19話 ミルクがいっぱい出る動物をもらう
「おおお! 最上君主のおっしゃる通り……!」
「この昼間に、闇……! 暗黒そのものが、遠き地平の果てより現れた……!」
「う、うろたえるな! 最上君主のおっしゃる通り『青牛』を奉納するのだ!」
というわけで、全身青い牛を捧げられた。
闇の竜王は、彼には珍しくぽかんとする。
昼間である。
闇の竜王の肉体で空を飛ぶと目立つので、意識のみを飛ばし、ようやく土の竜王に教えられた土地を発見した。
それは空中に浮かぶ不可思議な小島であった。
そこには今まで見たことがないような街並みの中に、これまた見たことがないような人種が――背中に翼を生やした、美しい容姿の人々が暮らしていたのだ。
なるほど連中が『仙人』か。
まあもし違ってもその時は他をあたればいいし、『動物をください』とお願いするため、その意識を中空に顕現させた瞬間、騒ぎになった。
昼間の空にいきなり闇の球体が出現すれば騒ぎになるのは当たり前なので、そのぐらいは闇の竜王も覚悟していたが……
騒ぎはどうにも、彼の想像とは違う方向で、いきなり収束しつつあった。
「……なにが起こってる?」
「説明しよう」
闇の竜王の困惑に応じるように、物静かで荘厳な男性の声が響いた。
周囲が再び、騒ぎになる。
それはそうだろう。
日中にあってなお神々しく輝く光の球体が、空より降りて、闇の球体の正面に陣取ったのだから。
「最上君主!」
人々から、畏敬と歓喜を含んだ声があがった。
そこでようやく、闇の竜王は笑う。
「クックック……ハッハッッハ……ハァーハッハッハ! なるほど! 貴様の仕業か――『光の』!」
浮島に住まう人々が、まるで闇の竜王の来訪を予期していたかのような言動をとっていたこと――
いきなり『ミルクが出そうな動物』が捧げられたこと――
彼らにそれら『予言』を授けた『最上君主』とは、すなわち、『光の竜王』のことだったのだ!
たぶん!
「『光の』! 貴様、俺がこの場所に来ること、『ミルクがたくさん出る動物』を求めていたこと、光を通じて見ていたな!」
「そうだとも。世界をながめ、情報の巡回をすることこそ、我が趣味だからね」
「やはりな!」
確認もとれたので、安心して話を進めることができそうだ。
闇の竜王は知っている――前提の調整ができぬまま話を進めると、途中どこかで深刻な問題が起こることを!
これこそ俗世にて指揮官をやり、部下の世話をしていた闇の竜王の処世術。経験より導き出される社会性なのである……!
「しかし、この浮島はなんだ? なぜ貴様は『最上君主』などという、いかにも偉そうな名で呼ばれている?」
「ここは、私の箱庭なのだ。……君が人里離れた土地に、畑を作り、人を招いたように……私も過去、同じようなことをしたことがある。それが、この浮島なのだ」
「……なるほどな」
「私が引きこもりがちで、なおかつ君たちに我が『神殿』のありかを教えていなかったのは、もちろん家にまで押しかけられるような面倒な付き合いを嫌ったというのもあるが……できうるならば、我が家のある、この浮島のことを知られたくなかったからなのだよ」
「ふむ、その理由は――俺も興味があるし、問いかけるべきなのであろうな」
「ああ。ここまで来てしまったのだ。せっかくだから、聞いてくれ。……心に直接語りかけてもかまわないかな?」
「わかった」
周囲の者に聞かれたくはない話なのだろう。
闇の竜王は心を澄まして光の竜王の話を聞く。
「闇の。この浮島は、私の『罪』なのだ」
「罪?」
心と心で会話する。
周囲の『仙人』たちは、先ほどまで会話していた光と闇の球体が突然黙ったせいで、不安がって球体の浮かぶ空を見上げるばかりであった。
「ああ、罪だ。……ここに住まう人々は、かつての被差別人種であった」
「……」
「たぶん、飛べるから『ずるい』と思われ、迫害されたのであろう……ちょうどそのころだ。私はサンドボックス系の遊びにはまっていたものでね。ちょうどいいから、彼らを集め、我が箱庭の住人としようと思ったのだ」
