俺は人魚をお持ち帰りした 『待ってえぇぇぇーーーー!』
マグマのようにボコボコしていた温泉に人魚が入っていた。
俺の投げた畜水の宝珠が、見事に人魚の頭をかち割ったのだが──こいつをどうしようか?
「………………」
「………………」
無言で向かい合う俺たち。
人魚は、温泉に入っていたためもちろんトップレス。
子どもの俺には刺激の強い姿を見せられる結果になったが、今はブラっぽい物を付けている。
「じゃあ、俺は帰るから」
「ちょっと、待って下さい。私を1人にしないで!」
大精霊が治める聖域に、許可もなく侵入すれば殺されることもある。
そんなわけで、下手に助けて炎の大精霊に嫌われるのは避けたいからな。
俺は帰らせてもらおう。
「諦めて炎の大精霊に焼かれて来い」
「嫌ですよ。丸焼きになんてなりたくありませんよー」
こいつは大精霊の聖域へと不法に侵入したんだ。
丸焼にはならないだろうが、少し焦げ目程度は付けられることだろう。
「諦めろ、命までは取られないと思うから」
「それって、身の危険はあるっていうことですよね! ちょっと目を逸らさないで下さい!」
本当にミディアムレアぐらいの焼き加減で済むと思うんだ。
だから諦めて欲しい。
「軽く焙られるだけだと思うから多分大丈夫だ」
「大丈夫じゃありませんから、ね! 何でもしますから助けて下さい」
面倒な人魚だな。
さっきからずっとこの調子だ。
「そもそも何で、この聖域にいたんだよ」
「ここの温泉に惹かれて……」
「何で、こんな温泉を楽しめるんだ。あの温度は人間が入ったら大火傷だぞ!」
「人魚は水魔法が得意ですから、自分の周りに温度を下げる膜ぐらい作れます」
ドヤ顔でそんなことを言う人魚。
労力をかける部分を間違っていることに、気付いていないんじゃないかコイツ?
「わざわざ温度を下げるんなら、他の温泉を探せよ」
「いやいや旦那。ここの温泉は成分が良質な上に、炎の聖域の魔力もタップリ含まれているので穴場なんでっせ」
「キャラクターをいきなり変えないでくれ」
見かけが20歳ほどの女性に、いきなりキャラクターを変えられると反応に困るものだな。話すにつれて、この人魚から漂う面倒くさい臭いが強くなってきている気がする。
「そうですか、ギャップ萌えを狙ったのですが他の方法で頑張ってみます」
「なんでギャップ萌えなんていう言葉を知っているんだよ!」
「へー」
「? …………!!!」
ヤバ。思わず突っ込みを入れてしまったが、今のセリフにツッ込みを入れられるのは、日本文化を知っているヤツだけだった。
「あちらの世界を知っているということは、お兄さんは勇者さんですか」
「それはない。平穏を愛する一般市民だ」
「へーーー。隠すんですか。隠さなきゃいけないことなんですか。へーーー」
なんか人魚の目がイラっとする。
したり顔っていうか、細められた目に何とも言えない苛立ちが。
ついでにコイツが美人なせいで、そういう対応されて少し嬉しいと思っている自分にもイラっとする。
「バラされたくなければ……」
「勝手にバラせばいいさ」
「へっ?」
考えてみれば、こいつにバラされても全く困らないな。
何せコイツは──
「お前は俺の名前を知らないから、噂を広げられても俺だと特定されないだろ」
「はうあっ!!」
フッ、痛恨の一撃が決まったな。
したり顔ではなく、今は驚愕の表情。
考えが顔に良く出るヤツだな。
青いヤツめ──あれ、俺に似ていないか?
顔に出やすい所とか。
ひょっとして、コイツにイラっとしていたのは同族嫌悪とか。
まさかな。
『スバルよ、そ奴を引き取ってかえってもらえんか?』
炎の大精霊の言葉が、辺りに響いた。
「ふっふっふ。スバルさんね……あなたはスバルさんっていうんですね」
おいっ、炎の大精霊!
空気を読むということをお前は知らんのか。
しかもよりにもよってスバルの名前で呼んだんだ。
下手をしたら、面倒な事に──ならないか。
すでに前世のスバルだった俺は130年前の人物だ。
大勇者スバルが生きているなんて、誰も思わないだろう。
今の俺はクレスという名前なんだし、この人魚なら勘違いしたままスバルという名前で噂を広げそうだ。
それなら俺に噂が結びつくハズが無い。
炎の大精霊。
空気が読めないなんて思って済まなかった。
お前は素晴らしく空気が読めるヤツだったよ。
「スバルく~ん。お姉さん困っちゃっているから助けて欲しいなーー」
「断る」
これで色気を出しているつもりか?
