俺は大神殿に入った 『燃え上がる恋をしてみたいものです』
流水の大精霊は、船乗りや貿易商などに信仰されている。
名前の通り水の流れを司っているため、海で命を賭けている者達にとっては守り神とも言えるからだ。
彼らは命がけの仕事だけあり、お布施なんかも中々の物だと聞く。
流水の大精霊を崇める神殿は多くの国にある。
で、それらの神殿を取りまとめているのが大神殿。
母さんはココで中々の権力者だったとのことだ。
すなわち、俺の平穏を壊す要素がまた一つ発見されたわけだな。
この流水の大神殿は、ラヴァーユという国にある。
ラヴァーユ国は島国だ。
島国と言っても、日本並の広さがあるのは確実だろう。
俺はケットシーの黒い協力者に導かれるまま、流水の大神殿へと足を踏み入れた。
この協力者は神殿騎士をしている。
神殿騎士というのは、名前の通り神殿の騎士。
彼らは神殿を守るのは当然として、その教えを守るのも仕事だ。
だから教えに反するヤツは、彼らにお仕置きをされることになる。
ついでに神殿の利権もちゃんと守っている。
協力者の神殿騎士に関しては、ケットシーの利益の方を優先的に守りそうではあるがな。
流水の大神殿よ。
人を雇うのなら、身元の確認を徹底した方がいいぞと忠告してやりたい。
もっとも俺にとっては、今のままの方が都合がいいから何も言う気はないが。
しばらく歩くと、大神殿を囲む街とは少し違う視線が突き刺さるようになった。
神殿を守護する騎士たちを所々で見かける。
彼らの視線は別にかまわない。
不審者が侵入していないかを判別するための視線なのだから。
問題なのは女性神官たちの視線だ。
俺達へと、物凄く熱い視線を向けているような気がしてならない。
大神殿を俺とともに歩いているのは協力者たる神殿騎士。
ケットシーの黒い権力を担う者であるが普通の人間の男だ。
残念ながら猫ではなく、モフモフ要素0な普通の人間だ。
コイツが人気なのだろうか?
とも考えたのだが、どうも違う。
熱い視線を向けるのであれば、顔に向けるはずであるが視線が低いのだ。
もしコイツに視線を向けているのであれば大問題だ。
神官(女性)が、男の秘部に堂々と視線を向けていることになる。
そんな神官ばかりが集まっているようなら、すでに大精霊がマジギレしているハズだ。
と、なれば俺に視線は向けられている事になる。
今はラゼルがいないのだ。
俺の美少年ぶりが目立ちすぎているのだろう。
などと、自惚れる気はない。
この視線は、たぶん母さんの影響だな。
影響力が凄かったらしいから。
だが、母さんの影響力というのはどれだけあったのだろうか?
近づいてくるヤツはいないのだが、遠巻きにコッチをジッと見ているヤツが多すぎる。
それだけなら良いのだが────おい、そこ拝むな!
俺に何の御利益を求めているんだ。
元大勇者な美少年というだけだ。
うん?
案外ご利益がありそうだな。
これまでの人生を思い返すと、厄介ごとを引き付ける感じのご利益しか思い浮かばんが。
だが俺が思いつかないだけで、他のご利益もあるかもしれん。
加護を与えるチートなど俺は持っていないが、祈ってやることぐらいはできる。
望むのなら祈ってやらん事もない。
加護の方がいいのなら、大精霊に掛け合ってやってもいい。
主に虚像の大精霊あたりにな。
アイツの試練なら命を失う事はないハズだ。
別の何かは失うだろうが。
「失礼いたします」
いつの間にか、協力者のはずの神殿騎士が俺に敬礼をしていた。
一体何があったのだ。
疑問を感じはしたが、一礼をした彼はお構いなしに去ってしまった。
離れて行く彼の背中を目で追う。
徐々に小さくなっていく。
代わりに俺の中で、不安が徐々に大きくなっていっている。
迷い猫というのは、主をこんな気持ちで探すものなのかもしれない。
いや、今は迷い猫の気持ちを考えている状況ではない。
状況を整理しよう。
1.俺はどうでもいい事を考えていた。
2.気付いたらアイツは去って行くタイミングだった。
3.話しを全く聞いていなかったため何をすればいいのか分からない。
状況整理終了。
想像以上にシンプルな状況だな。
3だけでも十分な程だ。
さて、何をすればいいのか、さっぱり分からん。
聞きそびれてしまったからな。
さて、どうしようか?
