33話 水の竜王の直訴
「『闇の』……聞こえていますか、闇の……」
あたりはとうに夜のとばりが降りていて、かがり火すら消えた集落には深く暗い闇が満ちていた。
闇の竜王はいつ崩れるかもわからない、石造りの寝所の中で、今まで伏していた鎌首をもたげる。
眠っていたわけではない。
闇の竜王は睡眠とは無縁であった。
骨のみの体を維持するのに休息は必要ないのだ。
「……なんだ、『水の』」
おっくうそうに低い声を響かせ、闇の中に呼びかける。
すると、闇の竜王の眼前で超局所的な雨が降り、降った水は次第にヒトガタのような像を結んでいく。
あらわれたのは、母性を感じさせる豊満な体つきの女性。
水の竜王であった。
「『闇の』……あなたはどうやら、わたくしととことんまでソリが合わぬようですね」
唐突だった。
闇の竜王は『なにか機嫌を損ねるような行為をしただろうか?』と思いを馳せる。
だが、闇の竜王は深く考えて行動しない。
それゆえに自分がなにをしたかよく覚えておらず、自分の行動が水の竜王の機嫌を損ねたのだと言われれば、反論も思いつかなかった。
「どうしたのだ『水の』。俺が貴様に、いったいなにをした?」
「なにをした、ですか。……ふふふ。どうやら本当に、なにも気付いていらっしゃらぬ様子」
「……俺は回りくどい言い回しを好まぬぞ」
自分がするのはいいけれど……
しばし緊迫感のある沈黙がおりていた。
夜の闇に包まれた集落の中で、静かに虫が鳴き、どこかから遠吠えのような声が残響する。
中天に浮かび闇夜を照らしていた天体のわずかな光が雲に隠れ、そうして世界が深遠なる暗闇に包まれた時――
「問題は、『なにもしなかったこと』、そして、『なにもさせなかったこと』にあるのです」
水の竜王が、柔らかな女性の声にわずかな不満をにじませて、言った。
答えのような、答えでないような。
「フハハハハハ! ハッキリ言わぬか。俺は謎かけには付き合わぬぞ!」
「では、申し上げましょう……まずはこちらをごらんください」
水の竜王がなめらかで白い腹部の中に、おもむろに手を突っこんだ。
もともとが水でできた肉体だ。とはいえ着色までして人間風に装っている生物が、なんの前触れもなく腕を腹に突っこむというのは、並の者であればギョッとするであろう。
しかし闇の竜王は動じない。
なぜならば、己も肋骨内部からよくものを取り出すから。
竜王にとって己の腹部は『便利なポケット』ぐらいの認識なのだ……!
さて、水の竜王が己の腹部から取り出したもの、それは――
「……俺の骨でできたメダル、か?」
「左様でございます。あなたの骨を削りだし作った、あなたのメダル……わたくしが腹の中より取りだしたるコレは、言わばあなたの体の一部……」
「妙におぞましい言い回しをやめぬか」
「闇の竜王……あなたは、今、わたくしの手にいくつのメダルがあるか、わかりますか?」
「……フハハハハ! なんだ、なんだ! よもや俺が数も数えられぬほど知能が低いのだと、そういう皮肉をこめた言葉か? だとすれば回りくどいにもほどがある! 俺の知能を疑うならば、なおさらハッキリ不満を告げぬか!」
「いえ、深読みなさらないでください。普通に数えてほしいのです」
「……四つだが」
「そう、四つなのです」
メダルが四つあります。
はい。
なにを言いたいものか、闇の竜王はまだ見当がつかないでいた。
水の竜王は美しいかんばせをずずいと闇の竜王に寄せてくる。
そこには真剣な色が浮かんでいる。
「あなたがわたくしに仕事を与えないせいで、わたくしはメダルを四つしか稼げていない」
「……それがなんだ?」
「この数では、望んだ景品と交換できない……!」
「……」
「あなたにはわからないのでしょうね。あの景品交換所開設初日の、みなの楽しそうな光景を、指をくわえて見ているしかなかった、わたくしの気持ちが……。みなが楽しげにしている時、一人、祭りに乗り遅れることの寂しさが……!」
