十一話 蹂躙と反撃
ルクスは自分でも驚いていた。
先ほどまでは、恐怖で埋め尽くされていた自分自身。しかし、カレラが犠牲にならなければならないと分かったとたんに、その恐怖心は一斉に姿を消した。そして湧き上がるのは、高揚感。自分が、誰かのために何かできるという喜びにもにた感情だった。
その誰かがカレラだったからなのかもしれない。その感情の答えはまだルクスは持っていなかったが、不思議と嫌な気分ではなかった。
ルクスがカレラと出会った日。言い換えれば、黒づくめの男達を撃退したあの日。
彼はたしかに新たな力を得ていた。
それは真理。ルクスの持つ力を、十全に出し尽くすための知識を得ていたのだ。
ルクスは、あの時聞こえた声の正体には検討がつかなかったが、得た真理がだんだんと体に馴染むに従って、自分の力の使い方を知ることとなる。それに頼ることがどこか怖かったルクスは、今まで通りの戦い方で依頼を受けていたが、カレラを助けたいと思ったその瞬間からその恐怖は消えていた。
天啓のように授かった真理。聞こえた声は自らを真理の実を名乗っていたが、思い当たるのはおひねりとしてもらった不思議な木の実だ。あの木の実のおかげだったのかはルクスにはわからなかったが、今の自分が、今までの自分と違うことだけは理解していた。
だからこそ、ルクスは思った。
――自分にならば、どうにかできるかもしれない。
その考えは、間違いなく常軌を逸していた。数えきれないほどの魔物を目の前にして言える言葉では決してない。だが、それを信じて疑わないルクスは、やはり以前とは違う存在になったのかもしれない。
ルクスはカレラを引き連れながら、門の上へと登っていった。
ルクスは門の上から眼下を見下ろしていた。そこには、門に群がる無数の魔物達がいる。
格子状になっている門の隙間から、幾度となく槍が差し込まれ魔物達を殺していく。その死体の上を後ろから押し寄せた魔物が踏みつけ、槍を奪い反撃にでている。当然、弓などをもっている人型の魔物もおり、時折振ってくる弓矢が突き刺さった冒険者が、今も後ろに下がって治療を受けていた。
それぞれが生への渇望を抱きながら死地へとその身を投じていた。その光景をみて、ルクスは思わず身震いをする。
「どうするの!?」
普段の冷静な顔を恐怖に染めたカレラが声を張り上げた。周囲の喧騒にまぎれ、思わず聞き逃しそうになってしまうが、ルクスは落ち着いている。
「大丈夫。きっとうまくやれるさ」
「でも――」
「怪我したら、頼むから治してくれよ?」
そうやっておどけたように笑みを浮かべると、ルクスは唐突にその場から飛び降りた。
「ルクスっ!」
その声に後押しされるように、ルクスは、魔物の真ん中に舞い降りることとなった。
ルクスは、やや隙間が空いたところを目指して飛び込んだ。
周囲に魔物があふれかえってはいるが、人が下りれないほどではない。なんとか無事に着地をしたその瞬間、ルクスは自分の魔法を発動させる。その魔法とは、当然水魔法だ。
魔法適性Dの水魔法は、精々抱えるほどの大きさの水しか生み出せない。しかし、元々持っていたルクスの特性である遠隔発動と大道芸で培った繊細な魔法操作。それと、真理の実から得た知識を用いれば、生物を死に至らしめるのはひどく簡単なことだったのだ。
その方法。
それは、肺を水で満たすこと。それだけだ。
人の肺の容量は五リットル程度。魔物においても、やたら大きいものでなければ、肺はそれほど多い容量ではない。
その肺が水で満たされてしまえば当然息はできない。窒息とは違い、肺を水で満たすということは、身体への酸素供給を即座に断ち切ることを意味している。急激に襲われる呼吸苦と重要臓器への酸素遮断。これによってもたらされるものは、ごくごく短時間で陥る意識消失だ。
息ができないことが直接意識消失につながるのは理解しがたいかもしれない。だが、窒息のように肺に空気が残っているのと、まったくないのでは身体で起こる現象に天と地ほどの差が生じる。
