二十五話 激闘
ルクスと別れてから、勇者達は手早く準備をして封印の祠に向かった。三日かけてたどり着いたそこには、先日を変わらない姿で悪魔が待っていた。ルクス達との闘いに加えて、勇者達との激戦で地面はでこぼこの荒れ放題だ。
その真ん中で、悪魔は無造作に座っていた。
友人を待つような気軽さで。
勇者達が近づいてきたことには気づいており、ゆっくりと彼らのほうに視線を向けている。そして、歪んだ笑みを浮かべて声をあげた。
「勇者とやら。ようやく連れてきたのか? 我の同胞を封じている聖女達を」
叫んでいるわけでもないのに、遠くにいる勇者達にははっきりと聞こえていた。その理不尽な要求に、怒りを覚えながら。
「連れてきているわけないだろう? そうやって暢気に胡坐をかいてるお前を殺しに来たんだよ」
「はっ。無様にも敗走したお主らのどの口が言えるのだ。下らぬ戯言だな」
悪魔の言に、勇者達は答えない。
ゆっくりと広がりながら、悪魔と戦う準備を整えていく。
勇者を真ん中に、覇者、剛腕、奇術師が左右に並ぶ。そして、今回はそこにカレラが加わっていた。テオフェルの騎士団は今回は連れてきていない。たった五人での戦線だ。
「じゃあいくか、お前達」
前を見据えながら勇者が呟く。それに応えるように、覇者は両手に携えた爪を鳴らしながら地面を跳ねた。
「いくか、じゃねぇよ。こんな割りに合わない戦い、二度とごめんだからな。国の連中に黙って来てんだ。死なねぇように気張るしかねぇな」
どこか軽い調子に、剛腕はため息をついた。そして、身の丈ほどもある意匠をこらした斬馬刀を取り出すと、鳴らすように空を切る。
「今回は騎士団がいない。遠慮せずに行くぞ」
「おお、怖い怖い!」
茶化す覇者に剛腕はぎろりと鋭い視線を向けた。
その少し後ろからやる気のなさそうに歩いているのは奇術師だ。彼女は、肩を落としながら項垂れている。
「全くやる気が出やしないよ。可愛い弟子も私から去っていくし。こんなのに巻き込まれるし散々だ」
「けど、お前の魔法がないと、やれるもんもやれないんだ。頼むよ」
「その整った顔でほほ笑めば、女は言うこと聞くと思ってんじゃないだろうね? 一回、消し炭にしてやろうか?」
「ははっ! そうしたら、その炭で俺は肉でも焼いてやる」
軽口を叩きながら進む四人。その後ろでは、一人の少女が口を噤みながら一歩一歩を踏みしめている。
その表情は硬く、顔は青白い。
「カレラ君? 大丈夫か?」
唐突に話しかけられ、カレラは目をしばたかせた。
「ん……大丈夫」
「君は、俺達が傷ついたら回復をしてほしい。戦いに出る前に防壁はお願いしたいけど、とりあえずは回復かな」
「ん」
「じゃあ、奇術師とカレラ君の魔法の準備ができたら――」
――いこうか。
その台詞を皮切りに、全員が戦闘モードへと切り替える。
先ほどまでの柔らかい空気は消え去り、数えきれない針を並べたかのような鋭さがあたりを包んだ。
「んじゃ、まあ、作戦通りに」
覇者はそういうと空高く飛び上がった。
その後ろでは、ほぼ一瞬で詠唱を終えた奇術師が、数十個の雷の玉を悪魔に向けて放った。一瞬で作り上げたというには現実離れした光景に、悪魔はわずかに目を見開いた。その玉は、バチバチとはじけるような音を出しながら悪魔を包囲する。一瞬、止まったかと思うと、一斉に悪魔に襲い掛かった。
耳をつんざくような爆音が周囲に響く。
それを切り裂くように、一瞬で距離をつめた剛腕が、うねりを上げながら斬馬刀を悪魔へと切りつけた。その太刀筋は、時空をも切り裂きそうな鋭さを持っていたが、悪魔はその皮膚を焼き焦がされながらも、腕に展開した魔法障壁で剛腕の剣を受けていた。
