第5話 混乱
「怪獣を倒せる? 弱点が見つかった? どういうことです、それは?」
福島総理が手塚博士からの言葉を復唱した直後、閣僚たちが総理の顔を見た。
「私から言いたいのは3点です。ひとつは怪獣は攻撃によってダメージを受けており、しかしそれは急速に回復していること。
次に、怪獣は高い建物や自分より高所を飛んでいるもの、及び自分に敵対行動するものに発射されるということ。
最後に怪獣の頭部が弱点ではないかという仮説です」
「わかりました。博士はただちに下の危機管理センターにいらしてください」
数分後、幹部会議室で手塚博士による怪獣に関するレクチャーが行われた。
「まず、怪獣の光線について、わかっていることを上げます。射程は10キロ程度。怪獣がこれまで光線で攻撃したものはヘリか、或いは駅ビルといったある程度の高層建築物が主でした。
ですが、先ほどの西国分寺での戦闘で、地上部隊の攻撃後、地上部隊に向けて放っていました。また日野市では、対戦車ヘリの遠距離攻撃に反撃するという形で光線を対戦車ヘリに吐いています。
これによりある程度接近した高い建物や飛行物体、及び自分に対し、敵対行動をとったものに発射する傾向にあるということが推測できます。
これはあくまで傾向であって、最終的に、怪獣自身にとって光線を吐くべき相手、攻撃対象かどうかは怪獣の判断としかいいようがありません」
「怪獣が自分で考えて、敵と判断さえすれば――というか、攻撃する必要があると判断すれば、光線を吐くということか」豊田大臣が言った。
「そうです」と手塚博士。
「また怪獣は基本、前方に向けてしか攻撃をしません。日野市の、対戦車ヘリの攻撃を受けて、首を回して攻撃した例は例外ですが、あれは背中のロケット攻撃に反応したものを見られます。
つまり、光線は基本的に前方にいる障害物や敵を視覚等、何らかの方法で探知し、撃っているものと考えられます」
えー、と手塚博士は続けた。
「また、怪獣は攻撃を受けた際、無傷だと思われていますが、実はダメージを受けていると考えてよいと思います。
それはその直後に静止し、その後も歩行速度が遅くなっている、光線の発射間隔も遅くなっていることからも見受けられます。画面をご覧ください」
1つ目は怪獣から遠く距離をとった、上空から怪獣を映した映像だった。
OH1ヘリ、ハンゾウ03の偵察カメラが司令部へ送ってきた最後の映像である。
ロケット弾の1発目が命中した直後、怪獣は首をヘリ編隊のほうに向け、そのあとすぐに光線を発射した。
「これは日野市での対戦車ヘリによる怪獣攻撃の様子を映したものです。ロケット弾が命中してから怪獣はただちに光線を発射しています。では次」
2つ目は都庁から望遠カメラで、遠方にいる怪獣の様子を映したものだった。
「これは立川駅を攻撃するときの怪獣の様子を、都庁の望遠カメラで映したものです」
怪獣の頭部らしき部分が発光し、それから20秒後、あたりがピカッと光ったかと思うと、光の棒のようなものが伸びた。
「ご存知のように、怪獣はヘリのロケット攻撃を受けた直後です。口を発光させてから、20秒後に光線が発射されています。口を発光させてから光線発射までにタイムラグが出来たことになります」
「つまり、怪獣はダメージを受け、このように、光線の発射までにタイムラグができるようになった、ということでしょうか」伊波危機管理監が聞いた。
「そうです。ですが、次の映像をご覧ください。先ほどの国分寺での戦闘の様子です
3つ目は、つい先ほど行われた、国分寺市内における陸上自衛隊普通科部隊との交戦を、同じように都庁から撮影したものだった。
怪獣は同じように頭部から発光し――今度は近くなったせいか、口から発光しているのがわかった――、それから約2、3秒程度で地上に向けて光線にて攻撃しているのがわかる。
博士は画面を一時停止した。
