2
そんな白羽冬莉と、今あたしは二人ぼっち。
どころか、何かとてもたいへんなことを言われた気がする。
いまこのひと、一緒に死んでって言ったよね?
どういう意味? 言葉通り? ……じゃないよね。妖精語? 死ぬって妖精語で遊ぼうって言われてるとか。知らないけど。ていうか死ぬとか言うなよ推定妖精の癖に。
あたしはさぞかしお間抜けな顔をしていたに違いない。半分笑ったみたいな、どうしていいか分からないときの顔だ。
冬莉は本気なのかどうかわからない。というより、本気には見えない。なぜなら彼女は今、ショートケーキみたいな笑顔を浮かべているから。微笑みながら心中を持ちかけるなんて想像できないし。
意味不明。
混乱のせいなのか何なのか、あたしの口から意思とは関係なく声が出た。
「しらはね……ふゆり」
なんで名前なんだよ。意味不明なのはこっちも同じだった。
でも呼ばれた当の本人は、まるでそれが正しい答えだったみたいにとっても嬉しそうな笑顔でうん、と答えてくれた。あたしの胸がむやみにあったかくなる。きれいな笑顔だ。
「さくらゆかこ」
どきりとする。白羽冬莉の口からあたしの名前。お返しってこと?
あたしはなんだか焦った。
「な……なにしに来たのさ。こんなとこに」
ついこっちくんなよみたいな台詞を口走ってしまう。別にそんなこと言いたかったわけじゃないのに。
「ゆかここそ、なんでここに来たの?」
彼女は笑ったまま、質問に質問で返す。
なんで、って。
……いやなことが、あったからだよ。
きゅっと胸が締まった。ぐっと言葉に詰まったあたしを、冬莉は微笑んで見ている。まるで何もかも見透かしてるみたいに。
居心地が悪くて、あたしは視線を逸らした。
「……あたしのことはいいでしょ、別に。先に質問したのはこっちだって」
「ゆかこに会いに」
不思議ちゃんめ。どうしてあたしがここにいるって知ってんのよ。
「ゆかこなら、来てくれるって思ってた」
ちなみに呼ばれた覚えはこれっぽっちもない。あたしが今日ここに来たのは完全にあたしの意思で、冬莉と会ったのはただの偶然だ。
しかし、一体どう答えたらいいんだ。冬莉が電波なので分からない。冬莉とあたしの周波数だか波長だかは残念ながら、ズレているようだ。
黙っていたら冬莉のほうが話を続けた。とんでもないことを言う。
「ゆかこ今、死にたいなぁって思ってたでしょ?」
「はぁ?」
思ってなかった。……こともないけど。
「じっと下を見て……きゅっと手を握り締めて……少しぼうっとしていて、わたしが来たのも分からないくらいに。あしがちょっと、ふるえてた」
ショートケーキの笑顔がザッハトルテ(生クリーム抜き)になった気がした。
「やなこと、あったもんね」
血の気が引いた。
――なんで知ってんだ。
あのとき冬莉はいなかった。誰かから聞いたってこともありえない、なぜなら冬莉はいつもひとりだから。
まさか。
いや、そんなはず。だって妖精さんだよ? ありえない。でも……
知らないはずなのに知ってるってことは、つまり。
「やったのは、わたし」
……まじで?
耳を疑うとはこのことだ。でも、そうだ。確かに。冬莉は直前までは、いた。
昨日の体育の時間の後、着替えてるとき、クラスの一人が騒ぎ出した。何かが無くなったって。その子にとってはひどく大切なものらしかったけど、何だったのかは忘れた。どうでもいい。
問題なのは、あたしが濡れ衣を着せられたってことだ。
あたしはそのとき生理痛がひどくて保健室に行ってた。あたしの他に休んでたのは白羽冬莉だけだった。だから自動的に、あたしが犯人ってことになった。
……実際何言われたとかどういう空気になったとかは、ほんと、思い出したくない。ちょっと吐きそう。
冬莉は体育が終わった頃にはもう学校からいなくなってた。それ以前に誰も冬莉がやったなんて疑いもしてなかっただろう。推定妖精がこの世のかたちあるものに興味を持つなんて想像つかない。
でも、さっきの言葉が本当だとすれば、盗みを働いたのは……真犯人は、白羽冬莉。
「……なんでそんなこと、したの」
言いながら、あたしはあれおかしいな、と思っていた。もっと怒ってもいいはずだ。白羽冬莉のせいで気持ち悪くなるくらいいやな思いしたっていうのに、なんで?
