009.黒い男と白い少女①
ひよりの目の前に立っていたのは黒いカマーベストとサロンエプロンをした背の高い黒髪の男。黒縁眼鏡の奥に見える彼の黒い瞳には、ひよりと同じように驚き戸惑う色がありありと窺える。
ひよりはその男の顔をまじまじと見上げて、震える唇からか細く声を押し出した。
「……マ、スター?」
「どうして君がここにいるんだい……?」
男は聞き慣れた、現状に戸惑いながらも優しい響きを持った声で訊ねてくる。
「っ、はぁぁ……」
安堵に脱力して、大きなため息と共にへなへなとその場にうずくまってしまったひより。その彼女を見て不思議そうな顔をしているこの男こそが、クロノのマスターであり、ひよりがその身を案じていた黒野戒十その人だった。
「無事ならライブラの返信くらいして下さいよぉ……、私、てっきりマスターに何かあったのかと……」
うずくまって膝を抱えたまま、ひよりは黒野にぶつぶつと恨み言をぶつける。言いがかりだということは自分でも理解していたが、本当に心配したし、本当に怖かったのだ。
それだというのに、黒野は今気付いたようにエプロンのポケットからスマホを取り出して見てみせる。
「ああ、返信してくれてたのか。すまない、昨夜から立て込んでいて見る機会がなくてね……」
「………………」
黒野はそれで返信が出来なかったことの理由を説明したつもりなのだろう。しかしひよりにとっては、もはやそれだけで納得などできるわけがない。
ぶすっとした不機嫌な表情を隠さないひよりの扱いによっぽど困ったのだろうか。黒野が半笑いのような曖昧な顔で口を噤んだ、その時だった。
「あの……、何かあったんですか?」
その場に、鈴を転がしたように涼やかな声が割って入る。どちらかというと控えめに発せられたものだろうに、その声は通りが良く鮮やかに耳と心を打った。
その声に惹かれるように顔を上げたひよりが同じように声に反応して背後を振り返っていた黒野越しに見たのは、不安そうにバスルームを覗き込む白い少女の姿だった。
まず目を引いたのは肩の辺りで不自然に削ぎ切られた真っ白な髪。先ほどまでバスルームを使っていたのは彼女なのだろうか。その髪はしっとりと濡れていた。けぶるような白い肌には荒れたところひとつ見受けられない。小柄な身体に纏っているのは男物と思しきオーバーサイズの白いワイシャツのみだ。
圧倒的な白のイメージを受ける彼女の佇まいの中で、大きな瞳とふっくりとした唇、そして丸く愛らしい頬だけがほんのりとした赤色を示していた。
年頃はひよりと同じくらいだろうか。その顔立ちは酷く整っている。しかし彼女にはおおよそ作り物めいたところがなく、ごく自然にその場に存在していた。