色気の方向が、おかしな場所に向かっている気がする。
いや、人魚と人間のカルチャーギャップ故の違いだろうか。
新しいことを知って、少し俺もお利口になったかもしれないな。
「えっ、ほらスバル君の秘密をバラしちゃうから、お姉さんを助けてくれないかなーーって思うんだけど……どうかな?」
「断る」
別にスバルという名前が広がっても問題はない。
今の俺はクレスなんだからな。
「ほらほら。お姉さん胸が大きいよ。助けてくれるんなら、少しなら触らせてあげるよ」
「そういうことは、もう少し大人になってからしますので遠慮させて頂きます。それでは失礼します」
よしっ、帰ろう。
人魚は炎の大精霊にお仕置きでも何でもしてもらえばいい。
「待ってえぇぇぇーーーー!」
「抱きつくな!」
その場を去ろうとした俺に、背後から抱きつく人魚。
下半身がヒレなのに何ていう機動力なんだ。
「焼き魚になるなんて嫌あぁぁぁ!」
「少しヒレが焦げるだけだろうから安心しろ!」
「安心なんて無理いぃぃぃっ! 無理だからああぁぁぁっ!」
鼻水や涙で顔が凄いことになっている。
おい、俺の服で顔を拭くんじゃない。
ちょっ、マジでやめろ。
洗うの大変なんだから。
『スバルよ。うるさい』
「俺のせいじゃないだろ! 早くこいつを焼き人魚にするなりして何とかしろ!」
「いやああぁぁぁ。もう焼き人魚になんてなりたくないぃぃぃぃ!」
”もう”焼き人魚になりたくない?
焼き人魚になった経験があると?
『はぁー、止むを得んか……そこの人魚よ』
「ひぃっ!」
『お前への処分を言い渡す』
「う、ぅぅぅ」
さっきまで騒いでいた人魚は、大人しく正座をしている──ヒレの下半身で。
器用なヤツだ。
『今回で3回目の聖域への侵入だ。反省なきその行為、罪は重いぞ』
「は、はい」
今回で3回目ということは常習犯か。
実際には、もっとやっているのではないか?
焼き人魚になったのって、前回のの罰とかだろうな、多分。
『だが、今回はそこにいるスバルによってお前は怪我を負っておる。今回の怪我を罰の一部とするが、反省なき態度は目に余る』
「うぅ、すみません」
見かけは20歳なのに、今の人魚は子どもにしか見えない。
鼻水をすすりながら、反省しているようにも見えるが3回目とかは酷すぎる。
生半可な罰では、更生は不可能だろう。
『前回、前々回は我が眷族が発見した。だが今回は既にスバルによって、お前は致命的な怪我を負っていたため、俺はそれを罰の一部とした。だがすでに3回の聖域への許可なき侵入だ。その点を見る限り、スバルによる怪我のみでは罰として生温い。しかし、すでに第三者が罰を執行しているため、俺が手を下せば罪に合わない過剰な罰となるだろう。よって現状で罰として足りていない分は、スバルが追加で下す罰で補うとする、よいな』
「はい」
「……はっ?」
なんで俺が罰を与える流れになっているんだ。
炎の大精霊よ、こんなことで手を汚したくはないんだが。
『スバルよ。これまでは我が眷族が見つけたが故にこの者へと罰を与えてきた。だが今回に限ってはお前に全権を委ねよう。二度とこの場に無断で入らぬように厳罰を与えるようにせよ』
「お前……押しつけやがったな」
これまで眷族が見つけたから、罰を与えたと言った。
それは、別の見方をすれば眷族が見つけなければ、罰を与えなかったっていうことだ。
炎の大精霊の聖域であるここなら、この場所の全部を見通せるのだから、人魚を眷族よりも早くに発見しているハズだ。
ようするにだ。
眷族の手前上、人魚に罰を与えなければならなかっただけということか?
