31話 酒、飲まずにはいられない
「…………ダメだ! 酒を飲みたい……!」
ダンケルハイトがいきなり膝から崩れ落ちた。
もう日も暮れようとする時間帯である。
闇の竜王はこの時間、家でメダル作りをおこなっている。
というか最近は毎日いつでも手が空けばメダルを作っている。
肋骨をちぎって適切な大きさ、かたちに削り、穴を空けてヒモを通すという作業だ。
ヒモはそのあたりのツタを集めて利用しているのだが、最近は作る量が尋常ではないので、周辺にツタが見当たらなくなり始めていた。
スローライフにおいてツタ――というか『縛るためのもの』の存在は意外と重要だ。
縄作りやその材料確保もどうにかせねば、と闇の竜王はなんとなく思っている。
思っているだけだ。
ちなみにメダル作りの実作業は竜骨兵たちがおこなっている。
闇の竜王は体が大きく、よって手も大きい。
また、指は皮も肉もないのでグリップ力がなく、精密な力加減が必要な作業に向いていないのだ。
同じく骨製であるはずの竜骨兵たちは、このあたりの作業をわりとそつなくこなす。
不思議。
「酒を飲みたい……」
……などと闇の竜王が普段の作業に想いをはせていたら、ダンケルハイトがもう一度つぶやいた。
闇の竜王はとりあえず笑う。
「フハハハハハハ! なんだ、なんだ! 俺の目の前でわざとらしく膝などつきおって! よほどこの俺に話を聞いてほしいようだな!」
「そうなんです、闇の竜王様……あたしは、酒を飲みたいんです……」
ダンケルハイトが拳を握りしめて言った。
並の金属なら握りつぶせる握力をほこる拳は、かなりの強さで握りしめられている。
その力の入れようはすなわち、彼女の酒に対する欲求の強さなのだろう。
「闇の竜王様……酒を、飲みたいんです……」
「クククク! 俺に言われてもどうしようもないわ! なぜならば、俺が司るものは闇……! 闇と酒にはなんの関係もないのだからな!」
「水の竜王様とかのツテでどうにかなりませんか!?」
ダンケルハイトがせまってくる。
ちなみに、彼女は若く見えるが、けっこういい歳だ。
ダークエルフはエルフとデーモンのハーフなので、寿命が長く、容姿が老いない。
褐色肌のハリツヤも、トンガリ耳のトンガリも、鍛えあげられ盛り上がったバストも、布少なめのファッションもいつまでも変わらない。
でも、いい歳だ。
いい歳した大人がいきなり『酒が飲みたい』と竜王にせまってくる。
おまけに他の竜王を頼れないかという提案までしてくる。
育ての親たる闇の竜王の胸中には複雑な感情がうずまいていた。
「……ふむ。まあ、色々と思うところはあるが……フハハハハ! たしかにこの土地に来てから、貴様らはよくやっている! なんだかんだと俺に対する敬意を忘れぬ貴様が、わざとらしく膝から崩れ落ちてまでうったえているのだ。一考さえせぬほど、俺も狭量ではない……」
「そ、それじゃあ……」
「ただし、水の竜王は頼らぬ。あやつを頼るは堕落への道よ!」
そう述べる闇の竜王の背後で、水の竜王が顕現した。
彼女は「まあ、ひどい」と一言だけ述べて、霧のように消え失せた。
ヒマなのかもしれない。
「……ダンケルハイトよ、我らがしているのはなんだ?」
闇の竜王は、水の竜王の行動を無視して問いかける。
ダンケルハイトが首をかしげた。
「している、とは……」
「そう、スローライフよ! スローライフとはすなわち、欲するものあらば己で作るしかないという生活! つまり――酒がほしいならば、酒を造るのだ!」
「しかし闇の竜王様、怖れながら申し上げます!」
「なんだ」
「酒造は時間がかかります! あたしは今飲みたいんです!」
「……」
「それに、なんの知識も経験もないあたしが造った酒なんて、きっとクソまずいですよ! やですよそんなクソまずい酒なんか!」
「フハハハ!」
思ったよりはるかに強く、ダンケルハイトは酒を求めているようだった。
闇の竜王は飲食をせぬので想像しかできないが……
どうやら酒というのは、彼女にとって、よほど『いい』ものらしい。
「わかった、わかった。貴様らの地味な努力は、たしかにこの俺も認めるところ……! そもそも貴様らが酒場でツケまみれなのを見かねて拾ったのがこの生活の始まりだが……そろそろメダルではない褒美も必要であろう。この闇の竜王、いつまでもメダルだけで貴様らが満足するなどとは、最初から思っておらん……!」
「そ、それじゃあ……!」
「この俺から、酒を進呈しよう!」
「わあい! 闇の竜王様大好き!」
「ただし! ……際限なく望むまま酒を与えては、以前の酒浸り生活に逆戻りよ。酒に限らず、褒美というのは努力の成果に応じ、身の丈を超えぬよう、適量を得るべきもの」
「お、おっしゃる通りです……がんばらないで飲む酒は、おいしかったですけど……道義的には闇の竜王様のおっしゃる通り……! 反論のしようもございません……!」
「フハハハ! 欲望が漏れている……! まあいい。そこで――ダンケルハイトよ、貴様に問おう! この土地における『努力の成果』とはなんだ?」
「え? 実った野菜……じゃなくて、開墾した土地の面積……でもなくて……ああ! わかりましたよ闇の竜王様!」
「ほう、では、答えてみよ!」
「流した汗の量ですね!」
「愚か者めが! そんなもの、どうやってカウントしろと言うのだ!」
「答えは『カウントできるもの』なんですか?」
「……」
闇の竜王は気付く。
ヴァイスとの会話で、己の中に『甘え』が生まれてしまったのだと。
そう、ヴァイスはなんだかんだ頭の回転が早いのだ。
こちらが言いたいことを察して、ちょうどいい合いの手をくれる。
しかし、ダークエルフたちにそのような『察する力』など求めるべくもない。
今、思い出した。
――ダークエルフたちは肉体労働特化型なのである!
