第7話 移動
昭和記念公園に隣接する、災害医療センターは人でごった返していた。
普段は通常の医療機関として運営されているが、同時に日本の災害医療の中心機関としての役割を担っていた。
憲吾と京子、さらに忍の3人は、中年の男性看護師に連れられ、ある病室へと向かった。
病室は個室で、ネームプレートには「高谷玲子」という名前があった。
ベッドの上には、眠ったように目を瞑った、細身の若い女性が横になっていた。
女性は頭に包帯を巻き、点滴を打っている。
「お母さん……」
忍はつぶやいた。
忍の母親、玲子は立川駅の瓦礫の下から救助された。
しかし、右足を切断しており、現在に至るも意識はなかった。
「先生の話ですと、夕方が山場です。それまでは絶対安静です」
男性看護師は憲吾と京子に言った。
忍はお母さん、お母さんとつぶやき続けた。その声には、若干泣き声が入っていた。
男性看護師が忍に慎重に話を聞いたところ、兄弟はおらず、父親は出張中とのことだった。
会社名がわからなかったため、忍の同意を得て、玲子が所持していたバッグを開けると、父親が世田谷にある、黒潮製薬という製薬会社に勤めていることが分かった。
母親のスマートフォンは壊れていて、直接番号などを知ることはできなかった。
男性看護師はソーシャルワーカーを通じて、黒潮製薬に連絡をし、父親と連絡をとるように話をしたという。
男性看護師の院内PHSが鳴った。電話に出て、2、3言葉を交わすと電話を切った。
「すみません。別の所に呼ばれました。何かあればナースステーションに連絡ください」
男性看護師はそう言って部屋を飛び出した。
憲吾と京子は顔を見合わせた。
いったいどうしたよいのだろうか。
「ここにいて……」
忍がつぶやくようにいった。
「お願いだから、ここにいて……」
憲吾と京子は、ベッドに顔をうずめた忍を、ただ見つめることしかできなかった。
午後2時。
国交省鉄道局の指示監督のもと、線路や駅を複数にわたって破壊されたJRの中央線と京王本線、また立川駅を破壊されたため南北に分断された多摩モノレール、西国分寺駅破壊のため、同様に分断された武蔵野線の新秋津-北府中間、
さらに東京西部を走る南武線、青海線、西武鉄道、京王電鉄以外の、首都圏の鉄道の運転が再開した。
これは市民の避難を目的としたもので、避難指示や避難勧告が出ている自治体、特に東京都心からなるべく市民を遠ざける目的があった。
黙認していた線路上の徒歩避難はただちにやめさせ、鉄道運行が行われた。
JR・私鉄職員、警察や自衛隊の誘導の元、鉄道運賃は発生せず、住民は鉄道に乗ることが出来た。
しかし警察や鉄道マンらの厳しい監視下に置かれ、何らかの異常があればただちに運転を中止、また指示に従わない、先に乗り込んだり、暴力行為などを起こす乗客がいた場合はただちに警察が逮捕し、鉄道には乗れないという注意が再三促された。
この注意のおかげかどうか、または災害時における日本人特有の冷静な集団心理が働いたかはわからないが、乗客は誘導に従って整然と移動をしていた。
朝のラッシュよりも穏やかに見えたが、それが理路整然としすぎていて、かえって不気味に感じる者も少なくなかった。
時を同じくして、千葉県のJR船橋駅に迷彩服の自衛隊員たちが集結していた。
駅は警察官が警備に当り、自衛隊の車両が往来しており、物々しい雰囲気となっていた。
千葉県習志野に駐屯する陸上自衛隊第1空挺団である。
第1空挺団はヘリコプターや輸送機などで速やかに展開することを目的とした、陸上自衛隊の中でも最精鋭の部隊だった。
第1空挺団の隊員達は武装し、そのうち、第1普通科大隊の隊員達が船橋駅1番線ホームに整然と並んでいた。
そこへ黄色いラインの入ったJR総武線の209系電車16両編成が入線してくる。
電車が止まり、ドアが開くと、第1大隊長の中村二等陸佐の掛け声が響いた。
「第1大隊、総員乗車!」
隊員達は装備をもって乗車した。対戦車装備を車内に持ち込む光景も見られた。
中村二佐がホームの様子を見た。全ての隊員や火器が車内に入ったようだ。
中村二佐も一番後ろの車両に入り、最後尾車両の運転席にいた車掌に声をかけた。
「総員移動準備完了しました」
「わかりました」
ベテランらしき中年車掌はそう答え、中村二佐に敬礼をした。
中村二佐も返礼をする。
『ただいまから臨時電車が発車いたします。ご注意ください』
誰もいなくなったホームに発車ベルが鳴る。
ドアが閉まり、電車がゆっくりと動き出した。
完全武装した第1大隊総員384名はJR船橋駅から、JR中央線の、移動可能な駅まで行き、そこから徒歩で移動することになっていた。
中村二佐は自分が完全武装して、いつも自分が乗っている電車に乗車していることに違和感を覚えた。
しかしそれは中村二佐だけではなく、多くの隊員が感じていることだった。
静岡県では戦車や装甲車両の鉄道輸送が行われていた。
富士教導団特科教導隊第5中隊のMLRS(多連装ロケットシステム)自走発射機M270、18両と82式指揮通信車1両、弾薬などを積載したトラック数両を乗せた貨物列車が神奈川県へ向け、静岡県にあるJR御殿場線の駿河小山駅を通過していた。
富士教導団とは陸上自衛隊の普通科や特科、機甲科――つまり戦車などの特殊技能を教育、支援する部隊だった。
