閑話 庶民の夏休みはコレからだ! 『いらっしゃいま……』
ルート
”第2部×第2章 凄い勇者は権力と戦う”で貴族に絡まれた所をラゼルに庇われて、決闘騒ぎに巻き込まれた女の子です。
長い休日に入った。
庶民代表ルートは家の手伝いをしている。
国内でもトップクラスの権力を持つ公爵家に目をつけられたり、獣王の孫に庇われたり、色々と大変だった騎士学校生活。
庶民代表である彼女にとって、夢のような日々であった。
もちろん、ここでいう夢というのは悪夢を意味するのだが。
長い休日に入り、あの夢のような生活は思い出さないようにしていた。
庶民代表たる彼女にとって、アレは刺激が強すぎたからだ。
──あぁ、落ち着く。
平穏こそ彼女にとって至福。
この辺りはクレスと同じ。
だが、立っている場所が全く違う。
それは日頃の行いが原因だ。
間違いなく。
「少し店番をしていてくれ。俺は倉庫に行ってくる」
「はーい」
商品棚を整理していたルートに、店主である父が声をかけた。
本当に落ち着く。
こういう日常こそが、自分のいる場所であると彼女の深い所が言っている。
昼食時を過ぎ、少し時間が経つと人の足は店に向きにくくなってきた。
父は、まだ倉庫にいるのだろう。
帰ってくる気配はない。
今は店の中に客はおらず、ノンビリできる。
ルートにとっては、平穏を感じられる貴重な時間帯だ。
うっつら、うっつらと、まぶたを閉じさせようと眠気が頑張っている。
でも店番が眠るわけにはいかない。
ルートは、そのまま夢の世界に旅立ちたいと、駄々をこねている自分に活を入れて立ち上がった。
商品棚の整理でもやろうか?
そのようにも考えたが、座る姿勢をとればそのまま眠ってしまいそうだ。
少し考えようと頭を働かせてみるも、その僅かな間ですら睡魔が攻撃の手を休ませる事は無いだろう。
このように考えて、結局は歩きながら商品をハタキで叩くことにした。
平凡だ。
そのハタキを使う様が、微妙に似合わない所など、普通の地味な娘にしか見えない。
まさしく、平凡を絵に描いたような少女。
これぞルートクオリティ。
ハタキで商品を叩いていると、店のドアを開ける音が響く。
「いらっしゃいま……」
最後まで言葉を言い終える事ができなかった。
平凡少女の顔は、表情筋が職場放棄をしたように動いていない。
2人のお客さん。
1人は友達──────と言ったらファンに睨まれそうだ。
だから、知り合いと言っておこう。
しかし、彼の隣にいるもう1人は知らない。
お姫様と言われても納得しそうな、可愛い女の子がいる。
その女の子に対して羨ましいだとか、ああなりたいだとかは思わない。
自分の望む平凡からかけ離れすぎているのだ。
そんな事を願う理由がない。
ただ単に、ルートは思っただけだ。
物凄く面倒そうな人達が来たと。
だが、こういう時の対策は考えてある。
店員スマイルに徹すること。
案外気付かない物だ。
こういうキラキラした人にとって、自分のような者は道端の小石に過ぎない。
だから店員であることに徹すれば、自分をクラスメートであると彼が気付くハズが無い。
そんな風に自分を評価をして、悲しくないのかと訊ねる者もいるだろう。
だが、ルートはあの一件で悟ったのだ。
あのキラキラした世界は、”精神疲労で過労死をしかねない”と
だから、この作戦でこの場をやり過ごすことに決めた。
「この商品を頂きたい……ん?」
店員スマイルは効かなかったようだ。
白髪の獣人少年の目は、先程までと違う親しみのあるものへと変わった。
彼に覚えてもらえていたのは嬉しい。
だが素直に嬉しいと思えるのは、目の保養と割り切れる程度の距離がある場合に限ってだ。
ここまで距離が近いと、嬉しさよりも戸惑いの方が大きくなる。
「ルートは、ここでバイトをしているのか」
プライベートで彼に会えたら、喜ぶ女子が多いだろうなーと思いながらも、やはり店員スマイルを崩す事は無い。
このスマイルこそが、今の彼女の平穏を守る最後の砦なのだ。
スマイルだけは死守しなければならない。
「ここ、お父さんのお店だから、ときどき手伝っているの。ラゼル君は、どうしてこの村に来たの?」
来なくて良かったのにとは言わない。
ルートとしても、知人と会えたのは嬉しい。
ただ、平穏が壊れそうな程のキラキラ感が怖いだけだ。
「爺ちゃんと山にこもって修業することになってさ。その途中でこの村に寄ったんだ」
「へぇー」
爺ちゃん。
ソレが獣王であることは、ルートもすぐさま理解できた。
まさしく、自分とは違う世界にいる代名詞的存在だ。
ラゼルが買い物のメモを持っている。
どうやら本人は来なかったようだ。
良かった。
心底ホッとた。
獣王などという大物が来たら、精神疲労で今晩は悪夢にうなされたことだろう。
ホッとしながらも、やはり店員スマイルは崩さない。
彼女は気付いているのだろうか?
