俺は手作業をした 『どうせ暇なんじゃろ?』
あ~あ、雨が降っているな。
ここは騎士学校の教室。
窓から眺められる光景は、雨の色で染め上げられている。
雨の日に憂鬱になるような繊細な心を持っている俺ではあるが、今日はいつも以上に憂鬱だ。
机の上に置かれた大量の藁。
さらに足元が隠れるほどに置かれている机の上以上の藁。
これを相手しなければならないと考えると、憂鬱にならない方がおかしいだろう。
思わず溜め息を漏らそうとしたとき、教卓の方から檄が飛んできた
「ほれ、手を動かさんか」
ロリババアことイザベラの声に少しイラっとした。
ヤツは教卓の前にある机で、俺に背を向けながら作業をしていたんだ。
俺の方をチラチラ盗み見て、晒し者にする機会を窺っていたのだと思う。
「……なんじゃ」
「言いたい事は分かっていますよね」
周囲に他の生徒がいることもあり敬語で言葉を返す。
そんな俺に対して、居心地悪そうに顔を背けた。
少しは罪悪感があるようだ。
「良いではないか。どうせ暇なんじゃろ?」
教卓前の机で喋るイザベラ。
だが手の動きを止めようとしないのは、この事態を招いたヤツなりの責任感の表れか。
「はぁ」
その様子は、これ以上問いただしても状況は変わらないと判断するのに十分だ。
しかし、やり場を失った苛立ちは容易には消せない。
せめてもの反抗に、言葉の代わりに溜め息を返した。
「どぶ沼にはまって死にかけている牛ガエルのような顔をするのは止めて下さい。汚臭がコチラまで漂ってきそうなので」
「お前、この休み中に俺への暴言に磨きがかかっていないか?」
少し離れた席から暴言を吐き出したのは例の彼女。
俺とのコミュニケーションはジト目が基本装備の彼女だ。
えーと、ほら、あの天敵の──あぁ、マルテ様だ。
「なにか失礼な事を考えているようですね。まぁ、いいでしょう。ですが一つ訂正させて頂きます。あなたへの暴言に磨きがかかっていると感じるのは、きっと勘違いですよ。だって、そんな物に磨きをかけた所で人生の汚点になるだけですから。磨くハズがないと思いませんか? あっ、同意なんて求めていないので答えなくてしいですよ。同意されても気持ち悪いだけなので」
やばい、11歳黒髪少女が放つ言葉の暴力が進化している。
しかも休み前よりも饒舌になっている気が。
休みの間に何かあったのだろうか?
「……羨ましい」
おい、マグニール。
戦場の悲しみと愚かしさを知りながらも、転生してから玉のように丸くなった俺のハートをザクザク切り刻む言葉の暴力を羨ましがるな!
そこまで異性との関わり合いに飢えているとは。
さては休日中に失恋記録を──────大幅に更新していそうだな。
このことは聞かないでおいてやろう。
同じ男としての情けだ。
などと、俺の中で男の友情を一方的に深めていると再び声が響いた。
「ほれ、手を動かさんか」
くそ、ロリババアめ。
そもそも、お前が仕事をさぼったのが原因だろうが!
本来は、まだ続くハズだった休み。
だが、王都周辺に住む生徒たちが強制的に集められることになった。
ロリババアのさぼった仕事を埋め合わせるためにな!
集められた生徒たちは、成績評価の便宜を計るという対価をチラつかされ、藁を編むという労働を強いられている。
今のところ優秀な美少年と評判な俺ではあるが、自分の頭の性能はそれなりに把握しているつもりだ。
いずれ起こるかもしれない不穏な可能性を考えると、この誘いに乗らざる得なかったのが悔しい。
ちなみに藁で編んでいるのは、四本足の動物。
犬であろうが猫であろうが問題はなく、とにかく四本足でありさえすればいい。
生贄の代わりとして用意された魔導具の一種────という設定のイベント道具だ。
近々、騎士学校祭などという安っぽい名前のイベントがあり、そこで燃やされる運命にある。
しかも学校祭開始直後に。
なら、下に藁を敷きつめて上に形代を置いておくだけでもいいと思うのだが、イザベラが歳寄りなせいなのだろう。
こういった様式美には徹底的にこだわる傾向にある。
昔からそうだったが、歳をとって更に酷くなったのではないのだろうか。
俺のようにもっと柔軟な頭をもって欲しい物だ。
考えながらも手を動かしながら、隣に座るマルテが作った形代を見る。
器用な物だな。
中々のスピードで仕上げている。
家で俺の藁人形を作って、五寸釘を打ちまくっているのだろうか?