だが3回目の今回。
炎の大精霊が罰を与えるとしたら、厳罰になるだろう。
そうしなければ眷族に示しが付かないだろうし。
そこで俺を利用して、罰を軽くしようと思っているとか──。
「貸し一つにしておくぞ」
『いいだろう。このような不本意な形ではあるが、外部の者に手間をかけさせるのだいずれ手を貸そう』
貸しを認めたということは、そういうことなんだろうな。
まあ、大精霊に貸しを作れたんだ。
利用されてやるか。
「お前には、そうだな」
「………………」
涙ぐんだ目で、こっちを真剣に見ている。
やめろよ。変な性癖に目覚めそうだ。
「温泉施設でタダ働きでもしてもらおうか」
「……いいの?」
「人魚は、特別な魔法を使えば人間と同じ足になるんだよな」
「は、はい」
「施設は広くて、掃除なんか以外にもやることは山ほどある。それをタダ働きなんだ、すぐに嫌になるぞ」
「だいじょうぶでふ。がんばります」
涙ぐみながら噛んだ。
緊張が解けて、涙腺なんかも緩んだのだろう。
涙や鼻水が再び凄いことになっている。
『ずいぶん甘い罰になったが……お前に罰を委ねたのは俺だ。よしとするか』
よく言うよ。
声に威厳が無くなっているぞ。
こうして俺は和の楽園で働く人魚を無料で雇うことに成功した。
雇ったのは、かなりバカな人魚。
だが大精霊の聖域に不法侵入を繰り返す、肝の座ったバカ人魚だ。
そう言えば、どうやってコイツは聖域に入りこんだのだろう?
俺のように許可を得ているのなら問題なく入れる。
だが許可がない場合は、結界によって普通は入れないはずなんだが。
今度聞いてみるか。
*
人魚を雇ってから月日が経ち、俺は騎士学校に入った。
和の楽園は大きいため、現在は建物の1部ができているのみだ。
人魚が働く温泉フロアは、全てとは言わないが完成している。
「「お帰りなさいませご主人さま」」
「なんで、そんな挨拶なんだよ」
和の楽園に、勘違いした人魚の声が響いた。
しかも1人ではなく、9人の声がだ。
お持ち帰りした人魚がだな、なぜか他の人魚を連れてきたんだ。
タダ働きだけど、温泉入りたい放題という名目で。
なんで、タダ働きでこんなに集まるんだよ。
人魚の価値観が分からない。
「お帰りなさいませ旦那さま」
「その挨拶から離れてくれ。変な目で見られるから」
俺はいつものメンバーを、和の楽園に誘った。
暇人の集団である彼らは当然やってきたのだが、後ろから突き刺さる視線が痛い。
その冷たい視線なんだが、このお出迎えの挨拶だけが原因ではない。
むしろ挨拶以外の部分が問題なんだ。
「用意した着物はどうした?」
「着ているじゃありませんか」
確かに着物を人魚たちは着ている。
和の楽園なのだから、着物は必須だからな。
でも違うんだ。
彼女たちが来ているのは──
「俺の記憶が正しければ、そこまで短くなかったんだが」
「切りました」
「勝手に切るな!」
「温泉に入る時に素早く脱いで、温泉から出る時に素早く着れるようにするためです!」
などとドヤ顔で語る人魚。
それ、膝上何センチだ。
ちょっと嬉しいが、和の楽園の風紀を乱すんじゃねぇよ。
「お前ら、新しく用意するからそれを着てくれ。間違っても着物を勝手に改造するなよ」
「「えぇー」」
一斉に嫌そうな声を上げられた。
そこまで、温泉に入るのに着物を脱いだり着たりするのが面倒なのかよ。
最近の人魚は、温泉に入ることしか頭の中に無いんじゃないのか?
「帯とか着やすいヤツを用意するから、絶対に加工するな」
「本当に面倒なんですよー」
「炎の大精霊に突きだすぞ」
「ぅぐっ。冗談ですよね」
「冗談だと思うのなら、好きな服装をしてみるといい」
顔が青褪めている
あの件は、相当に応えていたようだな。
だが油断はできない。
こいつからは、俺とは違うタイプのバカの臭いがするからな。
などと考えていると、恭しく膝を突くと三つの指をついて丁寧にお辞儀をした。
「ご主人さま、本日もお越しいただきありがとうございました。精一杯ご奉仕させて頂きますので、ごゆるりとお過ごしください」
ご主人さまとか行っている点はマイナスだが、その仕草だけを見れば和と言えるだろう。
きっと服装の話をうやむやにしようと、丁寧に挨拶を行ったのだろうが。
だが、俺はこんなの教えていないのだが、どこで覚えてきたのだろうか?
