二十一話 格の違い
ルクスは茫然と空を見上げていた。
空中に浮かんでいるそれは、魔法なのか翼の力なのか。空にただ浮かんだまま、悪魔は地上を見下ろしている。大きさは、自分たちをそれほど変わりはないが、黒い翼と尻尾は、たしかに人間達とは姿形が異なっていた。
それだけならまだいい。遠目に感じる魔力が桁違いなことに、ルクスは血の気が引く思いだった。
思わず、悪魔に視線を奪われていたルクスだったが、手の中にいる少女の存在を思い出し、慌てて意識を向ける。すると、そこには静かな寝息を立てているカレラがいた。ちいさく肩をなでおろすと、ルクスは再び空を見上げた。
「総員! すぐさま、散開せよ! まとまっていては、悪魔の思うつぼだ!」
茫然とするルクスとは裏腹に、サジャはすぐさま部下達に指示をとばしていた。サジャの目的はあくまで悪魔の討伐だ。復活してしまった今、ルクスやカレラなどに注意を割いている暇などなかった。
「魔法を放てる者はすぐに準備をするんだ! 出し惜しみはするな! 相手は、あの伝説の悪魔なのだからな!」
その言葉に、神聖騎士団は、すぐさま呼応する。
それぞれに呟かれる詠唱と集中する魔力。その密度に、空気が揺れるようにうごめいた。
その光景をみながら、ルクスは混乱の極致にあった。
ルクス達はカレラの命を守るためにこの場所にきた。
悪魔が封じられている封印を強化し、封印の乗せ換えによるカレラの命の喪失を防ぐためにこの場所にきた。
そして、封印の強化がなされ、ルクス達の目的は達成されるはずだったのだ。
だが今、カレラは確かに生きている。そして、この先、カレラは封印に悩まされることがない状況だ。カレラ個人としての結果としてはこの上ないものだろう。しかし、その一方で悪魔の封印がとかれ、いま宙に浮いている。
自分がカレラの命を優先したゆえに巻き起こった、世界の危機だったのだ。
ルクスの心は、カレラの一人の命を世界の何もしらないたくさんの人々の命を天秤に乗せるのをよしとしていない。それはカレラも同じだろう。だからこそ、極大魔石を用いた封印の強化という道を選んだのだ。
そんな自分の選択は、多くの命を奪うことになる。
そのことが頭の中を占め、ルクスの思考を妨げていた。
「ちょっと! 早く逃げないの!? 目的は達成されたんじゃないの!?」
ルクスの横からフェリカが叫ぶ。だが、ルクスは視線をフェリカに向けるだけで、何も返せない。
「何、呆けてるのよ! あんなのがいるんだからさっさと逃げるわよ!」
フェリカは、カレラの片腕を肩にかけると、立ち上がろうと力を籠める。だが、ルクスは一向に動かない。その行動にフェリカは眉を吊り上げ詰め寄った。
「早く担いでよ! 私一人じゃ連れていけない!」
「だめだ」
「は?」
「だめだ……。このままじゃいけない」
その言葉を聞いて、フェリカはおもわずルクスの胸元をつかんだ。
「何言ってんのよ、あんた」
「だめなんだ。俺は、カレラの役に立ちたいって、カレラを助けたいって思ったんだ。それは、命だけじゃない」
――カレラの心もだ。
焦点の合わない視線のまま、ルクスはそうつぶやいた。
「カレラは、封印が解けたことにきっと心を痛める。もし俺達がこのまま逃げたら、カレラに一生いやせない傷を負わせることになるかもしれない。そんなのはだめだ。そんなことはできない」
「じゃあどうするっていうのよ! 逃げないっていうなら、あんなのとやり合うの!? ふざけんじゃないわよ! あんたも魔法が使えるならわかるでしょ? あれば化け物よ。およそ人間じゃ太刀打ちできない、そんな存在よ。逃げるしかないのよ。逃げないと、助けるもなにもないじゃない」
「命を守り、カレラの心も守るんだ。そうしないと、俺はだめなんだよ」
空中をいつめながら、どこかぼんやりしているルクス。その様子をみて、フェリカは恐怖を背筋を凍らせた。
あのような化け物と相対して、それでもまだこんなことが言えるルクスに戦慄していたのだ。それと同時に、心に痛みを感じる。その痛みがなんなのかフェリカには理解できなかったが、あまり心地のよいものではなかった。
ルクスはそのまま立ち上がる。そして、空を見上げる。
周囲で騒がしく指示を飛ばし合う神聖騎士団を後目に、ルクスは手の中に水球を作り出した。だが、今までとは違い、両手に一つずつだ。
その水球に、等しく圧力を加えていく。
手の中で震える水球。その球は、まるで意志があるかのように飛び出す瞬間を待ちわびているようだった。
そうこうしている間に、神聖騎士団達は攻撃の準備を終えたようだ。
皆が魔力を集中させ空を見上げている。
サジャは、自らも詠唱を終えると、空中に巨大な氷の杭を作り出した。そして、それを悪魔にむかって放ちながら、大声で叫ぶ。
「私の後に続け! 一斉に放て」
