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10話 害獣と話をつける

「いちばん、くちをあけます!」

「にばん、はなをつまみます!」

「さんばん! りゅーおーさまのほねをのませます!」

「よんばん、こぼれたほねをかいしゅうします!」

「ごばん、みんなをみてます!」

「ブギィィィ!? ブギッ!? ブギ! ブギィィィィイ!?」



 ボアの悲鳴が響き渡った。

 昼近くなりいよいよ強まってきた日差しは、木陰により和らげられている。

 明るい森の中、柔らかな黒土に空いた一箇所の縦穴――それが『ボア』の巣であった。


 巣に近付けば、まずは一頭の大きなボアが、鼻息を荒げ、巨大な牙でなんども土をこすり威嚇をしながら現れた。

 そこを竜骨兵で取り囲み、骨粉を飲ませたところである。



「クククク……ハハハハハ……ハァーハッハッハ! さあ、目覚めるがいい! ボアよ! 知性なき獣よ! 貴様にこの闇の竜王が変質を促してやろう! 弾けろ知性! 目覚めよ文明! 今交渉の余地なき害獣に、交渉できる深遠なる闇の知性が与えられる!」



 しかし闇の竜王は、まだ『自分の骨粉を飲ませたある程度の知能がある生き物が、竜骨兵のように人語を解し交渉できるようになるか』を試したことはなかった。

 根拠などつまらぬものはいらぬのだ。

 ただ、途方もない自信と、確信があるならば、きっとたぶんできるだろう……!

 できなかったら、次の手段を考えればいいのだ。


 闇の竜王の骨粉を飲まされた哀れなるボアは、その円柱のような体を地面にこすりつけ、短い四肢をバタバタさせながら苦しんでいた。

 硬く分厚い茶色の毛に包まれた体で、何度も地面をこする。

 その異様な様子を心配したのか、巣穴からは子ボアが何頭か顔をのぞかせたものの、怖がって穴から出てくることはない。

 そして――



「ビギッ!? ビギッ! ブギッ! ブ……ギ…………」

「……」

「…………ブ…………オ、オレは、いったい……?」



 ボアがしゃべった。

 普通のおじさんみたいな声で、しゃべったのだ。


 むくりと起き上がったボアの瞳には、たしかな知性が宿っている。

 闇の竜王は哄笑する。



「フハハハハハハ! ボアよ! おお、かつて知性なき獣であったボアよ! 俺がわかるか? この俺の姿を見て、貴様はなにを感じる?」

「あ、あなたは……あなた様は……ブヒッ……わからない……わからないが……なぜだか、オレはあなた様に逆らえない……逆らいたくない……! ブヒィ……! 尊い……なぜかわからぬが、非常に尊い……!」

「クククク! 知識はなくとも体は俺の強さをわかるようだな! 俺の巨体で樹を倒さぬよう森をここまで移動するのは大変であったが、来たかいはあったというものよ! ヴァイスも連れてくれば見物であっただろうなあ!」



 ヴァイスはいない。

 ボアが暴れる可能性もあったので、畑で待機しているのである。

 闇の竜王はご近所さんの安全に強く配慮しているのだ。



「……さて、ボアよ。貴様に知性を与えた理由は他でもない。このあたりの畑を荒らすのをやめよと、そう言いに来たのだ」

「…………そうか。オレの妻が、迷惑をかけたのだな」



 知性を得たボアは、なにかに気付いたらしい。

 黒くクリッとした瞳を、悲しみの色に染めた。



「……オレの妻は、子育てと、食糧の調達で、少々ノイローゼ気味だった。ボアは基本的に、男は子作りを終えたらなにもせぬ文化……しかし妻の様子を見かねたオレは子育てもやっていたのだが……とうに妻は、育児疲れでおかしくなっていたようだ」

「ふん。弱者よ……悲しき弱者よ。貴様の妻は、オレが屠った」

「ニオイでわかる。だが……ああ、だが、オレにもっと知性があれば! オレが虫でも野菜でもとってきてやったもの! あのころのオレは、妻の様子を見て怖れるばかり! 鼻をフゴフゴ鳴らすばかりで、優しい言葉の一つもかけてやれなかった! 言葉を知らぬ、野生の獣だったばかりに!」



 闇の竜王の骨粉のせいだろう。ボアの言葉には、芝居がかって見えるほどの感情がこめられていた――普段の闇の竜王の言動のように。

 その悲痛な声音を聞いた者はみな落涙を禁じ得ぬであろうほど、絶望に満ちた声。

 しかし――闇の竜王は、笑う。



「フハハハハハ!」

「なにを笑う!? ……そうか、あなた様には、オレの気持ちなどわからんのだろう……! 妻をなくし、さりとてあなた様を責めることもできない! わかっているのだ! 妻がああなってしまったのは、ボアの生態のせいだと! ボアの夫は無駄飯喰らい! 子作りをするためだけの胤ボア! オレがもっと早く、その生態はいたずらに女の負担を増やすばかりでよくないものだと気付けていれば、この悲劇は起こらなかった……!」

「そう、悲劇よ! 貴様は不運であった。貴様の妻を殺したのは俺だが、あえてその俺が! 貴様と貴様の妻に起こったことを、『不運』と決めつけてやろう!」

「……くっ」

「しかし、その不運の中に、俺がわずかな幸運を見つけてやる!」

「幸運? 幸運など、ありようはずもない!」

「いいや、幸運はある! もし貴様の妻が、ヴァイスの――このあたりにいるはぐれ者の畑を襲うのみならず、近隣にある集落を襲っていたならば! 貴様も、貴様の子らも、すべてが『害獣駆除』の名のもとに、殺されていただろう!」