と、机上では無敵の魔法のように思えるが、実行するには多くの壁が存在した。
まずは、自身と離れたところに魔法を発生させることが普通なら不可能だ。
直接身体から生み出すのなら、それほど苦労はしないが、魔法とはそもそも体から離れたところでは発動することができない。
ルクスは、その不可能を可能にし、ましてや、それを人体の肺にピンポイントで発動させるというのだから、魔法を使う人間にとってはありえないことだった。
そのような荒業を、ルクスは淡々と繰り返していく。
魔物が目に入った瞬間に、その生物の肺の位置をイメージして魔法を発動させる。
大道芸で行っていた、水の空中静止や、膜を作るなどの複雑な魔法操作に比べれば、生み出したい場所に水を生み出せばいいというのはルクスにとっては楽だった。何度も繰り返すことで疲労感は蓄積していくが、そもそも魔力を大幅に消費させるほどの魔法ではない。
ルクスは、迫りくる魔物達の命を一瞬で刈り取っていくと、死体に埋もれる前に場所を移動しながら延々とその作業を繰り返していった。そうして門の前まできたルクスだったが、その周囲には魔物はいない。近づくと倒れていく魔物をみて、魔物達自身も、門の内側にいる人間たちも驚愕しか感じえなかった。
――死ね。
心の中でなども呟きながら魔法を繰り出していく。はたからみると、何もせず魔物が倒れていくのだから脅威以外のなにものでもない。
――死ね。
そんな光景をみていると、魔物達も恐怖を感じるのだろう。ルクスと距離を取りながら、じりじりと後ずさっていくようになった。
――逃げるなよ。
ルクスのその想いもむなしく、山盛りになっていく死体を後目に、弱い魔物達から徐々にその場から逃げるものが現れた。
――行かせるかよ。生かせてたまるか。
逃がせば瘴気を放つカレラを襲うかもしれない。そんな焦燥感にもにた感情を抱きながら、少しばかり距離をとってルクスを見据えている魔物達を睨みつける。先ほどまでの勢いはすでになく、尋常ならざる存在のルクスを遠巻きにみているような状況だった。
そこでできた隙をルクスは見逃さない。
イメージするのは、小さい球体。
その球体に圧力をかける様を想像した。小さい球体を、これでもかと圧迫していく。押しつぶされた水が、行き場をなくした水が、ルクスの手のひらで小さくなっていった。そして、水が押し返す力とルクスのイメージが拮抗したその時。
ルクスは、その球体に小さい穴をあけた。
弾かれるようにその穴かから水が飛び出していく。すさまじい速さで飛び出した水は、細い線になり地面と水平にひた走り、その水に触れた魔物は、一瞬でまっぷたつに切り裂かれていた。
その水を剣のように振るいながらルクスは走る。逃げる魔物を追いながら、何度も水の刃を叩きつけた。
射程が十メートルほどもあるその刃は、瞬く間に魔物達を葬っていく。その尋常ならざる威力に、魔物は混乱しつつもルクスに特攻をする。そして、そのすべてをルクスは水の刃で切り裂いた。
走りながら、水の刃を振りかぶり切り付ける。
うち漏らした魔物は走りながら肺を水びだしにして命を摘む。
手のひらに生み出した球体がなくなれば再び水を圧迫し、魔力が尽きればすぐさま持っていた魔力回復薬を口にした。
当然、魔物の中には水の刃では切り裂けないものや、呼吸を必要としないものもいるのだが、両方に耐えられるものはいなかった。
気づくと、魔物は街の門に近づくことが出来なくなっていた。
ルクスを中心に、円状に倒れていく魔物達。ルクスの後ろには、魔物はほとんどおらず、目の前にいる魔物達をルクスは水魔法で倒していく。
そんなルクスを塀の中から見ていた衛兵の部隊長である男は、突然現れた少年の後ろ姿に驚愕した。
自分の半分にも満たないであろうその少年は、なにやらわけのわからない方法で魔物を次々と殺していく。おそらくは魔法なのだろうが、部隊長はそのような魔法を見たことも聞いたこともなかった。