サジャの氷の杭に引き続き、燃え盛る炎や雷、岩の塊や巻き起こる風が一斉に悪魔に向かって突き進む。それらがもつ魔力の暴流は周囲の空気を吸い込み、祠一帯を嵐のようにかき乱した。
それほどまでの強大な力。
それが一度に降り注げば悪魔にとって致命的になるはずだ。
サジャはその考えを信じて疑わなかった。
だが、現実は無情だ。
残酷な結末は容赦なく襲い来る。今の神聖騎士団が誇る最強の攻撃を与えたその場所には、この関の災悪が姿を変えずに浮かんでいたのだ。
「ば、馬鹿な……」
ここにきて初めて狼狽えた様子のサジャは、わなわなと手を震わせた。
本来ならばここでさらに指示を出すのがサジャの役割である。勝機が薄くとも、それでも勝つことをあきらめず突き進む。そんな役割の自分だが、サジャは理解してしまった。目の前の化け物が、自分たちとは次元の違う生き物だということに。
勝つ道が見つからない。
ゆえに、サジャは固まってしまった。そんな指揮官の姿をみた騎士団の面々も、同じように茫然とする。
動けない人間達。
そんな矮小な存在を見下ろしていた悪魔が、ゆっくりと地上に降りてきた。そして、不敵な笑みを浮かべながらにやりと口角を歪めた。
「死にたいようだ。望みを叶えてやろう」
そういって、真っ黒な腕を空に伸ばした。
悪魔はその手に魔力を集め、黒い球体を作り出した。それが持つ禍々しい力はみるものを震わせ、抵抗する気力をも奪っていく。
「復活した我に初めて殺される名誉をやろう」
そう宣告し、いざ手が、腕が振り下ろさせるその時。
――ぼとり。
魔力は雲散し、地面に悪魔の腕が落ちる。何者かに切り落とされたそれは、黒い染みとなって地面へと吸い込まれていった。
「何が――」
振り返る悪魔に迫っていたのはルクスだ。
ルクスは先ほどまで両手に控えていた水球の圧力をすべて解放すると、十字を描きながら悪魔へと放っていたのだ。
二つの刃が重なる交点。
単純に、倍の圧力が加わったそこは、あり得ないほどの切断力を秘めていたのだ。
ルクスは、一瞬で使い切ってしまった両手の水球の変わりに、すぐさまもう一度、水の刃を作り出した。たった一つのそれは、威力よりも、作り上げる速度を優先させた。
「死ね」
ルクスは短くそう告げると、水の刃を何度も悪魔へと叩きつける。
首を袈裟切り。
胴を横なぎに。
四肢を付け根、肩、胸。
悪魔の体全体を、これでもかと切り付けた。
切る。切る。切る。切る。切る切る切る切る切る切る。
息をつく間もないくらい、激しく切りつけていたルクスはすかさず悪魔との距離を開け、とめていた呼吸をまた始める。
「はっ、はっ、はぁっ、はっ――」
八つ裂きになっていればいい。そんな淡い期待はすぐさま裏切られることになった。
片腕となった悪魔は、全身に青い線を作り上げていた。ルクスに切られたそこは確かに傷となっていたが、表面のみ。そこには青い血が滲んでいるだけで、致命傷には至っていない。
悪魔を見ると、その表情は冷たい氷のように冷え切っていた。ルクスだけを見つめるその瞳は、紫に輝いている。
「お前。何者だ?」
静かに問いかかける悪魔。ルクスは、その問いに答えることができない。なぜなら、目の前の悪魔の奥底から、信じられないほどの魔力が湧き出ていたからだ。
「答える気はないのか?」
先ほどのサジャと同じように、ルクスは立ち尽くしてしまっていた。自分ができる最大をやった。それでも、悪魔を殺すには至らず、余力を残している。どうやって倒せばいいか、想像ができなかった。
「力の差を理解し、恐怖に負けたか。まあ、それもいい。どうせすぐに死ぬことになるのだ。潔く、散れ」
悪魔はそのまま翼を広げ空に浮かび上がると、残された腕を空に掲げ、再び黒い球体を作り上げた。それは、先ほどよりも大きく、身体が震えるほどの振動を放ち、ばちばちと雷を宿している。
「そこのお前。我に傷を与えたことを誇るがいい。そして、あの世で悔いろ」
悪魔は今度こそ、腕を振り下ろすと、その球体は地上へと落ちる。
小さな球体は、地面に当たった瞬間に激しく爆発し、周囲のすべてを飲み込んでいった。
黒い球体が持つ魔力。それが爆発した余波だけで、すべてが吹き飛んでいく。
悪魔が振り下ろした鉄槌は、容易に人の心を抉り取った。
そして、その爆発はいつしか止んだ。
爆発の中心地の地面は、大きなクレーターになっており先ほどまで悠然とそびえたっていた封印の祠は跡形もない。
文字通り、ただの荒野となった地上をみて、悪魔は不敵にほほ笑んだ。
そして、空高く飛び上がると、どこかを目指して去っていく。
そこに残されたものは何もない。
すべてが吹き飛んでしまっていた。
書きためは使い切り、なんとか毎日更新をしていましたが、今後は、不定期更新になると思います。よろしくおねがいします。




