二十六話 真理がたどり着いた力
悪魔は、地面に這いつくばる勇者達を見ながら、至上の喜びを感じていた。
復活してから書状を送り付けたり、勇者達をあえて見逃したりと我慢に我慢を重ねてきたのだ。そのすべては、人間に希望を持たせそして踏みにじるため。その希望があればあるほど、突き落とした時の絶望は計り知れないものがある。
だからこそ、悪魔は常に人間達の動きを待っていた。今この時のために。
そのかいがあってか、見下ろす者たちは等しく絶望を感じている。弱いものたちの圧倒的な絶望もそそるが、強者達が醸し出す、強い心からにじみ出る絶望もまた甘美なのだ。折れない心の裏側に隠しているその絶望を、抉るように味わうのが格別な幸せだった。
そんなご馳走を前にして、悪魔は思わず舌なめずりをした。
湧き上がる欲望を抑えようともせず、勇者達を蹂躙するために力をその手に宿した。
その刹那――。
自身の腕が落ちていくのをみたのだ。そして、練り上げた魔力が雲散するのを感じた。
振り向くと、そこには先日、悪魔の腕を切り落とし、全身を傷だらけにした少年が降ってきていたのだ。至高の一品を味わう瞬間を邪魔された怒りが悪魔の全身を瞬時に満たす。その怒りは、自然と呪詛として口からあふれ出ることとなった。
「貴様ああああぁぁぁぁぁぁ!」
そこで初めて悪魔は自ら牙をむく。
隠していた爪を、研ぎ澄ました武器を、そのすべてを使って少年を蹂躙することを、今誓ったのだ。
◆
ルクスは落ちていた。
それは比喩でもなく、文字通り落ちていたのだ。空高くから地面に向かって落ちているルクスの心境は、颯爽と現れるヒーローなんかではない。死に誘われる生贄のような気分だった。叫び声などでない。それは、悪魔に気づかれるから、だけではない。単純に恐怖と落下する空気の圧力で声などひとかけらもでなかった。
そんなルクスだったが、空に浮かぶ悪魔の向こうに小さいカレラを見つけた瞬間に、縮こまっていた心に火が宿る。
彼女を助けたいという想いが、煌々と燃え上がった。
ルクスは、あらかじめ手の中に作り上げていた水の玉に、いつものように圧力をかけていく。
手の中で暴れるそれを慣れた様子で御し、落ちる勢いを利用して絶妙なタイミングで解放した。そこから繰り出された刃は、愉悦に浸っていた悪魔の片腕と浮かんでいた黒球、いずれも切り落とす。その腕は、この前切り落としたほうと同じ腕だった。
悪魔を切り付けたルクスだったが、落ちているのは変わらない。
悪魔を通り過ぎたあたりで、すぐさま水球をいくつも作り上げる。それを自分の落下する軌道に素早く並べ、地面ではなく水中に落ちたような状況を作り上げた。
水しぶきを上げながら、なんとか、つぶれず地上に降り立ったルクス。悪魔がどうとか水の刃がどうとかよりも、生きてまた土を踏みしめることに安堵した。
「ししし、し、死ぬかと思った」
震えながら、間抜けな台詞をこぼすルクス。そんなルクスはふと視線を向けると、彼が落下してきた場所から少し離れたところにカレラはうずくまっていた。その視線は彼をまっすぐとらえ、決して逸らさない。
ルクスは、その視線をまっすぐとらえると、おどけるように笑った。
「ははっ、びしょぬれじゃないか、カレラ」
「……ルクスのせい」
「そう文句言うなって。俺だって、それこそ文字通り必死だったんだから。ほら、今も膝が笑ってる」
どこか決まらない少年に、カレラは笑みをこぼした。さきほどまでの絶望をすべて水しぶきとともに洗い流したかのようだった。カレラは、このような状況にも関わらず、心から笑えていることを、不思議に思いつつも受け入れていた。
「助けに来たぞ」
「……ん」
「約束したからな」
「……ん」
「一緒にいるんだろ?」
「…………うん」
笑いながら涙を流し、何度も頷くカレラを、ルクスは満足げな表情で見つめていた。その顔をみて、自分は間違っていなかったのだと確信する。
同時に、いつまでもカレラとの再会に喜んでいる暇はないことも分かっていた。なぜなら、空から圧倒的なまでの圧力がルクスへと降り注いでいたからだ。
ルクスは、おもむろに空を見上げると、その視線の先にいる悪魔を睨みつける。
そこにいるのは、憤怒に身を染めた悪魔である。すさまじい形相でルクスを見下ろしていた。
