十一話 作戦実行
アルミンは天井を眺めていた。
ここ三週間ほどで随分見慣れてしまったその天井は白く輝いていた。その綺麗さとは裏腹に、アルミンの心は汚泥のようにドロドロのしていたが、それを表に出すような真似はしない。
なぜなら、ここは敵の本拠地。
神聖皇国の中心地にある大聖堂の中だったからだ。
ルクス共々奇襲を受けたアルミン達は、大勢の敵に囲まれて抵抗すらできずに捕まった。そのまま連れてこられたのが、ここ神聖皇国だ。
すぐさまヒルデと引き離されて、アルミンは今いる部屋に放り込まれた。
食事は出る。身体を拭く湯も与えらえる。柔らかい寝具が用意されている。
条件だけ見れば、通常のアルミンの生活よりも贅沢な暮らしかもしれない。そんな軟禁生活を余儀なくされていたのだ。
「さてさて……今日の昼飯は何ですかいっと」
そんな軽い様子でドアに近づいていくアルミン。すると、すぐさまドアが開かれそこからメイドが現れた。
「何か、御用でしょうか、アルミン様」
「いや、なに。そろそろ腹が減ったと思ってよ。何かあるか?」
「はい。ただいま料理人に作らせますのでしばらくお待ちくださいませ」
「おぅ! しっかり手の込んだもんにしてくれよ? たのんだぜ」
アルミンが扉に近づく前に出てくるあたり、自分がどのような状況に置かれているか理解できるのだろう。アルミンはメイドの去り際に舌打ちをしながら踵を返す。だが、扉が開いたその隙に、アルミンは気づかれないように小さなゴミくずをそっとはじき出した。
「連絡とるのも一苦労だわ……勘弁しいてくれよ、全く」
メイドが出ていき、一人になった部屋の中でそうおどけるアルミン。その両手は、焦りと怒りで強く、強く握りしめられていた。
◆
一方、カレラもアルミンと同じように部屋に軟禁されている状況だった。
聖女――元ではあるが――という立場上、神聖皇国でも上の立場であるのだが、やはり外に出ようとすると止められた。教皇の娘という権力を用いても、その父親自らの命令だといわれれば当然そちらが優先された。
だが、カレラには信頼できるメイドが数人いた。そのメイド達に頼んでアルミンとの連絡を取ろうとしているのだがなかなかうまくはいかない。
何度か、やり取りをすることはできたが細かい打ち合わせなどはできやしない。なんの打ち合わせかというと、それはヒルデの奪還だ。
連れていかれたヒルデ。
彼女は一週間後には殺されるという。ただ殺されるわけではない。悪魔の力を削ぎ、この世界に平和を導くための尊い犠牲なのだそうだ。当然、カレラはその理由に納得はいかなかった。かつて自らを襲った状況が、今のヒルデに覆いかぶさっている。
生きたいという我儘が叶った自分だからこそ、他の誰かが同じ理由で死んでいくのをただ見ているだけというのは許せなかった。
カレラは決意する。
ヒルデを助け出すと。
そんなカレラの部屋に唐突に来訪者が訪れた。ノックとともに入ってきたのはメイドである。
「何の用?」
「お茶を入れに参りました。失礼します」
丁寧にお辞儀をするメイドとは裏腹に、カレラの態度は冷たい。
だが、そんなことは気にもせずメイドはお茶をいれ、そっとカレラへと差し出した。
「今日はとても珍しい茶葉が入りましたから、ご賞味くださいませ」
「ん……わかった」
そう言ってメイドが出ていった瞬間――カレラは素早くカップの中のお茶を捨てると、中には何やらゴミのようなものが入っていた。その水分を拭うとそれは小さな布の切れ端。そしてそこに小さな文字でこう書いてあった。
――決行は前日。作戦了承。
その文字をみて、カレラはじっと床を見つめた。その視線の先に思い描いたのは、思い描いた理想か残酷な現実か、カレラ以外にはわからない。
◆
処刑――もとい悪魔討伐の前日。ヒルデは一人、自室に籠っていた。