彼らは尋常ではない量の筋肉をいつまでも動かし続けるため――
『考える』という行為にエネルギーをさかない生態へと変容しているのだ。
「貴様らには努力の成果に応じて渡していたものがあったであろう? ほら、白くて、丸くて、平べったくて、首にかける……『メ』で始まる、アレよ」
「あ、メダル!」
「クククク! そう、メダルよ! 貴様らが集めたメダルと、俺が集めた品々を交換してやろう。その中には当然、酒もある……!」
「じゃあ、メダル、全部持ってきますね!」
「落ち着け」
「しかし、酒があたしを待っているんです。こうしちゃいられませんよ」
「落ち着けと言っている。今、こうして俺は『メダルと交換で品々をくれてやる』と言ったが、俺の発言は思いつきにすぎぬ……以前からこのような展開を想定してメダルを配っていたというわけではないのだ」
「はあ、つまり……?」
「まだレートの設定をしておらんのだ」
「…………れーと?」
「メダルいくつで、酒どのぐらいと交換すべきか? 他の品々もまた同様よ。……俺は長年かけ色々なものを寝所に……ここではない寝所にため込んでいるが……それとて無限ではない。対して! 俺は貴様らに、少々気前よくメダルを渡しすぎた……! レート設定を誤れば、俺の蔵が尽きるまで貴様らが酒を求めることは明白……!」
「そりゃまあ、そうですけど……」
「なので検討が必要なのだ。よって、今日すぐにメダルと交換で酒を渡すというわけにはいかぬ」
「そんなあ!」
「ハァーハッハッハ! あと、貴様にはもう少し酒を抜いておいてほしいというのも、この俺の偽らざる本音よ! 貴様らが酒浸りになる様子を『光の』に見せてもらったが……なんだあのひどい酒の飲みかたは! 飲んでいるのか浴びているのかわからんではないか! 味わうという行為をしろ! 貴様らには味覚があるのだろう!?」
「で、でも……ちょっとやそっとじゃ酔えないんです……! あたしは、楽しい気分になりたいんです……!」
「……ともあれ、手持ちのメダルをすべてつぎ込んで酒と交換し、その酒もあっという間に消費して他の者からメダルを借り受け、返済は追いつかなくなり、あまつさえメダル強奪などたくらむ貴様らの未来が、俺には見えたのだ」
「……否定できない!」
「フハハハハハ! 否定してほしいところだがなあ!」
笑ってはみたが、笑いごとではない。
笑うしかなかったという感じだ。
「……そういうわけで、もうしばし酒とは距離をおけ。貴様らが酒のありがたみをわかり、毎日の楽しみとして、身の丈にあった節度ある分量を行儀良く摂取できそうな心情になったころ、レートの設定も終わっているであろう」
「永遠にレート設定が終わらないという意味ですか?」
「……」
「い、いえ、冗談ですよ? さすがに冗談です。冗談です。できますよ! あたし、お酒を上品にたしなむこととか、やればできます! いきなりメダル全部交換したりしないです! 約束します!」
「……クックック……ハッハッハ……ハァーハッハッハ! 言ったな! であれば俺も手早くレートを設定してしまうとしよう。ただしこの闇の竜王、数字や価値など細かいことをじっくり考えるのが大の苦手!」
「じゃあ、どうなさるんですか?」
「決まっていよう。――他者に考えさせるのだ!」
「あたしがやります!」
「フハハハハハ! 却下だ! 人選はもうひらめいている! ニヒツとクラールにやらせよう! あいつらはどうにも力仕事に向いておらんようだからな!」
かくしてその場のノリで『闇のメダル交換所』の設立が決定された。
おぞましき暗黒を司りし闇の竜王の骨を削りだし作られた白骨メダルを、かの竜王の漆黒たる蔵に眠る冒涜的な品々と交換しようという試みである。
そう、言わば貨幣経済の萌芽……!
闇の竜王の周囲で、文明レベルの向上が今、始まる……