大きな斬馬刀は、それこそ目にもとまらぬ速さで舞い踊るが、それに合わせるように悪魔も計算されたかのような円舞曲を刻んでいた。
剛腕の一瞬の隙間。息継ぎのその瞬間に、悪魔は黒い剣を手元に作り出し切り付ける。
たった一太刀の衝撃にはじけ飛んだ剛腕の胸元は、分厚い鎧の奥の肉まで切り裂かれていた。
「ぐぅ――」
うめくような声もつかの間。
カレラが後ろから、治癒の魔法をふりかけた。
一瞬で治るわけでもない、おそらく表面の肌がつながった程度だろう。にもかかわらず、剛腕は再び地面を蹴ると飛び出していった。
剛腕が抜けた隙間を埋めるように今度は勇者が悪魔に相対する。
勇者が持つのは聖剣だ。透き通るような刀身は神秘的ですらあるが、その薄さに違わぬ切れ味と、尋常ならざる頑丈さを慌て持っていた。それに聖属性がついているのだから、悪魔としてはたまったものではない。
故に、悪魔は魔法障壁で受け止めることはしなかった。その一太刀、一太刀を交わしながら、時には体に受けながら勇者に応戦していく。数えきれない斬撃をやり取りしていく中で、両者は全身に傷を作っていった。そのどれもが、致命傷には至らない。互いの技量が均衡している証拠だった。
「やるな。全然倒せる気がしない」
「お主との打ち合いもなかなか楽しいが、まだ足りぬ。もっと精進すしておればよかったのにな」
「これ以上? 無茶言うな」
そんな言葉のやり取りは余裕の表れではない。
互いに牽制する、高度なやり取りの一部でもあった。勇者は、悪魔にまだ余裕があることを前回の戦いを通していてわかっていた。このままでは、前と同様、逃げ帰るしか道はない。そんな状況を打破すべく、今回は足りない火力をどうにかするしかないのだ。
前回の戦いで分かったこと。
それは、悪魔の戦闘能力のバランスのよさだ。
魔法耐性も高く、物理的な耐久度も高い。魔法も剣技も達人級であり、付け入るスキが見当たらない。唯一、勇者達が助かったのは、相手も絶対的な一撃を持たない点だろう。だからこそ、戦いは続けられるが互いに決め手がない状況なのだ。
それでも、勇者達の猛攻をしのげるのだから、悪魔の持つ力は尋常ではなかった。
勇者達はそれぞれが特筆するべき力を持っている。だが、その力に一つずつ対応されては、凌がれてしまう。だからこそ、勇者達はそれらすべてを合わせられないか、という結論に至った。
それは、細い細い綱渡り。命を懸けた一手に、すべてをかけるしかなかった。
最初の魔法は目くらまし。そう呼ぶには凄まじい威力であったが、そのすきに覇者は空へと駆けていく。剛腕と勇者による時間稼ぎが功を奏し、その間に奇術師は魔法を練り上げていった。その魔法は、全属性を併せ持つ禁術。命をも削るそれは、凝縮された一つの塊となって作り上げられた。
それが悪魔へと放り投げられたと同時に、剛腕は、その斬馬刀から繰り出される斬撃を悪魔へと放った。剛腕と呼ばれるに相応しい力の暴力が竜巻となって悪魔を襲う。
その二つが合わさる瞬間、覇者は空から落ちてきた。
覇者が持つ力は結界魔法。それを空の足場として使いながら、タイミングよく表れた。覇者は、魔法と力。二つとともに悪魔を封じ込めた。それを行うには、悪魔へ攻撃があたるその瞬間まで覇者は傍にいなければならない。魔法は直接触れていなければ発動をしない。その原則は覇者にも同様だったのだ。