「んじゃ、やってくる」
「ん」
互いに頷きあうと、ルクスは悪魔が浮かんでいる方向へ歩き出した。その歩みに迷いも恐怖もない。
あるのは、悪魔を殺すという意志とカレラを守るという決意だけ。
それだけが今のルクスを支えていた。
ルクスの歩む先。そこに、舞い降りたのは傷だらけの悪魔だ。ぼろぼろになった身体となくなった片腕。満身創痍の見た目と反して、その身から湧き出る威圧感はけた違いだった。
その表情は怒りに満ちており、鋭い視線はルクスを貫いている。
無言で向かい合う二人だったが、悪魔が全身に力を籠めると、片腕以外の傷がきれいさっぱりなくなった。
「っ――!?」
「所詮は、人間達がつけた傷。我の力をもってすればこのようなこと造作もない」
一拍置くと、悪魔は残された拳を握りしめ歯をかみしめる。
「だが腕はこうはいかん……この屈辱、しかと返すから心得ておけ」
そんな殺伐とした悪魔とは対照的に、ルクスはひどく落ち着いていた。
先ほどの落下の際になくなった水球を、再び手のひらに作り出す。その水は、自ら出したものではなく腰に下げた革袋の中のものだ。
なれたように生み出されるのは、すさまじい圧力からもれでた一筋の水。その水は、細い線となり、触れたものを切り裂く刃となる。
ルクスはそれを横薙ぎに振るう。力みなく。何かをなぞるように。
悪魔は、それを見ながら薄ら笑いを浮かべた。
なぜなら、前回は同じ攻撃を受けても表面にしか傷を負わなかったからだ。もちろん、それだけでも驚嘆すべきことなのだが、悪魔にとってはおそるるに足らなかった。しかし、悪魔は失念する。腕を切り落とした攻撃の意味を。
前とは違う、その脅威に。
ルクスが放った一撃は、甘んじて受け止める悪魔の胸元を横一線に切り裂いた。その傷は表面だけではない。血が噴き出す奥深くまで到達していた。悪魔は自らに起こった出来事を理解できない。その隙を見逃さないルクスは、今度は真上から水の刃を振り下ろした。
「くっ――」
悪魔は咄嗟に身をよじり、頭部の損傷はさけた。だが、肩から腹部にかけて、肉がぱっかりと割れる。
「ぐわあ!」
慌てて距離をとる悪魔だが、ルクスは地面をけり、距離を詰めた。
「この一撃も、これも! 皆の想いだ! 決意だ!」
駆けながら、切り上げ、振り下ろし。
その刃は、悪魔の腕や足を傷つけていく。すでに、ルクスの刃が脅威だと悪魔は知ったため、その回避に全力を払っていた。だが、ルクスが負わせたダメージに、身体の動きも鈍っている。
「なぜだ! なぜ、我の身体こうも容易く――」
「言っただろ? 俺だけの力じゃない――皆の力だよ」
ルクスの一振り一振りが確かに悪魔を傷つけていく。その事実に、悪魔も、はたからみている勇者達も、驚嘆するしか出来なかった。
なぜルクスがこんなにも圧倒できるのか。
それは、ルクスがたどり着いた可能性。それを実現できたからに他ならない。
その可能性とは――極大魔石だ。
悪魔への封印をより強固にできる多大な魔力。大規模な戦争をも左右する膨大な力。カレラの命をすくわんとしたそれの力をもってすれば、悪魔を打倒できるかもしれないと考えた。
それをマルクスとスヴァトブルグに提案したルクスだったが、その案はすぐに却下される。なぜなら。
極大魔石など簡単に手に入るものではないからだ。
ルクス達が手に入れたのも、元々はカレラが強力な魔物を呼び寄せそれを討伐することができたからだ。
でなければ、普通に市場に出回るものではない。
しかし、ルクスは極大魔石を見つけることを目論んではいなかった。それを、錬成、することを考えていたのだ。
以前、アルミンから言われたあの言葉。
当初は、ルクス達も考えていた小さい魔石を集めて極大魔石へと錬成する方法。その方法に行き着くことはなかったが、二人ならもしかしたら、という期待をもってルクスは話をしていた。
だが、その結果も否。
二人も噂は聞いたことがあったが、実際の手法など知る由もない。
「そもそも、違う属性の石をくっつけるなんてできないだろ。魔法だって、二つの属性をくっつけると反発しあうっていうのに」