「……つまり、なんだ」
「メダルをください。わたくしも、みなと一緒に盛り上がりたいのです」
「……貴様とて、俺と同じように、色々たくわえていよう。今さら俺の蔵に貴様の欲するものなど、ないとは思うが」
「そうではありません」
「ほしいものがあるから、メダルがほしいのではない、と?」
「ぶっちゃけなんだっていいんです。重要なのは、『みんなが盛り上がっている時に、自分だけ参加できないのがイヤだ』という一点のみなのです」
「ではメダル四つで交換できるものと交換したらよかろう。最低一つから交換できるようレート設定をしてあるはずだが」
「しかしメダル四つで交換できるものの中に、交換したいものがないのです」
「……意味がわからん。『みんなと一緒に参加したい』のか、『ほしい景品がある』のか、どちらが貴様の主目的なのだ?」
「闇の」
「なんだ」
「主目的はもちろん、『みんなと一緒にわいわいしたい』です」
「ふむ」
「しかし、だからといって、本当にまったく全然いらないようなものは、ほしくないのです」
「……ふむ」
「『主目的さえ達成できればいいだろう?』というような話では、ありません。……たしかに目的を定め、そこにのみ邁進するのは美しい姿勢でしょう。けれど、そんな美しさしか認めず、『あれもこれも』というような妥協と欲張りを許さぬというのは、あまりにも『心』に配慮していなさすぎます」
「……うーむ」
「闇の竜王、あなたは人格が男性寄りですから、わからないかもしれませんが……」
「……」
「女の子はよくばりなのです」
「……女の子?」
「なにか?」
「いや」
闇の竜王は勢いで行動する者ではあるが、同時にある程度の節度を守る者でもあった。
そしてドラゴンという種であるから、他者の逆鱗に触れるのをよしとしない。
年齢関係のアレは水の竜王にとっての逆鱗だと、闇の竜王は判断したのだ。
「……まあ、なんだ。……フハハハハハハ! よし、よかろう。この闇の竜王、労働意欲ある者から仕事を取り上げるようなまねはせぬ! 働きたいというならば、貴様も働けばいい。その成果や経過に応じ、俺が手ずからメダルを渡そう」
「ありがとうございます」
「ただし、貴様は水の竜王。……俺は脆弱なる者どもの自立を目指す者よ。貴様という者が、ありのままの力をふるっては、他の者の仕事がなくなろう。そこで、貴様には竜王としての権能を奮うことを禁じる」
「この服は水で編んでいるのですが、それをなくせと?」
「……俺とて説明をめんどうに思う時はある。特に、同格の者が相手の時はな」
「わかりました。いい感じで察しつつ、権能を制限しましょう」
「そうだ。常識的に考えて、ヒトガタならば服をまとえ。そのぐらい、貴様でもわかろう。だいたい、我ら竜王は、他の竜王になにができるのか、その具体的なところについて無知よ。……ククククク! 俺は自身の力さえ把握しきってはおらぬ! 貴様もそうであろう!」
「そうですね。我らは感覚で竜王をやっているところがありますので」
「然り! ……己でさえわからぬ権能を、『あれは制限しろ。これは制限しなくていい』などと、他者から指示などできるわけがない。よって俺から貴様への通達はこうだ。『ヒトのようにふるまえ。ダメそうなら逐一指示する』」
「うけたまわりました。行き当たりばったりでやっていけばよろしいのですね」
「クックック……ハッハッハ……ハァーハッハッハ! その通りよ! 人生とは行き当たりばったりの連続! なぜならばこの俺は闇の竜王! 闇とは先が見えぬことがデフォルトなのだ!」
「水もそんな感じのところがないでもないです。我らはやはり、相性がいいようですね」
「俺は貴様の相手をするの、正直めんどうくさいのだがな!」
闇と水、二人の竜王の哄笑が響き渡る……
あたりの野生動物は、二者の強大なる存在の笑い声を聞いて、いい加減こんなことを思っているかもしれない。
『こいつらいつも楽しそうだな』




