三話 水魔法の可能性
ルクスにぶつかってきた少女はおもむろに立ち上がる。ルクスを庇うように両手を広げると、か細い声で男達に告げた。
「この人は無関係。用があるのは私だけのはず。手出しは無用」
「え、あ、どういう――」
「ただ私もやられるわけにはいかない。くるなら覚悟をしたほうがいい」
男達は無言のまま、武器を取り出すことで答えた。皆、揃いの短剣を取り出しており、まさしく一触即発といった状況だ。そんな中、少女はルクスを一瞥する。その時、一瞬だったが柔らかな笑みを浮かべていた。まるで、ルクスを安心させるかのように。早く逃げてと、無言で伝えていた。
当然ルクスは状況を飲み込めるわけもなく、男達の穏やかでない雰囲気に背筋を凍らせていた。じりじりと遠ざかりながら、何が起こっているのか理解しようと躍起になっていた。
ルクスは考える。
少なくとも、目の前の男達と少女は友好的ではないのは確かだろう。男達も皆、武器を取り出していることから少女が追われる身だったのは明らかだ。何が原因かルクスには当然わからなかったが、このままだと少女は捕まり、もしかしたらその身に危険が及ぶことは想像に難くない。もちろん、自分は無関係なのだから逃げ出すことは難しくなさそうだ。そして、そうすることが自分にとって最も得なことだと、頭の中では理解していた。
だが、こんな危機的な状況にもかかわらずルクスの身を案じて庇ってくれている少女がいる。ルクスは目の前のか弱い少女にこんなことをさせてしまっている事実に、ただただ無力さを感じていた。のっぴきならない事情があるのだろうが、なぜだかこの少女の影に隠れているだけの自分ではいたくないと思ったのだ。先ほど感じた感情の答えはまだ見つかっていない。けれど、あの時のときめきを思い出すと、自分を叱咤する声が聞こえてくるのだ。
元々、魔法適正が低く見下されてきたルクス。大道芸をやるしか能がない自分だが、いつしか自分の力で周囲を見返したいと思っていたのだ。だが、もし目の前の少女を見捨てて自分だけが逃げたとしたら。見返す日など永遠にやってこないだろう。ルクスはそんな確信を抱きながら、少女の背中を見ていた。
その背中は小さく震えていた。
堂々と胸を張るその後ろ姿は救いを求めていた。
ルクスは、先ほどとは違う胸の痛みを感じていた。張り裂けそうなその痛みはすぐに全身に広がり、ルクスに立ち上がる勇気を与えてくれる。
「ちょ、ちょっと待てよな、そこの変態野郎ども。女の子一人に向かってその人数はないだろうよ。男としてのプライドはないのか? 一人で来るのが不安なら、家に帰って母ちゃんにおっぱいでも、ねだってな」
そういって、少女の前にルクスは躍り出た。
膝も腕もおかしくなるくらい震えているし、顔もひきつっている。冷や汗が滝のようにあふれ出ているが、なぜだか煽るような言葉を投げつけていた。
「どうして……」
「わかんないけど、はは。なんか色々考えたらこうなっちゃったんだよ。助けてほしかったんだろ? もし違うんだったら、今すぐにでも逃げ出したいけどな」
ルクスがそうこうしている間に、二人は男達に囲まれていた。退路を塞がれて、もはや、逃げ道はない。
「ダメ。こいつらは普通じゃない。簡単に人を殺す。早く逃げて」
「けど、これって逃げ切れる状況? えっと、なんとか見逃してくれやしないかね」
青ざめながら冗談めかして語るルクスだったが、逃げる算段など全くない。けれど、このまま見つめあっていてもしょうがないため、ルクスは唯一の特技を行使する。
「まあ、観客が六人じゃ気合も入らないけどさ。しょうがねぇな……」
そういってルクスは一歩前にでた。男達は警戒するように短剣を構えなおす。そんな様子を横目で見ながら、ルクスは両手を広げ笑顔を浮かべた。
「さぁさぁ! よってらっしゃい、見てらっしゃい! 今から始まるのは他のどこでも見ることができない前代未聞の離れ業! ここでしか見れない水の妙技を解くとご覧あれ!」
突然の呼び声に、目を丸くする少女。男達も何事かと驚いているようだ。
ルクスは、その反応に気をよくして魔力を練り上げる。当然、唯一使える水魔法を行使するのだ。