「そうですね。もし、錬成する方法があったとしても、同じ属性のものをあつめなければなりません。ましてや、単に同じ属性の魔石というだけでなく、実際はもっとシビアなものかもしれませんが」
「どういうことですか?」
「例えば、水属性の魔石だとしても、その魔石がもつ魔力量や質、石の種類など、さまざまなことが要因となる場合があるということです。詳しくはありませんが、錬成というものは、それほどまでに細かいのだと以前に聞いたことがあります」
ルクスは立ち直った瞬間にくじけそうになっていた。
頼みの綱の極大魔石。だが、その魔石が用意できないとなると、悪魔に対抗する手段が無くなってしまう。いまのままでは、ルクスは悪魔に勝つことなどできない。ルクスは必死で思考を巡らせた。
――すると真理の中に、ある一つの可能性があることを発見する。
「もしかして……」
ルクスが持つ魔法属性は水魔法。
だからこそ、ルクスは水を扱うことができる。しかし、この水とは真水だけしか使うことはできないのか。その疑問にたどり着いたルクスは、すぐさま手の中へあるものを生み出した。
それは、すべてのものを溶かす水。
もし極大魔石を錬成するのに細かい条件が必要なのであれば、すべてを溶かし混ぜ合わせてしまえば、同一のものになるのではないか。そんな暴力的な考えにたどり着いたルクスは、すぐさまそれを試していく。
すべてを溶かす水――ルクスはそれを王水と呼び、その中に持っていた魔石を入れていく。すると、すぐさま魔石は王水に解けはじめ、王水の中ですべてがまざり一つのものとなっていった。
「これは……」
「まさか、こんなことが」
マルクスとスヴァトブルグは驚愕した。
目の前で行われていることは、おそらくこの世界で初めての試みだろう。
魔石が解けていくたびに、王水は様々な属性をその中に内包していく。魔石の魔力と属性がすべて入り混じり、反発さえ起こさない。その水が持つすさまじい価値を感じ取った二人は、目の前の少年に希望を抱いた。
かくして、出来上がったのは、限りない魔力とすべての属性を内包した脅威の魔水が出来上がったのだ。そして、それを作り上げたのは街中の人々。先日の魔物の襲来で手に入れた魔石に加えて、冒険者や一般市民の有志により託された魔石のすべてを、ルクスは王水に溶かし込んだ。
そこから石に錬成することはしなかった。
方法がわからなかったこともあるが、すでに目の前の王水は極大魔石と言えるほどの魔力を内包していたからだ。さらには、属性が入り混じるという本来ならばあり得ない状態。その水が持つ可能性に、街の人々は胸をざわつかせた。
そうして王水を作り上げ急いで駆け付けたルクス達だったが、勇者達がピンチな様子をみてスヴァトブルグがルクスを放り投げたのは完全に余談だ。
ルクスが水の刃を作っている水は、その王水だ。
その一滴にさえ、すさまじい魔力が宿り、すべての属性の力を有する王水。それで作り上げられた刃は、奇術師が練り上げた禁術と剛腕が生み出した暴力をまとめ上げた勇者達の作戦――その攻撃の特徴を底上げした力を持っていたのだ。
勇者達はその一撃で力尽きていた。
だが、ルクスの持つ王水は、その一振り一振りが、先ほどの一撃よりも強い。
目の前の出来事は、当然とも言える結果だった。
悪魔が混乱する最中も、ルクスは幾度となく水の刃を叩きつけていく。歴史に名を遺す悪魔でさえ圧倒するその力は、まさに死神の力にふさわしい。
「封印されておけばよかったな。そうすれば、死ぬこともなかったのに」
ルクスの怒涛の攻撃に、悪魔は身をよじるって避けることしかできない。何度も自己修復を繰り返した悪魔だが、何度も切り付けられどんどんとその力は削られていった。そこで初めて悪魔は恐怖する。
たかだか人の身で、悪魔である自分を追い詰める目の前の存在に。
「お前を殺すことで、俺はやっと生きる理由を見つけられるのかもしれない」
その目に宿る狂気に触れ、悪魔は悟った。
死。
そこに至る自分自身に。だが、それをなんの抵抗もせずよしとする悪魔ではなかった。魔王や神に次ぐ存在であると自負している悪魔は、咆哮とともに最後の力を振り絞る。
「この、人間ふぜいがあああぁぁぁぁぁぁぁ!」
すべてを吐き出した黒い闇は、ルクスの目の前を覆いつくし、飲み込もうとその口を大きく開けていた。




