006.異変①
「あら?」
だけど、いつものようにその扉を開こうとドアノブに手を差し伸べたひよりはふと違和感を覚えて看板の下のパネルをもう一度見直した。そこに表示されていた文字は「Closed」。閉店中だ。いつもの営業日ならひよりがいなくてもマスターはこの時間にはきちんと営業を始めているはずなのだけれど。
パネルの掛け替え忘れかも知れないと思ってドアノブを引くが、ガチリという錠の手応えだけが返ってきた。やはり施錠されている。
いつもと違ったマスターのLIVELINEでの様子、返ってこない返信、そして開店していないクロノ。
嫌な予感が再びひよりの胸をよぎる。
(確か、マスターはこの建物の二階に住んでいるはず。今まで行ったことはなかったけれど、確かめるべき?)
間口の狭い建物の脇にひっそりと存在する上階へ向かう外付けの階段を見て、ひよりは少しだけ悩んだ。だが、すぐに彼女はぐっと拳を握り込み唇を引き締める。
何かがあってからでは遅い。今、確かめるべきだ。
緊張と不安に高鳴る胸をぎゅっと手で抑え付けながら、ひよりは階段をのぼり始めた。金属製の階段はのぼるたびにカンカンと派手な音をたてる。それがひよりには緊急を告げる警報音のように聞こえていた。
「ここが、マスターの部屋ね」
階段を上った先にあったのは一階のクロノの扉とはだいぶ趣の違う、簡素な金属製の扉だった。呼び鈴は付いていたが、下に大きく「故障中」との張り紙がされていた。仕方なく、ひよりはその扉を二回ノックする。……返事はなかった。
(何処かに買い物にでも行ってるのかな? それとも、やっぱり何かトラブルに巻き込まれて……?)
そこまで考えて、ひよりは思わずぶるりと身震いをした。考えたくない。考えたくないけれど彼女の脳裏には考え得る「最悪の事態」が映像として再生されていた。
部屋の中、仰向けで血だまりに沈むマスター。その胸には鋭いナイフが突き立てられている。
(まさか、サスペンスドラマじゃないんだもの、そんなこと……)
反射的に否定して、目の前の扉のドアノブに触れる。この気温にあてられてぬるんだ金属のドアノブを軽く回すと、カチャリと音がした。鍵がかかっていない。
(まさか、まさか、まさかまさかまさかまさかまさか……)
頭の中は真っ白だ。何も考えられない。
それでもひよりは、震え、汗でぬかるんだ手を慎重に引いた。
キィィ、と微かに軋む音を立てながら扉が開く。ぽっかりと開いたその穴は、非日常へといざなう入り口のようだった。