ルクスは、普段とは違い、男達の背後に五つの水球を生み出した。もちろん、それはただの水であり殺傷性は全くない。けれど、間違いなく気を引けるだろうとルクスはその五つの水球をすべて同時に男達の後頭部にぶつけた。
――その瞬間。全員が真後ろを振り向き、その隙にルクスは少女を肩に抱えて走り出した。
当然、逃げ出したことに気づかれたが、ルクスはもう一度水球を生み出し男達の顔面へとぶつけていく。目くらましくらいにしかならないが、視界が水で塞がれた瞬間にルクスは茂みへと入り込み男達から逃れた。
森の中を疾走する。
普段から練習のために訪れているルクスは、ある程度の地形を把握していた。できるだけ視界を遮ってくれる方向へ逃げながら身を隠せるところを思い浮かべる。
「今の……何?」
「あ? なんだって!?」
「今の魔法……」
少女はルクスに抱えられたまま疑問を投げかけていた。だが、必死に走るルクスは返事を返すのもやっとの状況だ。
「ああ! ただの水魔法だよ。っていうか、走れるか!? いつまでも担いでちゃ逃げ切れない!」
「ん」
ルクスは少女の返事を確認して地面へとおろす。そして、さらに速度を上げながら走る。その道中も、少女はルクスの魔法が気になるのか、しきりに声をかけていた。
「……あの魔法、ただの魔法じゃない。あんなこと、普通はできない」
「そういうことか……。まあそうだろうな。俺の魔法が普通じゃないんだよ。といっても、大したことができるわけじゃないけどな」
――魔法。
それは、人間が持つ魔力を、現象へと変換させること。火を生み出したり風を引き起こしたりするためには、普通は燃える何かが必要であったり、気圧の変化が必要であったりする。しかし、魔力はそんな自然法則を捻じ曲げる強い力を持っていた。
理論的には、引き起こしたい現象にふさわしい魔力と具体的な想像があれば、どんなことでも生み出せる。それが魔法だ。当然、人の想像力では及ばないことでは魔法を創造することはできない。しかしながら、魔力があればできることは増える。だからこそ、一度に放出できる魔力量を基準とした魔法適正が重視されているのだ。
だが、この魔法。行使するには一定の条件があり、その条件の一つが、自分の体から直接生み出さなければならないことが挙げられる。だからこそ、ルクスの魔法は異質であり、異常なのだ。自分と離れた場所に魔法を生み出すなどといったことは、この世界では不可能とされている。理由は不明であるが、ルクスの持つ魔法の特性は、とても珍しいものだった。
だからこそ、男達は後ろから当てられた水球に反応して振り向いたのだ。ルクスを視界に納めていた彼らだったが、そこでは魔法は生み出されていなかった。ゆえに、ルクス以外にも伏兵がいるのでは、という考えに当然帰結する。
ルクスは、そんな魔法の特性を利用して、彼らを欺いたのだ。途中途中の水球での目くらましも、空中に魔法が唐突に出現するわけがない、という考えがあるからこそ有効であった。そうでなければ、ルクスの水魔法などよけることなど容易い。
ルクスは自分の魔法の利点を活用し、こうして逃げることができているのだ。
「そんなことよりもさ! この先に洞窟がある。まずは、そこに身を隠してやり過ごそう!」
「そんなこと……ううん。わかった。任せる」
無理やり話題を変えたルクスに、少女は納得がいっていない様子だったが、今はそれどころではない。すぐに思考を切り替えて逃げることに注力した。
そんな二人の努力も相まって、ようやく洞窟にたどり着いた。ルクスは周囲を窺いながら、身をかがめて洞窟に入ろうとした。
「ここまではなんとか撒けたはずだ。中に入ってどう逃げるか考え――」
視界の端になにかが光ったと思った刹那、ルクスの足に激痛が走る。バランスを崩して倒れるルクスを見て、少女は慌てて振り返った。
すると、そこには撒いたはずの黒づくめの男達が立っていた。その中の一人がナイフを投げて、それがルクスに刺さっていたのだ。痛みに呻くルクスを後目に、男達はじりじりと近づいてくる。
「くそ……なんで追いつかれてんだよ。早すぎだろ」
足を抑えながら、ルクスが歯を食いしばった。痛みだけでなく、うまく逃げられなかったくやしさも同時に噛みしめる。
