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「一緒に行こう?」

 冬莉の手があたしの手を掴んだ。「んっ……」口から勝手に声が漏れる。異様に冷たい手だった。雪見だいふくだから当然といえば当然なのかも……なんだか繋がった手から冬莉の心臓の鼓動が伝わってくる気が――いや、これはあたしのか?――冷たくて温かい、へんな気もち。

 気付けばくちびるが触れそうなほど近くに冬莉の顔があった。あたしの視界は、冬莉だけ。

 囁き声が頬をなぜる。

「……わたしと一緒に、死んでくれるよね?」

 どきどきし過ぎて目をつむりたくなる。つむった。首がすくむ。冬莉近すぎ。息かかってる。ハーブティみたいにいい匂い。花の香り。繋いだ手だけがおかしなくらい冷たくて、かろうじてあたしの理性を繋ぎ止めてくれている。

 あたしもかすれる声で囁いた。

「死ぬ、ってなに。どういう意味」

「そのまんま。……たとえばそこから飛び降りて、二人で一緒にどこか遠いところに行くの」

 冬莉が見てた『ここではない、どこか別の世界』は、死後の世界だった……?

 まじで? 本当に心中?

「二人でだったら、こわくないよ。なんでかって言うとね」

 冬莉はいまどんな顔をしているんだろう。

「ひとりで死ぬひとは、これから自分が向かう未来、死ぬっていうことを真っ直ぐ見てないといけない。だけど二人でいれば、未来じゃなくてもうひとりの相手を見ていることができる。死ぬことから目を背けて、一緒にいるひとのことを考えて、いつのまにか死んじゃえる」

 言ってることは、ほとんど分からなかった。

「だからこわくないよ。二人なら」

 実際に死ぬのかどうかはともかくとして、冬莉は本気みたいだ。冗談とかではない。冬莉的に本気なのだ。だから聞いた。

「……白羽は、死にたいわけ?」

「ううん。わたしはどこか、違うところに行きたいだけ」

「じゃあなんで死ぬなんていうのさ」

「どこか違うところなんて、このせかいのどこにもないから」

 一瞬だけ声色が変わった気がした。苦い薬の味。

「……なんで、違うところに行きたいなんて」

 もうとっくに行ってる気がしてたけど。

 だけど、冬莉自身は、ぜんぜんまったくそうは思ってなかったみたいだ。

「ここに、わたしの居場所はないの」

 冬莉は――笑っていた。

 でもそれはもう、ショートケーキでもザッハトルテでもなかった。何か苦々しい、見ていると切なくなるような……あたしには、例えようがなかった。

「わたしは、変。ゆかこなら分かるでしょう?」

 ……自覚、あったんだね。

「わたしはわたしを変えてせかいのかたちに合わせるか、せかいを変えてわたしのかたちに合わせないといけない。でも、どっちも無理。わたしは変すぎた。ここはわたしのいるべきせかいじゃない……」

 冬莉はか細い声をすこしだけ震わせながら、切々と、自分の居場所はここじゃないと訴えた。

 それはあたしの中の白羽冬莉像が粉々になった瞬間だった。

 彼女は誰にも縛られずにいつもひとり、自由でふわふわな美少女で、よく分からない不思議ちゃんの推定妖精――

 なんかでは、ぜんぜん、なかったのだ。

 白羽冬莉は妖精ではなくて、

 あたしと同じ、悩める中二の女の子。でも。

「だから、ゆかこ……」

 でもね?

「一緒に、死のうよ」

 一緒に死ぬとか。どうなのよ。

 あたしは考えた。真面目に考えた。冬莉と一緒なら死ねるか? 確かに生きてるのはつらい。ちょっとしたことで昨日まで仲良さげにしてた友だちが、吐きそうになくらい酷い言葉をかけてくる。あたしがクラスの中で一生懸命必死になって築いて笑っていられたあの場所は、じつはミルフィーユのパイ生地一枚よりも薄くて壊れやすいものだったのかもしれない。それを壊さないように、壊さないように、大切にしながら生きていくのはとてもたいへんで、疲れて、ストレスで胃に穴が空きそうなことで……って、昨日のことで思うようになった。ふて寝の余波で眠れないベッドの中で、そんな暗いことをぐるぐる考えてた。

 死ねばそんなの関係ないし、確かに楽になれそうだ。

 あたしはそれはもう真面目に考えた。

 ふだんまったく使わない頭を酷使した。

 そしてようやく、答えを出した。

 それを冬莉に伝える。

 掴まれた手は相変わらずやたらと冷たくて、なんだか妙に緊張した。告白されるってこんな感じなのか。返事をするっていうのはたいへんなことだ。

 でも言わなきゃ。

 それが多分、冬莉に対する礼儀というやつだ。

「ごめん」

 あたしはゆっくりと、繋いだ手をほどいた。

「……だって、死ぬの、怖いし」

 冬莉の笑顔がついに完全に壊れて、デコレート前のスポンジみたいになった。

「……ごめん」

 いたたまれなくなってもう一度謝る。

 でも、言ったことは本心だ。それはそうだ。どれだけいやなことがあっても、ふて寝したせいで夕ご飯食いっぱぐれても、そのせいで夜眠れなくなって隈ができても、やけ食いのために振り上げた千円札の下ろしどころがなくなってしまっても……怖いものは、やっぱり怖い。冬莉的には二人なら怖くないらしいけど、それはうそだ。二人だろうが百人だろうが怖いに決まってる。だって痛そうだし……。