「……!」

「俺に対処された不運は、たしかにあろう! しかし! 対処したのが俺だからこそ、こうして話し合いの余地が生まれるのだ! それを幸運と言わずなんと言う!?」

「しかし……しかし……!」

「クハハハハハ! ハッキリ言えばよかろう! 『それはきれい事だ』と!」

「……」

「家族を亡くすは不運! 想定される中で最善の結果だったとしても、その事実は変わらぬ! まして妻を亡くした原因たる俺が幸運を語るなどと! 妻の気持ちになればやりきれぬと! おためごかしも大概にしろと! そう言えばいい!」

「そうだ……」

「だがな、俺は福利厚生を知る者よ」

「……なんだと?」

「かつて、『魔』と『ヒト』の戦争があった。……今ではもう記憶の向こうに忘れ去られようとしている、かの戦いにおいて、『魔』も『ヒト』も大勢が死んでいった」

「……」

「その際に、『魔』の側で結構な立場にあった俺は、家族を亡くした『魔』に、手厚い保障をしたのだ。たとえば――残された家族の面倒をみる、というような、保障をな!」

「……!」

「憎しみによる殺害ではなかった。恨みによる殺し合いではなかった。……生存のための戦いであったのだ。今回、俺が貴様の妻を殺したように! 互いに生きるための、そういう性質の悲劇であり、不運であった!」

「……」

「生者が死者にできることは、弔いのみよ! そして、弔いには、安定した生活が不可欠……! ならば貴様の弔いを! この俺が! 全力で支援しよう!」

「……ボアであるオレには、わからぬ。あなた様は、オレになにをしてくれようと言うのだ」

「その子らが――六頭の子らが立派に育ち、道理をわきまえた狩りを行えるようになるまで、この俺が貴様らの食糧を保障してやる!」

「……!」

「その代わり、貴様らはヒトや魔に迷惑をかけるな。森で適度に虫を食み、他の作物に悪影響のある雑草を食え。生きるためではなく――『仕事』として自然環境を守り、生きることで大自然に恵みを与えるのだ。その対価に俺が野菜を支払おう」

「……」

「ボアよ。貴様の知性はあと一日しかもたぬ。俺の骨粉の効果はその程度よ。だがな、頭で覚えてなくとも、心に刻め。我らは共存ができる。けれど、貴様らがもしまた畑に迷惑をかけることあらば、貴様らを殺すのに、俺はなんの躊躇もせぬ」

「…………」

「代わりに俺のために働くのであれば、充分な褒美を与える。ようするに――『縄張りを守れ』と。……この程度ならば、野生のボアとてできるであろう?」



 沈黙。

 子ボアのプギプギという声と、竜骨兵たちの「ちっちゃーい」「かわいー」という、子ボアとたわむれる声だけが、聞こえる。


 重苦しい。

 それに耐えられなかったのか、ボアが、息継ぎをするかのように、空気を吸い込んで――



「……だが、オレたちが繁殖し、オレたちが縄張りを拡げざるを得なくなれば、どうする? 自然はもともと知性なんぞという貧弱な武器を持つ文明人のものではない。野生たるオレらのものだ。その時に森が狭ければ、オレたちは縄張りを拡げ――ヒトの領域に踏み入らざるを得ない。畑とて襲うだろう。妻のように!」

「フハハハハハ! 獣がなにを、賢しらぶったことを言う!」

「オレは間違ったことは言っていない!」

「そうだとも! 間違っていない! 縄張りを広げたい獣と! 版図を拡げたいヒトや魔と! 互いの思惑がかち合ったその時は――」

「その時は?」

「――強い方が、我を通すのみよ!」

「……」

「であれば、せいぜい俺の機嫌をとることだ。俺はその場その場で直感的に味方したい方を選ぶ。獣にも一分の理があれば、俺の気持ちは貴様らの側につかんでもない」

「……」

「つまり――今は、俺の言う通りにするのが、賢い。その後状況が変わった時のことなど、状況が変わってから考えればよいわ! 知識の芽生えかけた生き物はみな『この状況になったら』『あの状況になったら』と想像をふくらませ議論するのを好むようだが……愚かにもほどがある! 貴様らの貧弱な知性で、すべての状況を正しく想定し、その対策を練っておくなど、無理なのだと知れ!」

「…………」

「獣よ、真に、そして永劫に幸福になりたければ、強くなるしかないのだ。いかなる状況にも対応しうるほど、強く、な。そして強さとは、筋力だけではない。それとも貴様は、鍛えれば俺に及ぶなどと思っているのか?」

「……いや」

「であれば、あとはわかろう。強者たる俺の機嫌をとることだ。俺の提案した共存案を、来るか来ないかわからぬ未来予想図にかまけて蹴らぬことだ。それこそが強さ。ヒトや魔が版図を拡げた理由たる、『賢さ』という名の強さだ」

「……あなた様は」

「なんだ?」

「……あなた様は、わざと傲慢な物言いをして、オレに嫌われようとしているかに見える。それは、知性乏しきオレの勘違いか?」

「さてな。だが、その指摘を口にするのは、たしかに知性が乏しいと言わざるを得ぬ」

「…………あなた様が何者か、言葉をきけるうちに、うかがっておきたい」

「クククク……ハハハハハ……ハァーハッハッハ! よかろう! 俺は竜王! この世の六大元素のうち『闇』を司りし、闇の竜王よ!」

「……闇の竜王。あなたの言葉、たしかに覚え――否、心に刻みました」

「そうか。ならばこれ以上は言うまい。――獣よ、生きよ。あとはただ、生きよ。さらばだ」

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