「ここは、いいから。早く逃げるんだ! なんだかわからないけど追われてるんだろ!?」
ルクスは足をナイフに刺されたままなんとか立ち上がろうとしている。そして、少女に向かって逃げるよう促した。
「どうし……どうしてこんなになってまで。私とあなたはなんの関係もないのに」
少女が思わず疑問をこぼすと、ルクスはおもむろに口を開いた。
「なんでだろうな……。なんだか逃げたくなかったんだよ。ここで逃げたらだめな気がしたんだよな。なにより――」
ルクスはすっと背筋を伸ばすと、まるで痛みがないかのように笑った。
「俺が君を守りたいって思ったんだ。君を見た瞬間に……そう、思ったんだ」
ルクスはそれだけ言うと、すぐさま男達へと体を向けた。じりじりと近寄ってくる男達を見ながら、短い人生を振り返っていた。
思えば、生まれて十三年間は幸せな日々だった。
両親や兄弟に愛され、何不自由なく生きてきた。だが、成人の儀を終えてから、ルクスの人生は狂っていった。
それからの三年間は苦しいことしかなかった。
ドンガの街に来てからは、アルミンと出会ったり、師匠や女将と知り合えたりとそれなりに楽しいことはあったがやはり満足がいく人生ではなかった。そんな自分だったが、最後に天使のような少女を助けて死ねるんだ。
そう思うとどこか気分がよかった。
矮小な自分が少しだけ立派になった気がした。何も残せなかった自分が、少女を助けたという事実を残せるのだ。そのことが誇らしかった。
だが、欲を言えば、もっと生きていたかった。
自分の力を認めてもらい、幸せになりたかった。そうなるための努力はしてきた。けれど、そううまくはいかないものだ。そんな諦めにもにた感情を抱きながら、迫ってくる男達を見つめていた。
男達が自分に向かって走ってくる。
鈍く光る短剣が、心臓をめがけて振りぬかれる。
後ろでは、名前もしらない少女が叫んでくれている。
自分のかすかな自尊心は、少女を助けることで満たされていた。
もう抵抗も意味はない。
ただの水魔法に、できることなど何もない。そう。潜在魔力量が少ない魔法適正Dの自分には、もうできることが何もないのだ。
――本当に?
本当だとも。水をぶつけて何になるんだ。精々、大道芸が関の山さ。
――本当に?
実際、逃げる時にも目くらましにしかならなかった。
――本当に?
何ができるっていうんだ。この水魔法に。水を生み出すしか能がないのに。
――本当に?
本当だ! じゃなかったら、こんなに俺は苦しんでいない!
――知らないだけさ。水は命の根源。使い方次第で、水は命を司る。
嘘だ! そんなことあるわけがない!
――本当さ。僕は真理の実。お前に水の真理を授けよう。
意味のない自問自答。
かと思えば、知らない誰かに声をかけられているような感覚に、ルクスは胸騒ぎを感じた。だが、本当に一瞬きする間に、ルクスの脳には膨大な量の知識が流し込まれていく。
頭が割れんばかりの痛みを感じながら、ルクスは得たばかりの知識を掘り返す。
水魔法の可能性を。
水の力を。
彼自身の咆哮とともに、それはこの世界に発露した。
ルクスは、短剣の切っ先を視界にとらえたまま、両手を前に差し出した。
使うは、いつもの水魔法。水を生み出すだけのそれを、ルクスは瞬時に行使する。すると、一番前にいた男は突然白目をむいて意識を失い口から泡を吹いて倒れた。その後ろの男は首元を突然つかんだかと思うと真っ赤な顔をして地面に落ちる。
後の三人も同様に地面へと崩れ落ち、五人が持っていた短剣はルクスに届くことなくその役目を終えた。
目の前の光景をみて、ルクスも少女も目を見開いている。迫る男達の圧力に思わず後ずさっていたルクスは尻餅をつき、そしてひきつったような笑いを浮かべた。
「は、はは。まじでどうにかなったんだな。なんだよ、真理の実って。冗談きつすぎるだろ、ほんと、に……」
戦闘時の緊張から解かれ、激痛と貧血によるめまいがルクスを襲う。ゆっくりと後ろに倒れるルクスだったが、その背中を少女がそっと抱きしめた。
この時、ルクスは得ていたのだ。自分の力を生かす知識を、真理を。
そして、その真理はルクスの運命を大きく変えることになる。