勇者が気をそらし、剛腕と奇術師で力と魔法をぶつけ、覇者がそのすべてを合わせる。
今回の作戦がさく裂した瞬間だった。
覇者が展開した結界の中で、全属性の魔法と竜巻が暴れ狂う。悪魔へとあたり、反射した攻撃は再び結界に弾かれて何度も悪魔を襲った。中からは、悪魔の叫び声が聞こえるが、中の様子は混沌としておりわからない。
ようやく中の様子がわかるようになったその時、勇者達は戦慄した。悪魔の力と執念に。
「ぐ、ぐぎぎ……さすがだな。死ぬかと思ったが耐えきったぞ? お主達に次の一手は残されているか?」
全身の皮膚はずたぼろであり、青い血を大量に流している悪魔は満身創痍だ。だが、真っ赤に浮かび上がる三日月が、その命に届かなかったことを示していた。奇術師と剛腕は力のすべてを出し尽くしており、寸前まで傍にいた勇者と覇者は一瞬の余波で傷ついていた。余力はだれもがなく、カレラは四人を茫然と見つめることしかできなかった。
「ははっ! これでお主ら人間達はおしまいか? ならば、戯れもおしまいだ。そうそうに同士達を蘇らせこの世界からお主らを一掃しよう! 滅びの始まりだ。すべては無と化すであろう!」
高笑いをあげる悪魔に、勇者達は絶望する。
次こそはと意気込んでいた。すべてをかける覚悟もあり、事実出し切っていた。にもかかわらず悪魔の命には届かない。突き付けられた現実に、彼らは立ち上がることができなかった。
それはカレラも同様だ。
自分の封印が解けたことで、世界に解き放たれた悪魔。その悪魔は、強者と名高い勇者達でさえ敵わない。悪魔を封じ込んでおける魔力さえ自分にあったならと、何度後悔したかわからない。自分だけならまだよかった。けれど、解き放たれた悪魔は確実に世界を葬り去るだろう。それだけの力があり、それをなす意志も持っている。
カレラは、初めて知ったのだ。
絶望とはどのようなものかを。その意味を。
消沈するカレラ達を後目に、悪魔は手を広げ空を仰いでいる。
「さすがにまずいと思ったがな。魔法障壁と自己治癒を最大速度で繰り返したのだ。でなければ滅んでいたのは我だろう。誇っていい。ここまで我の命を追い詰めたのは、神であるディアナだけだ。お主らは、あと一歩のところまで来たのだと、あの世で神に自慢せよ」
悪魔は傷ついた翼をはためかせ飛び上がる。そして、大きな黒い球を作り上げると、いやらしい笑みを浮かべた。
「なんて甘美な蜜なのだろう。希望を失った人間を、この手で踏みにじるこの瞬間――最高だ……最高だあああぁぁぁぁぁぁ!」
狂ったように笑う悪魔。黒い球が今まさに、振り下ろされようとしている。
カレラはその様子を、ぼんやりと見上げていた。
その動きは、どこか緩慢で。
ひどく現実感のないものだった。
悪魔の背後には太陽が光り輝く。その輝きと裏腹に、悪魔が作り上げた黒い球は吸い込まれそうな闇だった。
この闇に今から飲み込まれるのだと思うと、涙が頬を流れていく。
それは、ぽつりぽつりと、止まることはない。
すべてをあきらめたカレラ。だが、その視線の先に、小さな黒い点が見えたその時、カレラの瞳に光が戻る。
――あれは何?
それは、太陽と重なる小さな点。
だんだんと大きくなるそれは、まっすぐに悪魔へと舞い降りる。
空から降ってきたそれは人の姿だった。逆光で影しか見えない。けれど、カレラの目には、それが誰だかわかってしまった。
先ほどとは違う涙が溢れていく。
「……ルクス」
小さなつぶやきはカレラの胸に解けていく。
その呟きに答えるかのように、ルクスはまっすぐに悪魔へと落ちていった。