「それでは、ご案内いたします」
また、思考の海に意識が沈んでいたようだ。
いつの間にか、目の前に神官が立っていた。
どうやら、協力者は役目をこの神官に引き継いだらしい。
良かった。
迷子になったわけではないようだ。
この場合、迷子と呼ぶべきなのか分からんが、とにかく良かった。
神官が歩いていく。
絨毯の色がこれまでとは違う。
この先は、特定の者以外は立ち入り禁止の場所なのだろう。
それが理由で協力者の神殿騎士は、役目をこの神官に委ねたのかもしれない。
いや、そんなことを考えている余裕などない。
このままだと先程の悲劇を繰り返すことになりかねない。
俺は、神官の背中を追うことにした。
*
フッ、やっちまったぜ。
ここは流水の大神殿の奥に広がる巨大な空間。
壁は滝のように落ちる水で全く見えない。
床もまた空間の中心を貫く部分以外は流れる水で覆われている。
例えるのなら、滝に囲まれた池の真ん中の少し高い場所を立っている感じだ。
さぞ、金を掛けたことだろう。
話を戻そう。
俺が何をやっちまったのかというと、また話を聞いていなかっただけだ。
俺の前には1人の女性が立っている。
彼女こそが、今代の流水の巫女。
俺はいつの間にかこの部屋に入っていて、いつの間にか話を聞いていた。
だが神官の背中を追っているうちに、また余計な事を考えていたせいで過程の記憶が一切ない。
いつから話しが始まっていたのか、全く分からないほどだ。
だが、流水の巫女は笑みを浮かべている。
失礼な事はしていないハズだ。
自信はないが、今はそう信じておこう。
それに、まだ肝心の部分は話していないようだから大丈夫だ。
なぜなら──。
「ニーナ様とアレクストレイ様の慣れ染めはまさしくロマン。私もお2人のような燃え上がる恋をしてみたいものです」
先程から、こんな話を続けているからな。
母さんたちの話をしてくれているおかげで、重要な部分を聞き逃すなどという事はなかったのだ。
感謝はしておこう。
だが、親の色恋話を聞かされるというのは何とも居心地の悪いものだな。
巫女によると演劇なんかもあるらしいぞ。
それに恋愛小説も出ているらしい。
なるほど、父さんと母さんはこういった意味で影響力があるわけか。
出会いに飢えた巫女とか限定でな。
それにしてもあの両親は、俺の平穏をどこまで遠ざけるつもりなのだろうか?