「怪獣は国分寺での戦闘の時点で2~3秒で発射できるようになりました。また歩行速度も日野市で攻撃を受けた時よりも速くなっています。つまり、怪獣は急速に回復しつつあると考えられます」
「しかしダメージを受けているというのは、少なくても外見上はそう見えないな」と平井防災担当大臣。
「ええ、理由はわかりませんが、出血や傷などが見当たりません。仮説として身体、特に再生能力が非常に優れており、傷を負ってもすぐに元通りになってしまうことが考えられます。
人間なら、例えばかすり傷を負ってしまっても、かさぶたができ、傷跡がなくなるまで数日かかってしまうことが、この怪獣には数秒で済んでしまうことなのかもしれません。
また、怪獣の皮膚は回復力もそうですが、皮膚それ自体に異常なほど耐久性があると思われます。そうでなければ数十発のロケット弾攻撃に耐えられることはできません。
……さらに」
この攻撃の時、といって博士は画面を少し巻き戻した。
怪獣が光線を吐こうとしているが、自衛隊の誘導弾の第一波が怪獣の頭部に命中している。すると、怪獣は光線を吐くのをやめた。
「誘導弾が怪獣の顔面、前頭部に当たっています。この際、怪獣は光線を吐くのをいったん止めています」
「ということは怪獣の頭部を攻撃すれば、少なくても光線攻撃を一時的に止めることが出来るわけか」
半村官房長官が言った。
「そう考えられます」手塚博士はそういって頷いた。
「なら、頭部への攻撃を徹底させよう」
豊田防衛大臣が言った。
「私からの話をまとめますと、
1.怪獣は前方の、障害になるとみられるものに向けて光線を発射している。
2.怪獣は驚異的な回復力をもっている。
3.怪獣の皮膚それ自体が異常なほど耐久性がある。
4.怪獣は頭部に弱く、少なくても光線発射準備時に頭部を攻撃されると、光線発射は中断してしまう。
この4点になります」
手塚博士はそう言って、レクチャーを終えた。
「これなら自衛隊の怪獣撃退にも光明が見えるな」半村官房長官が言った。
「しかし、その自衛隊は移動できるのか? 道路は渋滞等でふさがれ、練馬の部隊も途中から多くの隊員は徒歩で、戦力を国分寺まで投入したと聞いている。
今はさらに渋滞も激しさを増しており、一部の幹線道路ではグリッドロック状態(交差点に極度に車が侵入した場合に引き起こされる超渋滞状態)もおこって、交通マヒが深刻だ」
と星経済産業大臣が言った。
「それなんだが」筒井国土交通大臣が言った。
「伊波危機管理監とうちの鉄道局長が自衛隊の鉄道輸送についての検討をはじめた。そうだね、伊波危機管理監」
伊波はそうです、と返した。
「鉄道輸送?」と豊田防衛大臣。
「自衛隊員を電車に乗せるのか?」
「ええ」伊波が言った。
「今、首都圏の鉄道は全線が止まっていますが、上に国交省や警視庁、都庁職員や鉄道関係者を集めて、住民の避難輸送を目的とした鉄道運行計画を練っています。
それと同時に、警察や消防、自衛隊員などの人員の被災地への輸送を検討させています。都内の幹線道路の多くがふさがった今、鉄道輸送なら移動が容易です」
「わかった。防衛省からもすぐにそっちに人を呼んで検討させよう。よろしいですか、総理」
福島総理はわかった、と言った。
東京、いや、首都圏はパニックに陥っていた。
午後1時30分現在、具体的には以下の地域に以下の避難指示、避難勧告が出ていた。
尚、避難指示(緊急)とは、市町村長が対象地域の土地、建物などに被害が発生する恐れのある場合に住民に対して行われる指示のことで、一番ハイレベルな警戒区域の設定の次にハイレベルの避難情報と言える。
避難勧告は避難指示よりもひとつ下の『勧告』となっている。
さらにその下は避難準備情報(避難準備・高齢者等避難開始)となっており、これはその名のとおり、避難の準備、または高齢者や傷病者、障害者などと言った災害弱者の避難の開始を呼びかけるものとなっている。
これらは災害対策基本法によって規定されている。
避難指示(緊急):
