魔王と御者 『面倒だ』
ある暗い森の中に敷かれた道を馬車が一台走っていた。
馬車を引く馬は紫色で鬣は燃える炎。
馬車を操る御者は鋭い眼光を持った魔物の騎士。
その馬車は、明らかに人外の存在に向けて用意されたものだった。
馬車が走る森だが、違和感が一つある。
それは魔物の声が一切聞こえないこと。
この森には普段なら恐ろしい魔物達の鳴き声が響いているハズだ。
しかし今は魔物の声が全く聞こえない。
何故、魔物達は声を発しないのか?
御者を務める騎士ならこう答えるだろう。
『馬車に乗る2人の魔王に森の生物たちは怯えていたからだ』と……
~馬車の中にて~
馬車の中では2人の魔王が不機嫌そうに座っている。
1人は銀色の髪を持つヒルデという魔王。
彼女は腕組みをして外を眺めている。
もう1人は黒い仮面を付けたシリウスという魔王。
彼もまた腕組みをしてヒルデとは反対側の窓を見ている。
不機嫌な2人の魔王。
彼等が醸し出す雰囲気に、馬車を操る騎士は冷や汗が止まらずにいた。
もし2人の喧嘩に巻き込まれれば、騎士の命は儚く散ることだろう。
この騎士は決して臆病ではない。
数々の武勲をたて、ある魔王の側近にまで上り詰めた猛者だ。
しかし、魔王同士の喧嘩に巻き込まれて死ねば犬死にでしかない。
戦いで死ぬのならまだしも巻き込まれて死を迎えるのだけは避けたかった。
そんな嫌な想像を騎士に抱かせるほど、2人の魔王としての力は強かったのだ。
「…………」
「…………」
騎士が嫌な汗を流す中、彼の後ろでは沈黙が続いている。
まともな神経を持った者なら逃げ出したくなるような沈黙が……
「…………」
「…………」
馬車の車輪が生む音だけが周囲に響き続けていた。
「…………」
「…………おいっ」
最初に口を開いたのはヒルデだった。
不機嫌そうな顔をシリウスへと向けている。
「…………」
シリウスは無言でヒルデの方に顔を向けた。
だが腕組みをしたままであり、不機嫌そうな雰囲気は健在だ。
「お前は、気の効いた事の一つも言えんのか」
「言えないな」
ヒルデの発した言葉にシリウスが返したのは挑発ともとれる言葉。
御者の騎士は自分の命に関わるかもしれない会話に聞き耳を立てていた。
「女に気を使わせる気か?」
「面倒だ」
「無粋なヤツめ」
「…………」
シリウスはヒルデとの話が終わるのを待たずに再び窓の外を見た。
それは彼女に話す気が無いと伝えるのに十分な行動だ。
シリウスの行動により馬車の中からは尋常ならざる空気が生じた。
御者の騎士は自分の命がゴリゴリと削られているかのような錯覚を抱いている。
彼にとって現状は、いかなる戦場でも体験したことのない絶望的な物だった。
「ふんっ」
「…………」
ヒルデは鼻を鳴らし再び窓の外へと視線を移す。
2人の魔王がお互いに窓の外を見ると馬車内の空気に柔らかさが生まれた。
空気が少し和らいだことに安堵の思いを騎士は感じている。
だが油断はしていない。
今も犬死にの可能性が消えていないことを知っているからだ。
「…………」
「…………」
再び訪れた沈黙。
先ほどよりも馬車内の空気は、柔らかくなったようだ。
それでも御者を務める騎士の冷汗は、止まることが無かった。
13柱の魔王と呼ばれる存在がいる。
力に個体差が大きい魔王達の頂点と呼ばれる存在だ。
基本的に13柱の魔王の地位は、持つ者を倒して奪うことで継承される。
しかし地位を奪った後、他の魔王達に承認される必要があるため卑怯な手は使えない。
このため13柱の魔王という地位は、常に強き魔王の証として存在してきた。