平穏という夢が、俺ほど遠いヤツも珍しいことだろう。
とりあえず、現実逃避も兼ねて話しを聞き流すことにした。
*
「オホン……失礼いたしました」
「いえ」
巫女が正気取り戻したようだ。
先程までは、欲望にまみれた目であった。
だが、今は頬を赤らめているだけの清楚な女性にしか見えない。
巫女の業も中々に深い物なのかもしれない。
先程までの興奮が止んでいないのか、己の醜態を恥じているのかは訊ねない方が良さそうだ。
下手をすれば、また長話に付き合わされかねない。
「流水の大精霊様は、この世界とは事なる聖域と呼ばれる異世界に身を置かれています。通常の願いであれば神殿から人を送り、大精霊様にお伺いを立てるのですが今回は事情が違います」
先程までの暴走が嘘のように澄ました顔をしている。
そのギャップに笑いが込み上がりそうになるが、ここは我慢をしなければならない。
この状況で笑うのはまずいだろう。
俺とてその程度の空気は読める。
笑いを堪えるのは辛いものだ。
己の呼吸一つにすら注意を向けなければならない。
それに、あえて大笑いしたいという俺のお茶目心が顔を覗かせつつある。
いかん。
本気で笑いたくなってきた。
「クレスト様が望まれる街一つ分の魔力を整えるとなると規模が大きすぎます。このため、神殿の者ではなくクレスト様が聖域へと赴かねばなりません」
やばい、巫女の顔を見たら笑いだしそうだ。
ここは下を見て目を合わせないようにしよう。
運が良ければ、何かを考えているように見えるハズだ。
「恐らくは試練を受けることとなりますが、試練の内容は場合によって違う物。この場でお伝えすることはできませんが、試練は代理人を立てることも可能なハズ。ですからご安心下さい」
どうやら、必死に笑いを堪える姿を緊張していると勘違いしてくれたようだ。
緊張を和らげようとする巫女の優しさが、俺の心に罪悪感としてチクチク攻撃をしてくる。
だが、それ以上に笑いたいという欲求が高まってしまう。
少しでも言葉を口にしただけでも、笑いだしそうだ。
いや、誘惑に負けるわけにはいかない。
とりあえず、巫女の言葉に頷いて答えることにする。
これが、俺が今できる事の限界だ。
だが、これからどうするべきか。
しばらく話を聞かねばならん。
さらに話しを聞き終わった後は、場所の移動が控えているようだ。
ずっと笑いを堪え続けるなど、できる気がしない。
巫女が話を続ける中、俺は必死に耐え続ける。
これは、かなり不利な戦いだ。
普段は働かない俺の脳だが、雑念を抱くことだけは人並み以上に行いやがる。
巫女への笑いを堪えていると、彼女の声の抑揚一つすら面白くなって来た。
──もうダメだ。
前世において、いかなる苦難を目の前にしようとも決して折れなかった──ような気がする、俺の心が折れかけた。
同時に思い出したのは前世の激しい戦い。
後半は楽勝であったが、前半は本当に苦しかった。
この巫女は、元とは言え大勇者とも呼ばれた俺に膝を折らせるというのか。
敗北を受け止めよう。
俺は限界だ。
すでに勝算などない。
そう諦めかけた時、奇跡が起きた。
周囲が白い光に包まれたのだ。
眩い閃光のような光。
この空間にある全ての物が白く染め上げられる。
だが、それは一瞬であった。
光が止んだことに気付いた。
今いる場所が大神殿でないことに。
俺がいるのは気泡が揺らぐ水の中。
だが呼吸は当たり前のようにでき、視界も水に遮られることがない。
強制的に転位されたようだ。
この場所を俺は知っている。
目の前にいる存在も。
『久しいですねスバル』
巨大な龍がいる。
性悪ドラゴンのようなトカゲを連想する竜ではない。
蛇を連想する龍。
日本で知られる龍のようなゴツさはない。
水の抵抗が限りなく低い流線型の体をした龍。
流麗と表すべき見た目をした青い龍だ。
俺は一言も声を出す事ができずにいる。
龍の姿をした流水の大精霊を前に。
俺の声を奪っているのは、畏怖だとかそんな気持ちではない。
声を失っている原因は──。
『……もう笑っても良いですよ』
救いの神が降りた。
長く苦しい戦いであった。
もはやあの巫女に下るしかないと覚悟を決めたときに助けられた。
コイツは大精霊ではあるが、今の俺にとっては救いの神という評価こそが相応しい。
これで解放された。
もう、俺を縛る物は何もない。
今は盛大に笑おう。
何もかも忘れて、とにかく笑おう。
………………
…………
……
と、思ったが案外笑えない物だな。
すっかり笑いへの欲求を失ってしまった。
笑ってはいけない状況だからこそ笑いたかったようだ。
これが社会への反抗というものか。
ふっ、俺も若いな(肉体年齢11歳)
とりあえず大精霊と話すことにしよう。
他にする事もないし。