・東京都:八王子市、瑞穂町、あきる野市、福生市、瑞穂町、武蔵村山市、昭島市、立川市、日野市、多摩市、町田市、国立市、小金井市、小平市、国分寺市、東村山市、東久留米市、
西東京市、武蔵野市、清瀬市、稲城市、三鷹市、調布市、狛江市、稲城市、杉並区、中野区、練馬区、世田谷区
・埼玉県:所沢市、入間市、飯能市、狭山市、三芳町、ふじみ野市、富士見市、朝霞市、新座市、和光市
・神奈川県:相模原市、座間市、大和市、川崎市、愛川町、清川村
避難勧告:
・東京都:避難指示が出ている特別区以外の特別区、青梅市、日の出町、檜原村、奥多摩町
・埼玉県:さいたま市、戸田市、草加市、八潮市、三郷市、越谷市、吉川市、秩父市、横瀬町
・神奈川県:横浜市、厚木市、伊勢原市、松田市、秦野市、綾瀬市、海老名市
・千葉県:浦安市、市川市、松戸市、流山市
・山梨県:上野原市、大月市、都留市、道志村、丹波山村、小菅村
避難準備情報は神奈川、埼玉、千葉県の残る全域と山梨県の甲州市、富士吉田市、山梨市に発令されていた。
東京都は島しょ部をのぞき、その全域に避難指示か避難勧告のいずれかが発令されていた。
極めて広範囲に及ぶ避難情報だ。
さらに、有識者の分析は進んでいたものの、これからの怪獣の被害が全く予想できなかった。特に怪獣の進路は予測できない。突然向きを変えることも十分あり得た。
最早東京都のみの被害になるとは予測しがたかった。
埼玉、神奈川、千葉、山梨県の各県でも、各県知事が防災服をきて各県の防災センターにこもり、危機管理と情報収集を行った。
先にあったように、JRは首都圏の全ての鉄道の運行を見合わせた。怪獣の進路予測ができず、どのような被害が出るかわからないため、安全確保ができないという理由だった。
それは私鉄も同様だった。
航空機は東京都上空での一切の飛行を禁止された。
怪獣が光線を使って、航空機を撃墜する可能性が大きかったからだ。何せ、自衛隊、民間をあわせ、すでに12機のヘリが落とされている。
よって羽田空港は閉鎖された。成田も万が一を考え、閉鎖された。
羽田や成田へ向かっていた全航空機は関西国際空港や中部国際空港などに緊急に着陸した。
この処置は在日米軍も同様で、横田基地は全ての航空機の飛行を禁止した。
首都圏を走るすべての高速道路も通行止めになった。安全確保の困難、さらに緊急車両優先がその理由だった。
また、東京都は都民に対し、自動車での移動は控えるように徹底的な指示を出した。
バスは東京都の要請を受け、臨時に運行していたが、怪獣が移動するにつれ、怪獣が接近している区市単位で運行を取りやめていた。
都の避難民は最早徒歩にしか頼るしかなくなりつつあった。
自衛隊、警察、消防の行動は著しく鈍くなっていた。
交通渋滞と自家用車やバスの放棄、さらに避難民が道一杯に歩いているため、道路がふさがっていた。
線路上にも避難民がいて、怪獣から徒歩で逃れようとしていた。普段なら鉄道営業法違反だが、JRや私鉄、さらに警察もこれを黙認した。
また、これによって帰宅困難者が増えつつあった。新宿駅や渋谷駅などといったターミナル駅では、怪獣災害の報道を受け、帰宅しようとした人が駅に詰めかけ、混乱していた。
人々は少しでも怪獣から逃れようと必死だった。
都民の一部は越県し、周囲の四県に逃げる都民も増えていた。県境に各県警の機動隊が配備され、彼らが避難民を見守る姿は、まるで紛争地帯の難民とそれを見守る兵士たちを彷彿とさせた。
地震や水害とは違った、怪獣という前例のない災害の発生は、災害大国で普段から災害に過敏で、それでいて災害時には比較的冷静な国民たちも相当に動揺させた。
怪獣1匹のために、日本の誇る大都市、東京の機能をはことごとく、麻痺してしまった。
憲吾と京子はまだ立川駅近くの雑居ビルの地下にいた。
救助を待ってから移動しようとしていたが、その救助がなかなか来ないのだった。
スマートフォンのワンセグテレビによると、怪獣は国分寺市を破壊し、小金井市に進入したという。