悔しいことに、この人魚の策略は成功しかけた。
色々と考えたせいで、記憶領域が少ない俺の脳は服装のことを忘れかけたんだ。
しかし人魚が立ち上がったとき、見えてはいけない物が見えて俺はブチ切れかけることになる。
「それでは、お部屋にご案内します」
「待てや」
久しぶりだ。
ここまで怒ったのは。
湧きあがる怒りを押さえるのに必死で、呼吸が乱れている。
落ち付け、俺。
しばらく呼吸を整えた後、精一杯の笑顔で俺の見た物について訊ねた。
「お前、ちゃんと下着を履いているのか?」
「えーと、温泉に入るのに邪魔ですから」
などと笑顔で返してきやがった。
人魚よ。和の楽園はな、いかがわしい店じゃないんだ。
もっと健全な、なんちゃって日本の文化を集めた場所なんだよ。
分かっていないのか?
少し教育が必要なのか?
「炎の大精霊に突きだされるのと、スメラギ領の温泉宿で研修受けるとのどっちがいい?」
「えっ」
「それとも、俺に人魚焼きにされたいか?」
「え、えーと」
人魚は、他の人魚たちに視線を向ける。
意見を求めているのか、それとも助けを求めているのかは俺にも分からない。
だが分かっていることが1つある。
それは他の人魚たちは、目を逸らしてコイツを見捨てたということだ。
絆というのは儚い物だな。
「どれがいい?」
「……研修でお願いします」
「そうか。とびっきり厳しく教えてくれる所を手配しておくよ」
「……はい」
観念したのか、それ以上のことは言わなかった。
項垂れる姿は様になっており、こいつはそういうポジションに立つ星の元に生まれたのだろうと俺は確信した。
これで和の楽園の服装問題は解決した。
さて、じゃあ温泉を楽しむとしようか。
俺は気分を一新して、笑顔で振り返った。
そこには──
「……クレス」
イリアが悲しそうな目で俺を見ていた。
なんで、そんな目をされるんだ?
「……お兄ちゃん」
コーネリア。
なんでお前まで悲しそうな目を!
「……あなたっていう人は」
シルヴィア、お前もか!
「何ででそんな目で俺を見るんだよ!」
「分からないの?」
「ああ、分からない」
「はぁ……耳を貸しなさい」
なんで、そんなに悲しそうな目で見られねばならないんだ。
素直にシルヴィアに聞くことにした。
「その年で女を囲う場所を作れば、身内は誰でも悲しむわよ」
「ち、違うぞ! こいつらは従業員だ」
「あんな服装をさせて、あとは……その……下着をつけさせずにご主人さまなんて呼ばせれば女を囲っているか、変なお店を開いたとしか思えないわよ」
「なに! ……本当に違うからな!!」
「前世は、そういう所はしっかりしていたのにね」
そう言うとシルヴィアは、世を儚らむかのように遠くを見た。
なに、その仕草。ムチャクチャ罪悪感を感じるのだが。
今度、誰かに試してみよう。
「いいよ無理をしなくて。お兄ちゃんも男の子なんだから」
「こういう時にだけ、物分かりの言い妹にならないでくれ。本当に違うからな!」
儚く微笑むコーネリアに、なぜか俺は言いようのない恐怖を感じた。
お前、俺をイジめる為に、わざとやっているとかは──ないよな?
「そう……ですよね。クレスも男の方なんですから」
「本当に違うからな! イリアも納得しないでくれ」
イリアは本気で勘違いしている。
もし演技だったら、俺の中の何かが壊れると思う。
「ふっ」
「なんだよ、その親指は」
ガリウスは俺の肩に手を置くと、ニヒルな笑みを浮かべながら親指を立てた。
漢として俺を認めたような顔をするのはやめてくれないか?
本当にそんなことはないんだから。
「………………」
「………………」
ラゼルとセレグは、顔を赤くして俺を見ている。
なんだ? その”友達が大人の階段を上っちゃった”っていう表情は。
そんなことないからな、絶対に。
この後、誤解を解くのに2時間を有した。
コーネリアやシルヴィアは、途中から面白い物を見るような目で見ていた。
あの純粋だった頃の妹は、もういないのかもしれない。
説得後、疲れ果てた俺は、人魚の研修先は徹底的に厳しい所にしようと心に誓った。