所属する隊員達も優秀であり、部隊の装備も新鋭のものがそろっている。
M270はまるで箱のような車体だが、後部の発射装置が空を仰ぎ、目標を定めれば、M31GPS誘導ロケット弾12発が各車両から発射されることになっていた。
82式指揮通信車は通信機能に特化した装甲車両で、その名のとおり、指揮所としての機能をもっていた。
これらの車両は、JR貨物のDF200形ディーゼル機関車4両に引っ張られ、25両の貨物車と2両の、隊員達を乗せた客車が動いている。
いずれも近隣の鉄道基地から持ち寄られた大物車(大型の貨物を鉄道輸送するために設計された貨車)が戦闘車両を載せている。
車両の載っていない客車には弾薬やその他備品などが搭載され、各車には警備のための自衛官が配置されていた。
第5中隊は神奈川県綾瀬市の海上自衛隊厚木基地に展開し、現地に到着した観測要員の誘導のもと、攻撃することになっていた。
第5中隊を乗せた貨物列車は、もうすぐ神奈川県を超えようとしていた。
また、東海道線にも貨物列車が走っていた。戦車教導隊からは10式戦車12両、82式指揮通信車1両が貨物車に乗せられて、東京に向かっていた。
10式戦車は最新鋭の国産主力戦車であり、最新システムを採用することで他の車両や部隊とネットワークで連携して行動することが可能になった。
砲身を後ろに向けた10式戦車が貨物車に載せられ、20両の大物車が、JR貨物のDF200形ディーゼル機関車4両に引っ張られていた。
戦車を乗せた貨物列車は東海道線の熱海駅を越えたところだった。
また、山梨県忍野村の北富士駐屯地からも第1特科隊が出動した。
彼らが装備しているのは155mmりゅう弾砲、通称FH70という砲だった。
これは自走能力はなく。専用の牽引トラックで引っ張っていくが、それゆえに早く展開できることが望まれた。
彼らは車道にて行動することになっていた。
駐屯地を出た部隊の車列は、自衛隊の白く塗装されたパジェロのパトカーを先導され、中央自動車道河口湖インターチェンジへ向かっていた。
彼らは山梨県の、東京都に近い広場に目がけて展開する予定だった。
怪獣は西国分寺で自衛隊を撃退した後、徐々に速度を上げながら、依然東へ向かっていた。
中央線沿線の南側を進攻し、怪獣が歩行した所はことごとく破壊されていた。
怪獣は武蔵国分寺公園を破壊した後、国分寺駅の南を通り、国分寺市南町にある私立大学のキャンパスを破壊した。
それから小金井市に進入。小金井第四小学校を破壊した後、沿線に黒煙を上げさせながら、小金井市役所へと向かった。
小金井市役所及びその近くにある小金井警察署はただちに人員を他へ退避し、その機能を移転させた。
「警察署がやられた、ここにも来るぞ」
そういって役所のある係長が叫んだ。
2、3名の職員が資料をもった段ボールをもち、警察官に誘導されて、市役所の第二庁舎を飛び出した。
全速力で役所を出ると、もう目の前に怪獣がいた。
「振り返らないで、走って逃げて!」
警察官はそういった。警察官にもどう対処していいかわからなかった。
怪獣はこの付近にある市役所の関係庁舎を破壊した。
近代的な第二庁舎も怪獣と衝突、その高いビルも倒壊してしまった。
練馬の陸上自衛隊第1師団司令部は怪獣撃退作戦に向けて各部隊の指揮をとっていた。
救助活動は第1師団の上部組織、朝霞の東部方面総監部が指揮をとっており、彼らは怪獣撃退作戦に専念していた。
柿崎師団長は練馬駐屯地内に設けられた師団司令部のなかで、怪獣の現在位置と部隊の現在地を示した作戦図を見ながら、熟考していた。
「師団長」
情報幕僚の小林二佐が言った。
「怪獣はこのままいけば都心に2時間足らずで到達してしまいます」
「そうだな」
柿崎師団長は頷いた。
「今、怪獣の付近にいる地上部隊は?」
「はっ、第1普通科連隊第3中隊が先の損害を受け、国分寺市にて負傷した人員を後送しながら、部隊の再編成を行っています。同中隊長によると、損耗30パーセントなるも、カールグスタフといった装備は残っており、依然として戦えるとのことです。
また、怪獣の前方には現在第1偵察隊が怪獣の速度に合わせて、怪獣を監視中しながら東へ向かっています。さらに、第32普通科連隊と第1空挺団の第1普通科大隊がまもなく到着するとみられます」
小林情報幕僚の報告をきいて、柿崎師団長は思った。
いずれも普通科の部隊だ。
恐らくそれほど時間稼ぎをできるとは思えない。
しかし普通科以外、現状で怪獣に対応できる部隊はいない。
柿崎師団長は官邸から届いた怪獣の資料に目を通し、西野作戦幕僚に言った。
「木更津の第1対戦車ヘリコプター隊はまた上げられるか?」
※追記
・自衛隊車両の鉄道輸送について。
本作中で自衛隊の戦車が輸送されていますが、これは作者のフィクションとして書いています。
自衛隊は1961年に制式採用された、61式戦車で戦車の鉄道輸送は断念しているようで、74式戦車以降の日本の国産戦車は鉄道輸送ができないほど大型化し、また日本国内でも道路網が整備されたため、鉄道輸送が不要化したということが理由に挙げられています。
ただしYOUTUBEの動画などを拝見しますと、装甲車などの鉄道輸送は現在でも行われているようです。
じゃあ、なんでこんな描写をしたかと言いますと、単に作者の趣味ですw