特に見張りがついているわけではない。部屋の外に出ていこうと思えば行ける。だが、彼女は部屋にいることを選択したのだ。
というのも、そもそもアルミンが現れなければ、ヒルデは異論なく神聖皇国の要望を受け入れていただろう。悪魔を討伐するために自分の命を捧げる。それは、聖女としてとても正しい形であるし、人々のためになるならむしろ望んでその命を捧げようとすら思っていた。
だが、兄であるアルミンが現れて、そしてルクスやカレラ達と過ごすことでヒルデの生きたいという欲求が顔を出してしまったのだ。兄と、そして友人と語らう時間は楽しかったのだろう。それを手放すのが惜しくて、アルミンと共にいた。
だが、それは間違いだったのだ。
自分と一緒にいることで、兄は捕まり、カレラ達に迷惑をかけることになった。はぐれたルクスやフェリカの安否も気になっていた。もし、自分が勝手なことをしたら兄に危険が及ぶと思うと、部屋の中にとどまることしかできなかったのだ。
「これで……いいんですよね」
自分に言い聞かせるようにヒルデは胸の前で両手を強く結んだ。
それは、自分の感情を抑え込むかのように、力強く結ばれていた。
明日には、自分は祭壇の上で命を散らし、封印の解かれた悪魔を神聖騎士団が滅ぼしてくれる。それだけを信じて今を過ごすしかない。それしか、できないのだ。
力のない自分には、運命を捻じ曲げる力なんてない。
唯一の肉親である兄を守るためには、命を捧げるしかない。それが現実だった。
日々、そんな葛藤に苛まれていたヒルデであったが、やはり自由に生きていたカレラの姿をみてうらやましくも思ったのだ。
「これで、いいはずなんですっ……お兄ちゃんも、もう頑張らなくていいし、カレラ様やルクスさんたちにも迷惑がかかっちゃうから、これで――」
言葉とは裏腹に、頬に流れるのは涙。
その涙を、ヒルデは慌てて拭った。
「どうして涙なんて! 私は聖女なんですから! だから、世界の人々のために! ……ために、命を投げ出すくらいは、それくらいは――」
言い聞かせようにも、あふれる涙は止まらない。
そして、しまいには拭うことすら忘れてしまって、少しずつ床を濡らしていく。
「……いちゃん、お兄ちゃんっ! 私、わたし、死にたくないよ……」
押し殺した叫びは、部屋の中だけに響いた。
「――お兄ちゃん!」
「ああ、待たせたな」
誰にも聞かれることのなかった慟哭。
それに返事をするものがいたことにも驚きだが、その返事をした者にも驚いた。声のしたほうをみると、そこには兄であるアルミンがいた。聖女としての人生、その最中の夢のような時間をくれた兄がそこにはいたのだ。
なぜだか、床から顔だけだした状態で。
「お兄ちゃ――」
「感動するのは後だ。とにかく今はここから逃げ出すぞ? いいな?」
まるで床に置かれた置物のような兄の顔がやたらとシュールでどうにもしまらないな、と思ったヒルデであったが、兄の言葉には即座に頷いた。
「はい!」
そこから始まったのは、決死の逃亡劇だった。
床下の潜ると、そこにはカレラもいた。どうやら、どこかから床下をぶち抜いてヒルデの部屋まで来たらしい。
カレラならば大聖堂の構造をしっているから不可能ではないとわかったが、どうやって見張りをかいくぐったのか。それがヒルデには不思議でならなかった。
「ん? 踏みつけた」
「殴った」
そんな言葉にヒルデは呆けてしまったが、すぐに苦笑いを浮かべると二人へと問いかける。
「それで……逃亡経路はどのようにお考えですか? 私の部屋は大聖堂の奥。表に出るためには、それなりに人目についてしまいますが」
そう聞くと、アルミンもカレラも自信ありげに頷いた。
「考えてなかった」
「殴る」
その瞬間、ヒルデはなぜ自分と一緒に来たのがこの二人だったのかと、神に悪態をつきたい気持ちになったという。




