十九話 攻防、そして反撃
ルクス達を取り囲む騎士たちは百名程度。その全員が、ルクス達に向けて弓を引いている。取り囲んでいる円の直径はかなりある。同士打ちも期待できないだろう。
ルクスは、間もなく打ち出されるであろう弓を見るが何もできない。ルクスの水魔法の範囲外であるし、もし届いたとしても数人の騎士を殺したところでほかのものが打った矢に射抜かれて死ぬだろう。
そもそも、彼らも自分たちの正義を掲げて立っている。その命を一方的に奪うことには抵抗があった。それこそ、実の兄も混じっているのだから。
そんな考えが一瞬、ルクスの頭にちらついた。と、思ったのとほぼ同時に、弓は一斉に放たれルクス達へと向かう。
カレラもフェリカも思わず顔を背けてうずくまる。矢が風を切る音が甲高く荒野に響いた。
――刹那。ルクスは空中にいくつもの水球を作り出す。
階位があがり、以前よりも魔法が使いやすくなったからその数は今までの比ではない。もちろん、一度に使える魔法量を表す魔法適正がDなのは変わらない。故に、大きいものではなく、両手で抱えられる程度の大きさのものしか作れなかったのだが。
ルクスはその水球をカレラとフェリカの周囲に作りあげる。
その水球は矢の勢いをすぐさま殺し、矢は、二人に届かずに地面に落ちていく。水球をすり抜けた矢が二人をかすめることもあったが、致命傷には至らない。
たかだか水で矢を止めることなどできない、と思う人もいるかもしれないが、空気と水とではその抵抗はけた違いだ。銃弾でさえ、水中を数メートルも突き進めば、殺傷能力がなくなってしまう。貫通力が低く、体積自体も大きい矢ならなおさら抵抗も大きい。
二人が無事な様子を確認して、自らは騎士たちに向かって一気に駆け出した。
「うおおおおぉぉぉぉぉ!!」
ルクスはすばやく騎士たちと距離を詰める。その短い時間でルクスを苦しめていたのは殺すか、殺さないかの葛藤だ。
今のルクスの武器は、水により窒息させることと、水の刃で切り裂くことだ。そのどちらも、相手も無効化する方法なのだが、結末は死だ。魔物と違い、ルクスは殺さずにこの場を切り抜けたいと考えてしまった。
それは、たかだか冒険者が騎士を殺すことで罪になってしまうかもしれない、という打算もあったが、やはり人を殺す忌避感は拭えない。
だからこそ、ルクスはより難易度の高いことに挑戦をした。それを成し遂げるのは、大道芸人の時に培った水の操作術に他ならない。
ルクスはイメージする。
騎士達の首元を睨みつけ、そこに走る二つの太い道筋に、できるだけ多くの水を流し込んだ。その道とは、左右の頸動脈だ。
頸動脈は、人の脳へ酸素を供給する要だ。この動脈が塞がれてしまえば、脳に血流はいかなくなり、やがて酸欠で脳は死ぬ。だが、あくまで一過性であるのなら、瞬間的な意識消失で事なきを得るだろう。
ルクスは、脳に行く血流を、できる限り水で薄めることで、脳に運ばれる酸素の欠乏をはかったのだ。
ルクスが両手を広げ、水を送り込むと、目の前の騎士達は糸が切れたマリオネットのように崩れ落ちた。ルクスは、すぐさま起き上がってくるかもしれないと危惧したが、それは杞憂に終わる。
崩れ落ちた騎士達は意識はすぐに取り戻したが、焦点の合わない視点で頭を押さえて動けなくなっていた。
――思いがけない副産物だったな。
ルクスは、騎士達に起こった事象に納得すると、すぐさまその牙をほかの騎士達に伸ばしていった。
次々に倒れていく騎士達。
その頃には、カレラも防御壁を張り、騎士達の攻撃を逃れている。それを横目で確認したルクスは、攻撃の手を緩めない。
もちろん騎士達も無抵抗ではない。
あるものは矢を射り、あるものは剣を抜き切りかかる。だが、位階を上げたルクスの速度では矢は当たらず、剣が届く前に意識を失い倒れてしまう。騎士達は次第にルクスと距離をとると、剣の切っ先を向ける。
残るは十数人となった中心には、兄であるサジャがいた。サジャは、驚愕し狼狽した様子でルクスを見つめていた。ルクスはその様子をみて、狙われることのなくなったカレラに叫んだ。
「今のうちに儀式を終わらせろ! 早く!」
その声に反応するように騎士達は飛び出そうとしたが、ルクスはその前に立ちふさがり、両手を突き出して警告する。カレラとフェリカは、二人とも立ち上がり急いで祠へと駆け出していた。
「動くな! 動いたらどうなるかわかるだろ?