感情がココまでコロコロ変わっても、自然な笑みを浮かべていられることが、自然でないことに。
表情を感情に関係なく自然なままにするのはとても難しい。
頬などの表情筋は、訓練次第ではなんともできる。
だが、呼吸や目の動きを制御するのは途方もなく難しい。
これらに僅かな変化があっただけでも、人というのは違和感を感じてしまう。
ましてや武の道を歩む者であれば、そういった物に勘付けないようでは、三流にすらなれない。
幼いとはいえラゼルは、獣王ガリウスに長く鍛えられている。
そんな彼の目を持ってしても、ルートの表情に違和感一つ感じることはできなかった。
まさしく、スマイルは一切の違和感がない完璧な店員スマイルと言える。
この領域に立つのは、よほど訓練された間諜でも難しい事。
それをたかだか11歳の少女が行っている。
少なくとも、平凡という評価ですませて良い特技ではない。
「メモの物を探しているの?」
「山籠りをするのに道具なんていらないんだけどな。久しぶりだから、最低限の準備をした方がいいって爺ちゃんが言ってな」
おかしな言葉を聞いた気がする。
”山ごもりに道具なんていらない”
これは、普通の事なのだろうか?
少なくとも店に来る冒険者は、山に向かう時に食料や傷薬といった基本的な道具は買っていく。
──でも、獣王様にとっては普通の事なんだよね。
そう結論付けて、ルートは準備を開始した。
色々と思う所はあるが、聞かない方が良い事もあるのだ。
どんな事をキッカケに、非平穏の扉が開くのかは誰にも分からないのだから。
少なくともクレスは、この辺りで失敗をしまくっている。
「じゃあ、少し待っていて。すぐに用意するから」
早く帰ってもらおう。
こんなキラキラが店にいたら、目が潰れかねない。
そんな想いを胸に、店の中を歩き回る。
その動きはまさしく最速。
全く走っていないにもかかわらず、圧倒的なスピードでメモの商品を集め終えた。
地味に普通ではない特技だ。
「入れる袋はある?」
集めた商品は、手で抱えきれないほどだ。
だが、この世界では袋類の無料提供サービスなどない。
基本として買い物カゴなどを持参するのが一般的だ。
「ああ、それなら……」
ラゼルが取り出したのは一つの宝石。
明らかに高価なソレが持つ、普通ではないオーラをルートは感じ取った。
「ええと。それは?」
「アイテムBOXっていう、道具袋の一種だってクレ……ゴホ。いや、なんでもない。コイツには色々な物をかなりの量を詰め込めるんだ」
このトンデモアイテムを放り投げて渡したバカ。
思わず口を突いて彼の名が出そうになった。
ルートの顔色を窺う。
先程までとは変わらぬ笑顔だ。
どうやら誤魔化せたようだ、と胸をなでおろした。
──忘れよう。
ルートは、聞いた事のある人物の名前が聞こえた気がした。
だが、これは聞いてはいけない事だと判断する。
スパイ顔負けの店員スマイル。
この鉄壁の仮面が揺らぐ事は一切無い。
「お会計は……」
「コレで……」
結構な金額になった。
山ごもりの準備をするのであれば、この程度の出費はやむを得ないだろう。
どうせ出すのはガリウスなのだから。
「確かに」
支払われたお金を確かめると棚の下へとしまった。
さすが獣王様は金払いがいい。
これだけで一日分以上の稼ぎだ。
普通の商人であればニンマリしそうな所ではあるが、ルートの鉄壁の店員スマイルを剥がすことなど不可能。
ニコニコと、鉄壁の店員スマイルを顔に貼りつけたまま接客を続ける。
「仕舞っていいか?」
「うん、いいよ」
会計は済んだ。
あとはアイテムBOXに仕舞うだけである。
「セレグ、頼む」
「うん」
へー、セレグちゃんっていうんだ。
と、性別を勘違いしたままお姫様を眺め続ける。
魔法に分類される魔力の使い方は、ラゼルよりも遥かに弟のセレグの方が得意だ。
商品を手に取ったお姫様は宝石に触れさせる。
ドンドン吸い込まれるように消えていく。
このペースで万引きをされようものなら、間違いなく店は潰れる。
そんな商人泣かせの技能を見ながら、ルートはお姫様を眺め続けた。
良い目の保養となっているようだ。
「全部入れ終わった」
「ああ、お疲れ」
しばらく経ち、道具の収納を終えたセレグ。
アイテムBOXの機能を持つ宝石をラゼルへと手渡した。
ルートは、そんな2人の姿を優しげな目で眺めている。
シルヴィアやコーネリアの、腐ったギラギラした目とは大違いだ。
「じゃあ、また帰りに寄らせてもらうよ」
「うん、わかった。何か用意しておいた方がいい物ってある? 食べ物とか」
えっ、このキラキラまた来る気なの?