だが、自分達が門の内側から消極的な方法で対処するしかなかったことの半面、少年はその身一つで魔物を蹂躙していく。その力のすさまじさに嫉妬と畏怖と感じながら、今が戦況を左右する重要な一幕であることを理解する。現状の戦力でどのように戦うか。そのことを考えるも、人手の少なさに歯噛みした。その時――。
「戦況はどうなっている!? ここで指揮しているものは誰だ! 私は、領主様の剣である騎士団の長であるマルクスだ!」
部隊長はその言葉に歓喜した。
そして、すぐさま駆け寄り戦況を伝える。そして、今までの戦果と被害を伝える。もちろん少年の奮闘についてもだ。
「ふむ……。もし少年が倒れれば元の木阿弥……。街の安全は保つには――」
部隊長の話を聞いたマルクスは、しばし考えた後、その作戦を騎士団と部隊長に告げた。
その作戦とは――。
ルクスは、門の外に出てから、ただひたすらに水魔法を行使していく。
当然、魔法を使えば使うほど身体への負担が増え、ましてや魔力を空っぽにしようものなら意識を保っているのすらつらく感じるだろう。しかしながら、ルクスの魔法は止むことがない。延々と続く地獄を何度も繰り返すような圧迫感に耐えながら、一匹、また一匹と命を奪っていく。
――空は無理か。
魔法の射程の範囲外にいる飛ぶ魔物はルクスには手に負えなかったが、そこは街にいるものに任せようと割り切った。
そんなルクスだが、唐突に倦怠感が彼を襲った。
思考すらも鈍くなったような感覚に陥り、魔法もうまく使えない。
突如として立ち止まったルクスを見ながら、魔物達は何事かと様子を窺っていた。当然、そのまま魔物達が押し寄せればルクスを殺すことができただろう。しかしながら、ルクスが魔物を殺すのを見たことにより、その圧倒的な殺し方を見たことにより、本能的な恐怖が魔物達の脳裏に浮かび上がった。
そのことでできた間だったのだが、それが功を奏したのだ。
一瞬の間ができたその時、ルクスの後ろから門が開く音と、男達の叫び声が分厚い層となって押し寄せた。
「おおおおおぉぉぉぉぉぉ!」
鎧を纏った騎士団が、隙間なく魔物達へとぶつかっていく。
当然、動けなくなったルクスを押しつぶすことなく、その身をもって魔物達と街とを隔絶する壁となった。
ルクスはすぐさま騎士団に抱きかかえられ、そして魔力回復薬を飲まされた。
「団長が言ったんだ。おそらく魔法を使っているだろうから、これを持っていけってな。どうだ? 少しは動けるだろう?」
「あ……ああ。大丈夫だ、です」
徐々に満たされていく感覚。歓喜の声を上げる身体。
そんなやり取りをしている間に、騎士団達は魔物達を撃退していた。冒険者達も、その中に加わっていく。ルクスもそれに負け時と再び先頭に立って魔物を退けていった。
そうして何時間が立ったのだろうか。
ドンガの街が誇る騎士団、約二千人。冒険者達が三百人程。それだけの戦力を用いて、徐々に戦線を門から遠ざけることに成功した。ようやく、余裕を持ちながら魔物と戦っているルクスだが、おそらく限界が近づいているのだろう。
全身を襲う疲労感と頭痛。おそらくは魔法の使いすぎによる副作用だと思われる症状は、ルクスに警笛を鳴らしていた。限界まで酷使された肉体と精神は、その犠牲にふさわしい戦果を挙げていた。
「このままいけば――」
そうつぶやいたルクスが唐突に腹部に違和感を感じた。触れると、どろりとした感触と温かみが手を包み、見ると赤い。
腹から突き出た突起が引き抜かれたかと思うと、全身を激痛が襲う。
「ぐああああぁぁぁぁぁぁ!」
叫びながら倒れ、振り返ると、そこにはいつの間にか広がった血の海と赤い獅子がいた。
赤い獅子の背中には、蝙蝠のような黒い翼が生えている。そして、優雅に揺らしている尻尾は、まるでサソリのような禍々しい棘を有していた。そんな魔物がじっとルクスを見つめている。その顔は、魔物にもかかわらず、いやらしくにやついているように見えた。
その醜悪な姿はルクスも話に聞いたことがあった。
人の好んで食らうという凶悪な魔物。多くの金級冒険者の命を奪ってきた厄災。
マンティコアという魔物が、ルクス達を舌なめずりしながら見つめていたのだ。