25話 水の大事さを改めて学ぼう
それは夕刻に起こった異変であった。
「闇の竜王さん! か、川が……川が……」
白いケモミミの混血種――ヴァイスの悲鳴にも似た声が響く。
闇の竜王はさすがに笑わず対応した。
「どうしたのだヴァイスよ」
祭壇(にしか見えない、壁のない家)から『のそり』と出る。
待機状態だった竜骨兵どもが指示に備えるように闇の竜王の周囲で踊る。
「川が、止まりました!」
「…………」
闇の竜王も止まった。
川とは――このあたりにある水源である。
北方にある山々から流れ込んだ水が集まり、一条の川となり――
その一条の川が分かれ、いくつかの支流となったうち一本が、闇の竜王が住まうスローライフの場の重要な水源なのであった。
それのお陰で、豊富で美しい水がとれるのだ。
もし第三者がこの話を聞いたならば、『そんな優れた水場、なぜ国家や他の村々が手をつけていないのか?』と必ずや思うであろう。
ここで闇の竜王やヴァイスたちの知る情報から言えば、『ボア』がいたから、ということになる。
もとよりこのあたりは『子捨て森』とされていた無気味な地なのであった――ヴァイスやムートが捨てられたことを思えば、わかろう。
それに、人の手が入っていない水源は世界にここだけではない。
であれば、安全ですでに存在する人里に近い場所から開発が進むのは道理であろう。
そして、闇の竜王たちの知らぬ情報で語れば――
――闇の竜王がいるからだ。
正確に述べれば、闇の竜王がよく笑うせいで、この森は『不吉な謎の笑い声が断続的に響く、モンスターが出ると噂の人の手が入っていない森』となっているのであった。
周辺の村に被害が出ていないのが逆にキモい、ということで、地元の者は寄りつかぬスポットになっている。
なので、水源は守られ、ヴァイスたちは『水』にだけは困ることなく暮らしていけたのだが……
その重要な川が止まったらしい。
闇の竜王は哄笑する。
「クックック……ハッハッハ……ハァーハッハッハ! ヴァイスよ、人に説明をする時はきちんと丁寧にと教わらなかったのか! 『川が止まった』だと? 川は勝手に止まらぬ! 『上流に堰ができた形跡がある』『川の水量が減った』などと、どんな細かな情報でもいい! 見たことをさらに俺に報告するのだ……!」
「か、川が止まったんです!」
「……」
「それ以外に、ないっていうか……その、ごめんなさい。私も、よくわからなくて……あの、川が、こう、壁みたいに高く盛り上がって、完全に止まっているっていうか……」
「なるほど」
「わかるんですか!?」
「フハハハハ! この俺を誰と心得る!? 闇の竜王だぞ! 闇とは深淵を司る……深淵は謎まみれよ。すなわち、俺は謎を司ると言っても過言ではない……」
謎を司っている可能性はあったが、謎の解き方は司っていない。
そのへんは『光の』の領分だ。
しかし、闇の竜王はわかっていた。
だから――川を止めた犯人に向け、告げる。
「我が呼び声に応えよ! このあたりにいるのであろう!? なにが目的だ――水の竜王!」
そう言った瞬間であった。
――雨が、降る。
それは極めて局所的な、優しい雨であった。
闇の竜王のすぐ目の前に降り注ぐ、ヒト一人ぶん程度の範囲しか濡らさぬ、雨。
雨は降り、注ぎ、地を濡らし――
――水が、かたちをなしていく。
「――久しぶりですね、『闇の』」
雨から慈愛に満ちた女性のような声が聞こえた。
それは水がより集まってできた――あまりにも美しい、ヒトガタのなにか。
透き通った水色の長い髪――いや、髪のようなパーツは、服もかねてその人物の全身に巻き付いている。
豊満で母性を感じる体つきは、彼女が好んでとるカタチで――ようするに、彼女には定まった肉体のカタチが存在しない。
彼女は長いまつげの生えた目を細め、優しいまなざしで闇の竜王を見る。
そして――
「『闇の』。ご明察です。わたくしが川を止めました」
自白をした。
闇の竜王は邪悪に笑う。
「クハハハハ! ……安穏と生活している我らの水源を止めるとは、イタズラにしては度を超えているぞ。貴様は竜王ならざる生物にとって、水がどれほど重要かわかっておらんのか?」
「いいえ。わたくしは『水』を司る竜王……水が生命にとってどれほど大事なものかなど、充分に承知しております……だからこそ、止めたのです……」
「どういう意味だ?」
「闇の。あなたが、『土の』や『光の』を頼りつつ、この場でスローライフをしていることを聞きました」
「いかにも! 俺はスローライフの最中だ! そしてスローライフに水は必要不可欠! であれば貴様は、己の行為がどれほど俺の機嫌を損ねたかわかるな?」
「ふふふ……機嫌を損ねた、とおっしゃいますか。であれば――あなたたちがこそこそと世界の片隅で行うこの行為が、いかにわたくしの機嫌を損ねたかも、考慮していただきたいものです」
「なんだと?」
「堅物で有名な『土の』も、コミュ症で有名な『光の』も、この生活に陰ながら力を貸しているそうではありませんか……」
「そうだな」
「『炎の』は寝ているし、『風の』はどこにいるかわかりません。わたくしは――ヒトや魔の生活に紛れて、彼らを見つめ続けておりました」
「そう聞いた」
「ぶっちゃけ、退屈……! 三日で飽きた……!」
「……」
「スローライフとか、そういう楽しいことをするなら、混ぜてほしかった……!」
「…………」
「スローライフには――いえ、ヒトや魔の営みには、水が不可欠……そのようなことは、みんな、わかっているのです。わかっているなら、『土の』を頼る前に、わたくしに一言あってもよろしかったのではないでしょうか……?」
「しかし貴様、どこにいるかわからんではないか」
「『光の』に聞くとか、あったでしょう……? あなたたちは友達ではないのですか……? あと、わたくしも、そこそこ、仲良しでは……?」
「フハハハハ! 貴様のことなどよく知らんわ! いや、本当に!」
「……とにかく、水関係でなにかあれば、わたくしに言ってください。この生活に、わたくしも一枚噛みたいのです」
「であれば、今すぐせき止めた水を元に戻せ」
「どうしよっかな……」
「貴様のそういうところが付き合いにくいのだ」
「冗談です……竜王ジョーク。わかりました。水は元に戻しましょう……その代わり、言うのですよ……水関係でなにかあれば、わたくしに言うのです……わたくしはいつでもあなたたちの生活を見守っています……」
「興味があるなら貴様も畑を耕してみるか?」
「そういう労働はちょっと……わたくしは、楽しい部分だけつまみ食いするのが趣味……その方が楽で、楽しいのです……」
「フハハハハ! 道理よな!」
「ええ。竜王とはそういうもの……我らはいつだって、おいしい部分を狙っているのです」
「俺を同類にするのはやめよ」
闇の竜王はマジなトーンで言った。
しかし、たまたま通りがかった翼の生えた金髪の少女ニヒツが『竜王はそんなんばっかっか』みたいな顔をしながら、野菜を家へと運んでいった。