 冬莉は濡れてしぼんだわたあめのような声で言った。

「ゆかこなら分かってくれるって信じてたのに……」

 ごめん。今度は心の中だけで、またあたしは謝った。

 冬莉は一歩、二歩、下がった。少し泣きそうにも見えた。気のせいかもしれないけど。

 次に彼女が言った言葉は、あたしの心を深く抉った。

「わたしはゆかこみたいになりたかった」

 ――あたしは冬莉みたいになりたかった。

 なぜだかとても、泣きたくなった。盗みの犯人扱いされたときにも大して悲しくなかったのに、冬莉のこの一言、たった一言がどうも、あたしの中のデリケートな部分をド真ん中で撃ち抜いたようだった。

 でも泣かない。

 我慢した。

 それはだめだと、あたしの中の何かが強く訴えたから。

 まばたきもしないであたしは耐えた。唇を強く噛んで。こぶしを強く握って。

 冬莉はゆっくりと踵を返すと、去っていった。

 あたしは一人になった。

 ようやく力が抜けて、目を閉じる。たまっていた涙が一粒こぼれて地面に落ちた。

 雨が降ってきた。妙に温かい雨。見上げても雲なんかひとつもない。不思議な雨だ。

 それはすぐ、やんだ。

 後に残ったのは、澄んできれいなブルースカイ。


 次の日、あたしは何とか頑張って登校した。べつにちゃんと学校行かなきゃとか思ったわけじゃなくて、冬莉のことが気になったからだった。まさか一人で死んでたりしないかなと、不安になったのだ。

 冬莉はいつものように机について、半分閉じた目でここではないどこか別の世界、彼女自身がいるべき世界を見つめていた。

 あまりにもいつもどおりすぎて拍子抜けしたくらいだ。

 あたしは自分の席、冬莉の斜め後ろに座って、じっと彼女の後ろ姿をを見つめた。いつかみたいに振り向いて、笑顔でようこそ?とかなんとか、言って欲しかったのかもしれない。

 でも、どれだけ見つめても……

 冬莉は一度も、振り向いてはくれなかった。

 お昼頃には明らかに無視されてるんだなって分かって、ちょっと悲しかった。いやちょっとどころじゃない、かなり悲しかった。せっかくのお誘いを(それが心中であるにしても)断っちゃったのだから仕方ないのかもしれない。でも悲しいものは悲しい。

 最後の授業が終わる頃、あたしの頭にふと、こんな考えが浮かんだ。

 ――冬莉の中では、あたしは、死んだ人になったのかもしれない。

 死んだら見えない。視線だって感じない。だから振り向かない。

 冬莉の不思議な頭の中身がどうなってるかなんてあたしには分からないけど、それはもしかしたら、冬莉なりの心の守り方なのかもしれない。……あたしが断ったのがショックだったっていうのが、あたしの自意識過剰でなければだけど。でもたぶん、そんなに間違ってない。

 わたしはゆかこみたいになりたかった――あの言葉は、いったいどういう意味だったんだろう。

 あたしは自称ふつうの中二女子。冬莉に目をつけられるくらいにはへんらしいけど……。

 そんなあたしのどこが、冬莉はいいと思ったのか。

 よくわからない。

 でも、こう思うのだ。ふつう、あのひとみたいになりたいって思ったら、そのひとと仲良くしたいと思うんじゃないか……って。

 冬莉はふつうじゃない。けど、冬莉だってやっぱり悩める中二の女の子だ。あたしと少しくらいは、おんなじところがあったっておかしくない。

 あたしは冬莉が好きだ。不思議で自由な女の子。あの子みたいになりたかった。今までは勇気とかそういうのが足りなくて、それに冬莉は遠い存在みたいに思えてたから、ずっと見てるだけでいいと思ってたけど……。

 仲良くしたいんだ、本当は。

 きっと冬莉も同じだ。

 それに、いつもひとりで、しかもこの世界が自分の居場所じゃないとか思っていて……それって、寂しいことじゃないのかなぁと思う。

 だから……。

 あたしは席を立った。そしてどきどきする胸を押さえながら、一歩ずつ冬莉のところに歩いていく。

 そしてありったけの勇気を振り絞って、名前を呼んだ。

「冬莉」

 雪見だいふくみたいなきれいな顔が、ゆっくりとこっちを向く。

 そこに浮かんでいる表情がどんなものか、人生で最高に緊張しながら、あたしは待った。


あとがき。


ここまで読んでくれた方、ありがとうございます。

甘くて苦い、そんなお菓子が食べたいなぁ……そんなかんじです。

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