「ふむ」
「私は彼らをこの土地に――その当時、まだ大陸の一部であったこの土地に集め、彼らに様々な知識を与え、自分たちだけで生活できるよう、基盤を作った。私は土の竜王のように大地に祝福を与えることはできないが……知識を与えることにおいては、どの竜王より優れているからね」
「たしかにそうだな」
「そして生活の基盤が充分に整ったのを確認し、私はこの土地を、空に浮かべた。……世俗の戦争や差別などと物理的に切り離し、この場所を理想の箱庭たらしめようとしたのだ」
「なるほど。空に引きこもるとは、貴様らしい発想よ」
「あまり褒めてくれるな。……その試みは最初のうち、成功したかのように見えた。けれどすぐに失敗だとわかったよ」
「……失敗しているようには、見えぬがな。天を衝くほど高い建物が並び、人々は血色もよく、礼儀正しいように思える」
「だが、私は彼らの上に君臨してしまったのだ」
「……」
「彼らは私からのお告げを――新たなる情報を待つばかりで、困ったことがあれば、私に問いかけるのみ。私は、彼らから『考える』という喜びを奪ってしまったのだ」
「見捨てればよい。さすれば己で考えて生きざるを得ぬ」
「今さら、そのようなことができようか? ……ああ、わかっている。それが私の甘さ……彼らに対する甘さではなく、自分に対する甘さなのだ。ここまで育て上げた『箱庭』を見捨てるのは惜しいし、彼らを見捨て、彼らにうらまれたくないという……弱さなのだと、わかってはいる。そして私は、己の弱さを克服できない……君にも心当たりがあるのではないかな?」
「……ふん。ダークエルフどものことを持ち出されると、俺もなにも言えぬな。俺は連中を一度は見捨てたが、見かねて呼び戻した」
「……そうだ。だから、私は、この浮島を己の罪であり、弱さそのものだと思う。人に見られぬよう、普段は光を操り、世界から隠しているのだ。『土の』も、『仙人がいると言われる土地がある』ということは知っていただろうが、ここが私の箱庭だということまでは、知らなかったはずだ」
「つまりこの浮島を、貴様は俺に『見せた』ということか。俺が見つけ出したのではなく、あえて姿をさらしたと」
「そうだ。……君に、頼みがある」
光の竜王がそう言うと――
彼の意識体である光の球体から、ひと組の子供が現れた。
よく似た顔をした、翼の生えた子供だ。
年齢は十歳前後だろうか。ムートより少し上、という程度だろう。
美しい容姿のせいで、男なのか女なのか、わかりにくいが……
「この兄と妹は、最近、この浮島で産まれてしまった双子なのだ」
「産まれてしまった、とは?」
「この浮島には、人数制限がある」
「……」
「食糧の自給率や、純粋な重量の問題で、あまり人数が増えすぎぬように、出生には厳重な注意がなされているのだ。……しかし、双子が生まれてしまった。このままでは、どちらか片方を島からおろさねばならない」
「地上にいない、この人種を、地上におろすのか」
「そうだ。……それが『殺す』と同義であることを、私は飾らず、君に伝えよう。……どちらかを、あるいは両方を、殺さねばならない。だが、私にはそれができないし、私の浮島の住民たちにも、そんなことはさせたくない」
「ふむ」
「闇の。君に、この双子をたくしたい」
「……」
「君がこの時期に、我が罪悪の具現たるこの浮島を求めたのを、私は運命の導きと感じる。君の世話している場所で、どうか、この二人を育ててやってほしい。そして……」
「そして?」
「……彼らに、『考え、生きる喜び』を教えてやってほしい。君が、君の世話する子らに配慮しているように、この子らにも、配慮をしてやってほしいのだ」
「……」
「無論、ただでとは言わない。この島で生み出された『青牛』をはじめ、いくつかの技術を君に提供しよう。『青牛』は『その乳は川をかたちづくる』と言われるほどに、乳の出がいいのだ。自分では繁殖できないので、食肉としては問題があるものの、ミルクを出すだけならばこれ以上の生き物はいないだろう」
