死神の皮
「あの、失礼ですけど、どちら様ですか?」
読んで字の如く、失礼な発言だと思った。
たとえ記憶が無いにしても、一夜を共にした男性に向かってこんな事を聞くなんて、ありえない。
こんな質問、行為の最中に夫が帰ってきて、不倫がバレた妻が、浮気相手を無理矢理悪者に仕立て上げているようだ。
いや、仕立て上げる悪者は、夫の方かもしれないが。
彼は、一瞬、もの悲しそうな表情を浮かべる。
「そっか......そうだよね」
自分に言い聞かせるようにそう呟き、布団を出て、どこからか取り出したタバコに火をつけた。
「あの......それで......お名前は? 同窓会で会いましたっけ?」
私は申し訳ない気持ちで一杯になりながらも、確かめずにはいられなかった。
それを聞いた彼は、紫色の煙をフーっと吐き出し終わると、顔だけをこちらに向ける。
「風間さん、覚えてないの? 居酒屋を出た後、カラオケに行って、解散しようって事になったのに、ずっと俺の後ついてきて。結局、ホテルに行くって聞かなくて。そんで俺、風間さんに押し倒されたんだけどな」
「ウソ......」
後に続く言葉が見つからない。
カラオケ? 私が押し倒した?
そんなバカな。私はてっきり、あなたに押し倒されたのかと思っていたのに。
彼はまた、タバコを一口吸い、煙を吐き出す。
「まあ、でも、そんなふうに自暴自棄になる気持ちもわかるけどね。色々あるんでしょ?」
「色々って......私、どんな事をあなたに話したの?」
この名前もわからない同級生を、酔った私は心底信用していたようだ。
「俺も酔ってたから詳しくは覚えてないけどさ。でも、風間さんは色々と抱え込みすぎなんだよ。もっと物事を気楽に考えて生きないと、ストレスでダメになっちゃうと思うよ。俺との事も、いい息抜きになったんじゃない?」
「..................」
起きて早々、この男は、私に説教を始めようとでもいうのだろうか。
私が名前を覚えていないことに、随分ご立腹らしい。
しかし、何様だ。偉そうに。
私の性格は、私が一番理解しているつもり。
色々と抱え込みがちなのは、否定できないけど......
ともかく、一晩ベッドを共にしたからといって、彼氏ヅラしないでほしい。
やはり、この男は同窓会で一人飲みしていた、ナルシストだ。
「うん。まあ、相手は誰でも良かったのかもしれないけどさ......そうだ。風間さんに、いいストレス解消法を教えてあげるよ」
「ストレス解消法?」
「そう。スマホのアプリでいいやつがあって」
「待って。私、ゲームとかはあんまりやらないんだけど」
ストレスと言う言葉に反応してしまい、後悔した。
それと言うのも、ソーシャルゲームと言うものに、あまりいい印象を持っていないのだ。
課金とか、ランキングとか。
元来、私はヒモの彼氏に依存しがちだった。
その彼氏がいなくなった事で、ソシャゲと言うものに依存対象を変えてしまいそうで、怖くて仕方がない。
いつか彼氏が戻ってきてくれる。
その、蜘蛛の糸よりも細い希望が、今の私の原動力になっているのだ。
「違う違う。ゲームじゃないよ。会員制だけど、課金もないし会費もかからない。むしろ、軽いバイト感覚でできるから、いいお小遣い稼ぎになる」
「バイト感覚? それって、なんか怪しい奴なんじゃ......」
胸までかけていた掛け布団を、ぎゅっと押さえ込んだ。
「大丈夫、大丈夫。風間さんを身売りしようなんて、物騒な話じゃないから。本当に簡単な事で、お小遣いも稼げるし、ストレス解消にもなる、神アプリだよ」
「怪しそう。でも......興味はある」
本音だった。
この溜まったストレス達を、どこか遠くへ放り投げてしまいたい。
それに、バイト料も入るなら、一石二鳥だ。
「そっか。良かった。これでもっと気楽に生きられると思うよ」
「でもそれって、どんなことすればいいの?」
「簡単だよ。『死神の皮』って言うアプリに会員登録して、バイト内容は......」
男は、頭の中でいい言葉を探しているようだった。
タバコを一服吸い込み、煙を吐き出す。
「集団ストーカーって知ってるかな?」