「ふぅ」
溜め息が漏れる。
足元に積み上げられた藁も大分少なくなっていることもあり、心に余裕が生まれたのかもしれない。
今回、形代を作るハメになった経緯をいつの間にか思い出していた。
悲劇は終業式の翌日に起こった。
休み前に溜まりまくった仕事をしていたイザベラ。
ヤツは仕事のしすぎで頭のネジを数本吹き飛ばして現実逃避の旅に出やがった。
だが、アイツは無駄に優秀だ。
その事もあり他の教職員へと上手に仕事を押し付けた。
この部分は幸いだったと言えるだろう──教職員には気の毒だが。
問題となるのはその後だ。
仕事を押し付けられた事務員の1人が、忙しさのあまり現実逃避の旅に出てしまった。
イザベラ同様の現実逃避であったが、こっちは無駄な優秀さはもっていない。
よってコイツの担当業務に色々と穴が空いたわけで、その結果がこの労働だ。
ちなみにソイツは、2度と現実逃避の旅に出られない場所へと配置換えになったらしい。
「お、終わった」
疲れ果てたような声が聞こえた。
すると、アイツの声を聞いた女子たちが、作業のペースを上げた。
やはりラゼルは人気だな。
これから休憩に入るのだろうが、作業を終わらせた女子に囲まれて余計に疲れるがいい。
それからマグニール。
呪い殺せそうな視線を向けるのは止めておけ。
ラゼルのファンに闇打ちされるぞ。
お前なら闇打ちだろうと、女子と関わりあえる事を喜びそうだが。
そんなマグニールを横目に、作業の手を緩めない俺の労働も終わりを迎えた。
あー、肩と腰が痛い。
「「終わ」」りました」った」
「「はっ?」」
終わりの合図を出すと、聞き覚えのある声と重なった。
思わずそちらを見ると──最悪だ。
俺に対してジト目が標準装備のマルテ様だった。
「まさか牛ガエルさんと同じタイミングだなんて。せっかくの解放感が台無しになりました」
どうやらマルテの中で、俺の今日一日の呼び名は牛ガエルに固定されたようだ。
それはそうとマグニールよ。
ラゼルに向けていた視線を俺に向けるのはやめてくれ。
俺の呪い耐性を貫通しそうで怖いぞ。
*
ノルマを終えると、少し遅めの昼食を用意してあるという食堂へと来た。
「いやー、終わったのう。終わったのう」
食堂へと入ると、ムカつくほど爽やかな笑顔をしたイザベラがいた。
イザベラ信者(イザベラちゃんと呼ぶヤツら)は、ロリババアの笑顔に引きづられるように口元を緩めている。
この中で、ヤツの笑顔に”イラッ”としているのは俺ぐらいか。
マルテのは、俺に対しての”イラッ”だろうし。
まぁ、それは別にいい。
マルテの”イラッ”には慣れた。
視線を目の前のテーブルに向ける。
どこで間違えてしまったのだろう?
間違えたのは俺ではなくイザベラだと思いたい。
だが、他人であり続ける事は出来ない。
今や当事者なのだから。
「これって……」
唖然とした表情をしたイリア。
彼女の視線の先にもソレがある。
俺が目を向けているソレと同じ物が。
俺達は遅い昼食を食べに来たハズだ。
それなのに──。
「むっふっふっふ。始めてみる者も多いようじゃのう。それはお汁粉という食べ物じゃ。遠慮せずに食すといい」
なぜ、昼食が汁粉なんだ。
確かに餅は腹にたまるかもしれんが、どちらかというとデザート扱いするべき物ではなかろうか?