「ゆかこはいま、ここにいる」
「……そうだね」
見りゃ分かる。それがどうしたっていうのさ。てゆうか質問に答えようよ……。
「わたしが、やったから」
「……そうだね。白羽がやったことで、あたしはいやな思いして、ここに来る羽目になった」
あたしがそう言うと、冬莉は本当にうれしそうに、大きくうんと頷いた。
「それが、理由」
……はぁ?
いまいちよく分からないけど、つまり、こういうこと?
白羽冬莉はあたしをこの場所に呼ぶために盗みを働いて、あたしにいやな思いをさせた。
……うそでしょ?
「あたしに」会いたかったの? って聞きかけて、何か恥ずかしくてやめた。「……何か用があったの?」
冬莉は頷く。まだ、ザッハトルテみたいな笑顔。
「だったら普通に呼べばいいじゃん……。なんであんな、……遠まわしなこと」
「テストだったの」
「テスト?」何の?
「わたしと一緒に行ってくれるかどうか、っていうテスト。ゆかこは合格」
合格らしい。
「……それはどうも」
この推定妖精少女の言うことにいちいちついていくのは本当にたいへんなんだけど、こういうことですか?
いやな思いをして、ここに来たら合格。推定妖精と心中(……証拠がないから推定心中だけど)する権利がもらえます。……理解できねー。
でも。でもね。
実を言うと、あたしは、結構……
「なんで」
結構、嬉しかったり、していた。
「なんで、あたしなのよ……」
「わたしのこと、見ててくれたし」
うわ。そんなこと言われたら。
ハートを突き刺されたみたいな気がした。バレてるって分かってはいたけど、言うタイミングが悪い。
そう、あたしは嬉しかった。冬莉に選んでもらえて、うれしかったんだ。
あたしは冬莉に憧れていたから。
雪見だいふくみたいな肌の、わたあめみたいな声の、ショートケーキあるいはザッハトルテのような笑顔の……ぽわぽわした白羽冬莉に、どこまでも普通人のあたしはとっても憧れていたのだ。
あたしは推定妖精、白羽冬莉みたいになりたかった。
その憧れの推定妖精少女に合格、と言ってもらえて、あたしはすごく嬉しかった。でも。
「ゆかこなら来てくれるって、思ってた」
「そ、そう」
確かにあたしは嬉しかった。けど、それとセットになってる気持ちがあるんだ。
不安。
こんなに普通なあたしを、どうして冬莉は選んだんだろう。何かの間違いじゃないの? そういう気持ちが、どうしても拭いきれない。
「……あたしで、いいわけ?」
「うん」
「あたしはこんなに普通なのに?」
名前だって普通だし。佐倉結花子。白羽冬莉に比べたら全然ふつうすぎて泣けるくらい。
冬莉の返事は予想外だった。
「ふつうってなに?」
あたしはすぐに返事できない。
「ふ、ふつうっていうのは」
なぜか必死で、あたしは考えた。
「ふつうっていうのは、……多数派ってことだよ。みんなと一緒なの。マジョリティーってやつ?」
「今ここには、わたしとゆかこ二人しかいないよ?」
そりゃそうだけど。
「今ごろ多数派は学校で授業受けてるよ。ねむくてつまらない、何の役に立つのか分からない、そんなことのために集まってえんえん時間を潰してる……」
冬莉の吐く毒があたしの体に染み透る。この子ってこんなことも言うんだな……。
「わたしたちは、違う。ふつうじゃない」
そう言うと冬莉は一歩を踏み出した。二歩。三歩。あっという間に距離を詰めてくる。
得体のしれない威圧感を覚えたあたしは、無意識のうちに一歩下がろうとして後ろが崖なのを思い出した。
冬莉はもう目の前だ。