などと不満を感じはしたが、すかさず商売の話を持ち込んだ。
この辺りは商人の娘らしく、しっかりと教え込まれているようだ。
「そうだな……肉は干し肉がかなり増えると思うから、野菜を少し食べたくなるか」
”かなり干し肉が増える”
この言葉に、いったい山籠りで何を狩るつもりなのかと少し不安になった。
だが、やはり鉄壁の店員スマイルは崩れない。
さすがだ。
彼女の店員スマイルは、チタン製なのかもしれない。
「野菜はどこでも買えると思うけど」
「そうだな。じゃあ、この辺りで手に入る調味料なんかを用意してもらえるか? 帰りは野宿しながらになると思うから、香辛料があるとありがたい……かな?」
山籠りしている最中は、肉や山菜は問題なく手に入る。
もし調味料を用意すれば、充実した山生活を楽しめるハズだ。
しかし山籠りには、肉体だけでなく不必要を省いて精神を研ぎ澄ませる目的もある。
むしろ精神面の贅肉を削ぎ落とす事が山籠りのメインであり、肉体を鍛える事はサブと言えるだろう。
故に、山籠りをするのに調味料のような贅沢品を持ちこめば、山籠りの効果は半減どころの騒ぎでないほどに低下する。
だから山籠りには調味料を持ちこめない。
故に山籠りの初期は飢えるのだ。
人里にある、あの贅沢な味覚に。
この飢えは、禁断症状と言ってもいいほどだ。
手元に調味料があれば、衝動的に口にしたくなってしまう。
だから、やはり調味料を用意して山に入るわけにはいかない。
ちなみに、ガリウスは生き血の味が好きなので調味料無しでも問題はない※クレス談
「じゃあ、この辺りで集められる香辛料を2日分くらい用意すればいいかな?」
「王都まで半日か1日だから……残れば後で使えばいいし…………そうだな、2日分で頼む」
ここから王都まで馬車で1日ほど。
少し多めに量を提示したのだが、うまくいったようだ。
ルートはほくそ笑むことなく、やはり店員スマイルそのままに小さな取り引きを成功させた。
「山籠りは10日の予定だから、その頃にまた寄らせてもらうよ」
「うん。品質の高い香辛料を用意して待っている」
品質の高い=高価な。
商人にとってこの図式が成り立つ言葉を使われたことに、ラゼルは気付いていない。
だが問題はない。
どうせ、金を出すのはガリウスなのだから。
ラゼルは軽く手を上げて、別れの挨拶をする。
爽やかな美少年のその姿は、学校であれば多くの女子が黄色い声を上げたことだろう。
しかし鉄壁の接客スマイルを持つルートは、ニコニコと挨拶を返すだけだ。
ラゼルが手を上げると、今度はセレグが軽く頭を下げる。
勇者が召喚されて、この世界で色々と馬鹿をやってきたせいだろう。
どうやら、おじぎの習慣もあるようだ。
店を出ようとするラゼルを、セレグはすぐに追いかける。
トテトテと効果音の出そうなその光景に、ルートは癒されながら彼らを見送った。
最後まで、セレグの性別を間違えたまま──。