和食? を宣伝してくれるのはありがたいのだがな。
汁粉を知っているイリアやラゼルは、昼食扱いしているお前に少し引いているぞ。
それに他の生徒だって一口食ったヤツは、『これが昼飯っておかしくね?』みたいな顔をしているのだが。
だがイザベラに生徒の疑問は届かない。
校長という天上の立場にいるのだ。
俺ら下々の疑問など些細な事なのだろう。
それでも俺は疑問をヤツに向けざる得ない。
美味しそうに汁粉を食べるヤツを見ていると考えてしまうのだ。
自分が食いたいからって、汁粉を昼食にしたのでは、と。
ヤツの顔をジッと見てみる。
なんとも美味しそうに、汁粉を食べている。
餅を喉に詰まらせないか心配になるほどの量を口の中に放り込みながら。
見た目はロリだが、もういい歳をしているんだ。
喉に詰まらせないか心配になってくる。
そんな危険になど、全く気付いていないのだろう。
この世のありとあらゆる幸福を独り占めしたかのような満面の笑みで食いまくっている。
まさしく、邪念を一切感じさせない笑み。
ふっ、俺とした事が野暮だったな。
あれほど喜んでいるのなら、喉に詰まらせても本望だろう。
せいぜい喉に詰まらせたあかつきには、背中を盛大に叩いてやるとするか。
だが、その笑顔に俺は騙されたわけではないぞ。
あのような笑みを浮かべるヤツが白のハズがない。
間違いなく黒だが見逃してやる。
下手に驚かせて、餅を喉に詰まらせたら後味が悪すぎるからな。
校長の不正を見逃そうと心に決めた俺は、気を取り直して周囲を見回す。
せっかく偉大なる和に触れた者たちが、どのような反応を示すのかを観察できる機会なのだ。
この機会を逃すわけにはいかない。
やはり箸を使っていないせいか、餅を食べづらそうな生徒が多い。
フォークで突き刺しても、餅が柔らかくて持ち上げる前に逃走してしまう。
スメラギ領で見つけて和の楽園の街に持ち込んだのだが、食べやすさについては調べなかったからな。
正式に売る時には、餅を少し小さくした方がよさそうだ。
それか、栗ぜんざいや白玉ぜんざいを軸にして売るのも手か。
この辺りは、ケット・シーが考えてくれるだろう。
難しい事は考えたくはない。
また知恵熱が出るだろうからな。
あ~、汁粉が甘い。
*
そういえば、最近は和の楽園に行っていなかったな。
温泉好きの人魚どもが、温泉に入り浸って煮魚になっていなければいいが。
また、校長へのワイロ(和菓子)も用意する必要もある。
学校が始まる前に、顔を見せた方がいいかもしれん。
それと騎士学校祭での出店の準備も行わねばならない。
騎士学校祭で、生徒は店を出せる。
だが実際の所は、生徒を通して自領の特産品を宣伝する。
そんな目的を隠そうともしない、少し黒めの店ばかりだ。
おかげで店を切り盛りするのはプロたちばかり。
もちろん俺は、和の楽園系統の店を出す予定だ。
俺一人では、周りが不安しか感じないだろう。
だが、ケット・シーたちが黒い笑顔で応援してくれていたからな。
サポート体制はバッチリだから大丈夫なハズだ。
きっと、学校祭でも黒い権力を存分に振るってくれるだろう。
主に密室的などこかで。
考えてみれば、俺もケット・シーの黒さに慣れてきた気がする。
色々と手を貸してもらっているから文句はないが。
だが、思うんだ。
俺の目的は平穏な人生。
そのために勇者ギルドを作ろうと、ケット・シーに接触したのだが。
アイツらの世界への影響力がとんでもない事になっている気がする。
主に黒い金(スバルの遺産)を使った分野で。
ヤツら、実は世界を裏から牛耳る秘密結社なんかを作っているんじゃないか?
ありえない話ではないが、別に作っても問題はないだろう。
商売はキッチリと行うのがケット・シーという種族だ。
一方的に搾取するような事はないと思う。
それに下手に手を出せば、ケット・シーの闇に引きずり込まれかねない。
こういう事は気付いていないフリをするのが一番だ。
そう言えば、猫で思い出したのだが。
コーネリアに使い魔を作ってやるっていって完全に忘れていた。
怒っていないよな?
不安になった俺の脳内をよぎったのは妹の眩い笑顔。
その笑顔は眩いだけでなく透明感があり、まるで氷の刃を心に付き刺されたかのような────あっ、これは怒っている時の笑い方だ。
笑顔のまま寒気を感じさせる稀有な特技は魔王の素質ゆえか。
もしそうなら、魔王業をするにしても素質は十分だろう。
将来が心配にはなるが。
それはともかく、言い訳を考えておこう。