「繁殖できぬ生命か」
「……この浮島の生物は、みな、そうだ。出生は専用の施設で行なわれる。この島にはカップルはおらず、リア充もいない……美しい人々が、ただ生きるのみ。まさに楽園として繁栄できるよう、デザインしたはずだったのだ」
「だが、貴様はそれを失敗と思うようになったと」
「そうだ。……私が手を放せば、転んでしまう……そんな、もろい生態系だけが、この島に残った。彼らは己の力だけでは生きられない……生命として大事な機能を、私は奪ってしまったのだ」
「……ククククク」
最初は、こらえきれぬというように。
そして次第に、我慢しきれぬように――大きく、闇の竜王は笑う。
「ハッハッハ……ハァーハッハッハ!」
「闇の、どうした?」
「……いやなに、許せ。真面目な話が続いたものでな。喉奧がムズムズしたのだ」
「……」
「だが、貴様も悪い。貴様があまりに面白いことを言うものでな。俺もつい、笑いをこらえきれなかったのよ」
「……面白い話だったかい?」
「そうとも! なんだ貴様は! 己のなしたことを、失敗だの、奪ってしまっただの!」
「……しかし、偽っても仕方あるまい。私はたしかに、彼らから大事なものを奪い去ってしまったのだ」
「明日、世界が終わるのか?」
「……どういう意味だい?」
「いやなに、貴様の口ぶりからは、この浮島がとっくに結末を迎えたかのような雰囲気ばかり感じてな。『失敗してしまった』だの『奪ってしまった』だの……ククククク! 先ほどからずっと突っこみ待ちかと思ったぞ!」
「……君は、なにが言いたい?」
「この浮島の連中は、生きているではないか」
「……」
「俺の来訪を怖れていたではないか。 ……連中は恐怖を忘れておらんではないか。恐怖とはなんだ? 恐怖とは、生きたいという願いではないか!? そうだ、生きている! この浮島の連中は、まだ死んでいない!」
「……」
「それをなんだ、結末を迎えたかのように。……フハハハハ! この浮島を始め、人々が考えることをやめて、どの程度の月日が経つ?」
「……数百年は経っているだろうね」
「ならば、もう数百年かけて、連中に『考える』ことを思い出させてやればいい!」
「……」
「奪ったことを後悔するなら、返せばよかろう。現状に閉塞感を覚えているならば、打破すればよかろう。俺のもとにあずけて『考え、生きる喜び』を思い出せると信じるならば、貴様にも同じ喜びを思い出させてやることは、不可能ではないはずだ!」
「……」
「なにせ俺は闇の竜王! ……土に祝福を与える力はなく、この世の情報すべてを閲覧する力もない。ただ、世界を閉ざす能力のみを持つ、闇の者よ! その俺が喜びを教えられて、なぜ光たる貴様が喜びを教えられぬと思うのか! ……フハハハハハ! 俺にできるスローライフを、貴様にできぬわけがあるか!」
「……闇の……」
「貴様は失敗を怖れすぎる。変化を恐怖しすぎる。俺ならば行動をする! その結果が失敗であろうとも、次に活かせばいい! ……そして我ら竜王には、失敗の責任をとれるほどの力があるはずではないか?」
「……言う通りだ」
「であれば、あとは考えるだけ無駄よ! 行動せよ! 変革せよ! 奪い去ったものを返還し、現状を『結末』などとは考えずに、『過程』と捉えよ! 世界が滅ぶまで、我らに結末はないのだ!」
「……ああ、そうだね」
「だが、それはそれとして、青牛と双子はいただこう……! ミルクは欲しいゆえにな! ただし、俺は楽園などは作らぬぞ。俺が作るのは、失敗を重ね、甚大な被害を出し、それでもヒトや魔が生きることをあきらめぬ、泥臭い場所よ! ……ではな、光の。いつか泥にまみれ、大人となった双子を貴様に返そう。その時こそ、行動するのだ。今は踏ん切りがつかず、『一歩目』を踏み出せずともな」
「……ああ。ありがとう、闇の」
「さて、なんのことかわからぬな」
「ふっ」
光の竜王から、双子を受け取り――
闇の竜王の意識は、肉体へと飛び去っていった。