その言葉に、顔を歪めながら立ち止まる騎士達だったが、ルクスの手から逃れようと、切りかかってくるものがいた。だが、その騎士は、ルクスに近づくことすら許される地面に沈む。
「いいから動くなって」
ルクスは完全に騎士達が動きを止めたのを見て、小さく嘆息する。
たくさんの魔法を使い、それを操作するのに精神力をすり減らした。命を奪おうとする攻撃を避けることは、想像以上のストレスとルクスに与えていた。見た目とは裏腹に、ルクスの身体も心も、すでに満身創痍だ。
そんなルクスの様子には気づかずに、騎士達は彼を睨みつけていた。
「倒れている奴らは、頭の中が直接殴られたように痛いだろうな おそらくだけど、一時的に血流の量が増したことで脳が圧迫されたせいだ。あくまで一瞬だったから脳の障害はないはずだけど、突然襲われる頭痛と吐き気は尋常じゃないはずだ。そうだろう?」
ルクスが一歩足を踏み出すと騎士達は一歩後ずさりをする。
先ほどまでとは打って変わり、今はルクス達が見るからに優勢だった。
「兄さん。ここは引いてくれないかな? わざわざ殺さないでおいたんだ。その意味がわかるだろ?」
その言葉に、サジャはぎりぎりと歯をかみしめ、震えながら声を絞り出す。
「ふ、ふざけるな! なぜ私がお前の指図を受けなければならないのだ!」
「別に、聞かなくてもいいよ。でも……カレラの命を狙うのなら、俺だって黙っちゃいない。色々調べてるなら、俺が街でなんて呼ばれたか知ってるんだろ?」
ルクスは不敵にほほ笑むと、凍るような声で告げた。
――死神だよ。
ルクスは、手の中に小さな水球を作り上げた。そして、そこに圧力をかけていき、水の刃を作っていく。
「これを一振りすれば、この荒地に百近い首が転がることになる。そんなこと、聖域の近くで俺もしたくはないんだ。だから、引いてくれ、兄さん。お願いだ」
数千の魔物を屠ったされる水の刃を見た騎士達は、血の気が引く思いだった。思わず、指揮官であるサジャをすがるような視線で見つめてしまう。
サジャも、実の弟だが、死神という二つ名を持つ冒険者相手に、騎士団の戦力を無駄に散らせるわけにはいかないと考えた。もしかしたら、サジャがなりふり構わず立ち向かえばルクスに勝てるかもしれない。だが、そんな危険を冒すほど、サジャの心は乱れてはいなかった。
と同時に、サジャは、すぐに撤退するほど、あきらめのよい男でもなかった。
サジャはもともと優秀だ。
ベッカー家において、魔法適正が高いというのは当然のことだった。サジャもそれに漏れることはなく、魔法を得意としている。
今、サジャ達の目的はカレラの命だ。そして、その命を奪うことで弱体化した悪魔を殺すことだ。その二つを叶えるためには、騎士達の損耗をできる限り抑えることは非常に重要なことだった。もし、目の前のルクスの逆鱗に触れれば、自分はともかく部下達の命は危ないかもしれないとそう考えていた。
だが、このまま手をこまねいて見ているわけにもいかなかったのだ。
サジャの調べでは、ルクスの冒険者としての戦歴はそれほどあるわけではなかった。それもそのはず、学校を卒業したのが半年前であり、ずっと冒険者を続けていたとしても、その経験は浅いものだ。
であるならば、戦場での想定外の出来事が起きれば少なからず動揺するのではないか。その程度は見当がつかないが、現状を打破できる可能性もあるだろう。サジャは、その望みにかけた。この硬直状態を打破できる、ルクスを動揺させ逆転できる一手。その答えにかろうじて手が届いたその時、サジャは即座に行動にうつした。
『その身を凍らせ、寒さに打ち震えよ!』
一瞬で多量の魔力を集中させ、サジャは、掌から巨大な氷をうちはなった。その氷は、走っているカレラの頭上へと降り注いでいく。サジャの魔法発動の速さにルクスは追いつけない。
「くそっ!」
慌てて振り向くルクス。その視線の先には、まだ祭壇にたどり着いていないカレラとフェリカがいた。二人は、放たれた魔法に気づいたようで、驚愕の表情を浮かべている。
「カレラ! フェリカ!」
ルクスの声は届いているだろう。しかし、その身は魔法に追いつくことはない。
このままだと、二人に大量の氷が降り注ぐことになる。それだけで命は奪えないかもしれないが、身体に傷を負うのは間違いない。そうなれば、当然のことながら、ルクス達の目的である、封印の強化を行うことはできないだろう。
思わず遠くの二人に手を伸ばしたルクスだったが、その手は空をことになる。二人を守れない。その事実がルクスの心を押しつぶさんと襲い掛かるが、彼の視界には、信じられないものがうつっていた。




