」
「おお……あたまの、くるくる、なのねー」
「回転が速いと言いたいのか、頭が悪いと言いたいのか……ククク! まあ、好意的に解釈し前者としよう。この闇の竜王、どちらともとれる発言は、基本的に己を賞賛する言葉と受け取ることにしている……! それこそが毎日を楽しく生きるコツよ!」
「こつ」
「ヴァイスがなにかを黙っている。そして、クラールのことを話題に出すと怒る。その理由は……」
「……ごくり」
「ヴァイスに直接聞けばいい!」
「えええ」
「フハハハハハ! この闇の竜王、謎解きなどというまだるっこしい真似はせぬ! 答えを知る者あらば、答えを聞くのが一番だ! ムートよ、この俺の名のもとに、ヴァイスをこの場に呼んでくるがいい!」
「あいあい!」
「急ぎすぎて転ぶなよ!」
「あい!」
◆
ヴァイスが闇の竜王のもとに召喚された。
「……あの、闇の竜王さん、どういうご用件のお呼び出しでしょう……?」
びくびくしながら、おずおずと問いかける。
この獣人と肌の白いなにがしかの種族の混血は、いつだって態度がおどおどしている。
しかし闇の竜王は知っている……ヴァイスのおどおどした感じはあくまで表面上のもので、その内面は決して弱くないことを。
「フハハハハ! なに、ムートがクラールの話題を出すと、貴様がムートのことを怒るというのでな! その真意を、俺も気にしたまでよ」
「ああ……そのことですか。……うーん、やっぱりムートにはわかってもらえてなかったみたいですね……」
「ふむ。前置きはいい。なぜ貴様はムートを叱った?」
「それはですね、ムートが、クラールくんに無茶ぶりをするからです」
「……無茶ぶり?」
「木登りとか、高い場所から飛び降りたりとか、川で泳がせたりとか、そういう……」
「どれも代表的な子供の遊びに聞こえるが?」
「それはそうなんですけど、クラールくんはあんまり楽しんでいないっていうか……あの子、大人しいところがあるじゃないですか」
「うむ」
「ムートは善意でやってると思うんですけど、嗜好の違いがあるから、あんまりぐいぐい誘うのはダメだよっていう話をしたんです。幼いムートにはそれを『怒られている』っていうざっくりした解釈しかできなかったみたいで……」
「……フハハハハ!」
笑うところではないです。
しかし、闇の竜王は笑うのだ――なぜなら、予想以上に難しい問題が目の前に転がっていたから!
そう、闇の竜王の笑いは感情の発露であると同時に、思考のLoading時間でもあるのだ。
「クククク! この闇の竜王、大人しいお子様の世話などしたことがない身……! ダークエルフどもはみなやんちゃで、一度川に放流すると『魚か』というぐらい泳ぎ続けるし、高い場所からの飛び降りもまったく命をかえりみる様子がないし、お陰で生傷はたえなかったが、細やかな精神的問題の発生することもなかった……」
「普通に子育てされていらっしゃいますね……」
「俺は闇を司りし者よ! 闇とは世界の始まりより存在せし、すべてのものの母……! であれば俺が子育てをするのは当然……!」
「闇ですものね」
ヴァイスがもう完全に闇を受け入れている。
最初のうちは『本当にそれ闇なんですか?』とか言っていた気もするが、人は変わるものだ。
「しかし仙人の双子は大人しい……! この俺も正直取り扱いがよくわからぬ! ……だがなヴァイスよ、一つ、言えることがある」
「なんでしょう?」
「ムートの好きにさせてやれ」
「……でも、クラールくんには迷惑なんじゃ……」
「そうだろうとも。クラールはおそらく部屋の隅で本でも読んでいるほうが楽しい子……! まったくアウトドア感なし! こんな僻地でスローライフを送るべきではない、街で過ごすべき子供よ」
「はい」
「しかし現在、有翼人種や混血を受け入れる街もなかろう」
「……はい」
「であれば貴様らのコミュニティはここだけよ。……人がいつでも、その者の性質に合った暮らしをし、その者の望んだ将来を歩めるとは限らない。『時代』という理不尽は貴様らの前にいつでも立ちふさがっていて、その理不尽は時に貴様らの可能性を摘んでしまうこともあるだろう」
「……」
「フハハハハ! 『子供には好きなことだけさせたい』というのは、俺にもわからんではないがな! ……貴様ら脆弱なる生命の前に『時代』という理不尽が立ちふさがり続ける以上、子供のころから多少の理不尽に身を置くことは必要と考える。加えて言えば、ムート式の遊びは無益ではない。泳ぎ、飛び降り、木登りすることは、スローライフで生きていくために必要な度胸や筋力、技能を鍛えるのに役立つと俺は考える」
「しかし、ムートのわがままに付き合わせるかたちなのは……」
「最後まで聞け。俺は話が長いのだ」
「あ、はい……すみません」
「フハハハハ! よい! ……今の話は、あくまで貴様、ヴァイスにしたものよ。すなわち、ヴァイスの立場から、ムートの行為を止める必要はないと、そういうことだ! ――では、ムートよ」
闇の竜王は首を動かし、ムートへその深遠なる闇を宿した眼窩を向けた。
ムートはビシッと姿勢を正し、「あい!」と返事をする。
「クラールを遊びに誘いたいか?」
「あい」
「けれど、無理をさせてはならんぞ」
「……むり?」
「そうだ。いやがらせては、いけない。いやな気持ちで、一緒にいられても、いやだろう?」
「…………あい」
「フハハハハ! であれば! ……きちんと、クラールと、会話をするのだ」
「かいわ」
「そうだ。おしゃべりして、相手がいやなこと、相手が好きなことを、知ってやれ」
「……むうーとの、あそびは、やだった?」
「それを、クラールに、聞くのだ。きちんと、会話をしてな」
「……あい」
「クククク! 本当にわかったかあ!?」
「あい!」
「ならばよし! ……次から気を付けろ」
「……くらりんの、したくないことが」
「……」
「むうーとの、したいこと、だったら?」
「その時は、かわりばんこだ」
「……かわりばんこ」
「そうだ。相手に、いやなことをやらせたら、今度は、相手の、好きなことを、させてやれ。さすれば、互いに、なにが好きで、なにが、いやか。わかるだろう。それがわかれば、もっと、仲良くなれる」
「…………む、む、む」
「……」
「むうーと!」
「フハハハハハハ! わかったか!」
「わかった!」
「ならばよし! 仕事に行けい!」
「あい!」
ムートがビシッと礼をして、走り去って行った。
あとには、ヴァイスと闇の竜王が残される。
「……闇の竜王さん、お母さんしてますよね……」
「フハハハハ! この俺はお母さんでもあり、お父さんでもある……なぜならば、闇ゆえに」
「なるほど」
ヴァイスはうなずいた。
なにが『なるほど』なのか――
それはきっと誰にも説明できないけれど、なんとなく、なるほどなのだ!
闇って感じ!