憲吾は自分の両親と、中学2年生になる弟の安否を思い、不安に駆られた。
憲吾は外から少し煙が入っていることに気が付いた。
どこかで火災が起きているのか。
いずれにせよ逃げた方がいいな、憲吾はそう思った。
「桐谷さん、どっかが燃えているみたい。移動しよう」
「えっ、どこへ?」
「ここからだと、昭和記念公園が避難所になっているはずだ。そこになら人や医療スタッフもいるかもしれない。僕が負ぶうから、動こう」
「えっ、大丈夫だよ。歩けるよ」
「それでも歩き始めたらまた血が出ちゃう。ほら」
憲吾がそう言ったとき、二人の耳元に子供の泣き声が聞こえた。
憲吾は京子を無理やり背負い、地上に出た。
車道は捨てられた車で埋め尽くされていた。彼らより南側、交差点の方をみると、へこんでいる車や倒壊した建物、そのなかから煙が上がっているのが見えた。
少し火がくすぶっているのもが見える。
これではまともに車は動けないな、と憲吾は思った。
歩道に、北の方、立川駅の方角から、1人の子供が泣いて歩いているのが見えた。
憲吾はその子に近づく。髪が長く、色白だ。
ズボンをはいているが、女の子のようだった。
「ここは危ない。ちょっと離れよう」
憲吾はそう言って、京子を背負い、女の子と手をつないで、交差点から離れるため、歩き始めた。
立川駅の方からは複数のサイレンの音がこちらへ近づいているのが聞こえる。
憲吾たちは100メートル歩き、裏路地のようなところに隠れた。憲吾は改めて女の子と話す。
「どうしたの?」
「お母さんが……」といって子供は倒壊した立川駅の方を指さした。
立川駅には消防隊は多分つい先ほど到着したばかりなのだろう、消防隊員が続々と放水や救助活動を開始しつつあった。
憲吾と京子は動揺した。
しかしどうしようもなかった。
「ねぇ、君、名前は?」
「タカヤ シノブ……」
そういってポケットの中からチューリップの形をした名札を取り出した。
『ひまわり組 たかや しのぶ』と書いてある。
ちょっと借りるね、憲吾はそう言って名札の裏を見た。
『東京立川はなまる幼稚園 ひまわり組 高谷忍 住所 東京都立川市高松2丁目○○ 身長111.5センチ 体重18.2キロ 血液型A型』
憲吾はどうしていいかわからなかった。
。多分立川駅から一人で歩いてきたんだろう。
けど、母親があの中だとすると……
その時、立川駅の方角から2台の赤い放水車と2台の救急車がやってきた。1台の放水車から拡声器の声が聞こえる。
『こちらは消防です! これより炎上箇所に対し、放水を開始します! 救急隊も向かいますので、ケガのある方は申し出てください!』
救急車から救急隊員たちがおりて、消防士たちとともに交差点の方へ向かった。1人の救急隊員が彼らの前で止まる。
「大丈夫ですか?」
淡い青色の救急服をきて、疲れた表情をした若い救急隊員が言う。
「ぼくは大丈夫ですが、彼女が足にけがをしています。あと女の子が立川駅の方角からやってきて、お母さんに会いたがっています。お母さんは今立川駅にいるとのことです」
「そうですか……」救急隊員は言った。
「今、この辺は停電しており、ご覧のとおり車も動けません。立川駅も含め、ここにいるのは危険です。昭和記念公園に医療施設が開放されています……失礼ですが、歩けますか?」
京子は歩けます、と頷いた。憲吾は渋い顔をする。
救急隊員は失礼します、といって京子の足の様子を見る。
「止血はされているようですね……今のところ血も流れていません。ですが、歩くには少し危ないと思います」
救急隊員は言った。
「今、後方……立川駅の方向に救急隊も到着しています。昭和記念公園まで搬送します」
憲吾はわかりました、と返事をした。
京子は少し渋い顔をしたが、わかりました、と言った。
京子は今度は救急隊員に背負われた。
『只今より放水します! 放水開始!』
放水が開始され、炎上箇所に水が叩き込まれる。
その周辺にも水が舞い、憲吾たちも少し水にぬれた。