俺は魔窟から逃げた 『先生、それは脅し……』
クレスの状況
チート使用:なし
勇者の素質:封印中
その他:手加減中
剣が衝突するたびに、手には衝撃が走り、衝撃は痺れを残して消える。
だが何回も何十回も剣がぶつかり合うと、手に走る痺れには慣れていくものだ。
「上だ!」
戦いに生きる者なら、手に走る衝撃も痺れも、消えることが名残惜しく感じるだろう。それらは己が戦いの中にいることを教えてくれる喜びなのだから。
「くっ」
しかし俺には戦いの中にいることを教えてくれる相棒など必要はない。
俺が求めるのは平穏なのだから──。
*
「張り切っていますね」
「ありゃあ、張り切りすぎだろ」
グランドで剣の授業を受ける生徒たち。
2クラスが集まり行われるその授業は、1度に100人ほどの人数で行われる。
「やはり、イリア君は優秀ですねえ」
「そうだな。だが、戦っているのはクレストと言ったか? イリアと打ち合えるとはな……」
「クレスト君はイリア君に合わせているみたいですが」
「少し上ていどにな。本気でやったら、どんくれえか気になるな」
アゴに手を当てながら、感心しながらイリアについて語る若い男性教師。
彼に対し、白髪混じりの黒髪をした男が答えた。
「そうですね……」
「心配するな。まだお前の方が強い」
「”まだ”ってなんですか! ……言いたいことは分かりますが」
「…………」
「…………」
白髪混じりの男は、若い教師を励ましたつもりだったのだろう。
しかし本心が僅かに漏れたことで、微妙な空気となってしまった。
「……シグリッド先生も弟弟子に抜かれたじゃないですか」
「あいつが特別すぎたんだよ!」
昔の傷を抉られて、嫌なことを思い出したシグリッド。
ブーメランが帰ってきて、後頭部に直撃したような気分だった。
「ま、才能ある生徒の恩師になるチャンスだと思えばいいんじゃねえか」
「気楽ですね。……ですが、その通りですね。そう思っていなければやっていられませんし」
「後ろ向きなのに前向きだな」
”後ろ向きなのに前向き”──それを世間では開き直ったという。
「おっ、勝負は着いたみたいだな」
クレスとイリアの戦いがようやく終わったようだ。
立ち位置が激しく入れ替わり、鋭い斬撃が止めどなく放たれ続けたその戦いに、周囲の生徒たちはドン引きしていた。
「しかし、女の子相手に、あそこまで容赦しないとは」
「まったく、あいつの親は、どんな教育してんだ?」
試合の終わりに、イリアは自らの剣を盾にして、クレスの剣を防いだ。
しかし剣の勢いを殺しきれずに体ごと後ろへと飛ばされ転倒する。そこへ彼女の耳元へ鋭い突きを入れる形で戦いは終わった。
もちろん剣が触れることはなかったが、異性への配慮が皆無の攻撃と言える。
「あいつには、後で注意しておかんとな」
シグリッドは頭を掻きながら前へと歩く。
体捌きは見事なもので、体の軸に全く乱れがない。
「集まれ!」
生徒たちを集める。
そして、気だるそうな口調で話し始めた。
*
「集まれ!」
教師の言葉に、生徒たちが一斉に集まる。
俺たちの剣を見ている教師は全員で4人。
その中でも、この白髪混じりのシグリッド先生が一番偉い。
俺が入学試験を受けたとき、全く隙がなかったからな。
たぶん、学校内ではかなり強いのだろう。
「お前らの実力は、最近の模擬戦を見て大体分かった。それぞれの実力を参考に、次回からは基礎を教えるヤツと、実戦を教えるヤツとに分ける」
シグリッド先生の言葉に生徒がざわつく。
普通の授業だと思っていたのに、いつの間にかテストされていたようなものだ。授業だからと手を抜いていたヤツは悔しいだろう。
いつだって俺は実戦を想定している。
だから常に容赦なくやっているからな。後悔などあるはずがない。
「静かに。基礎と実戦の組に分けるが、お前らの成長を見ながら組みは定期的に入れ替える。それに勘違いしないで欲しいのは、強いヤツが実戦の組に入るのではない点だ。基礎が出来ているかどうかで決めさせてもらう」
「よろしいでしょうか」
「うん? なんだ」
生徒の一人が手を挙げた。
あいつは確か──誰だっけ?
「進路に合わせて、基礎と実戦のどちらを受けるか決めさせて頂くことではできないのでしょうか?」
「そいつ次第といった所だな。当然、基礎が出来ていなけりゃあ実戦組に入れるわけにはいかねえ。まあ、これは分かるよな」
「はい」
「基礎がほぼ完全にできている場合は、実戦組で経験を積んだ方が身を守る役に立つだろう。それに無手や槍なんてのも実戦組でなら学ぶことが許可される。このことを考えりゃあ、実戦組に入った方が得だろうがな。その辺は1人1人、個別に話し合うことにしよう。これでいいか?」
「はい、ありがとうございます」
「ああ」
結局、質問した生徒の名前を思い出せないまま、話は終わった。
なんとなく一緒のクラスだった気もするのだがな。
まあ、いいや。
「これで、今日の授業は終わりだが……クレスト、お前は放課後に職員室に来い」
「なに!」
「”なに!”じゃねえ。授業で顔のスレスレの所に突きを入れたり、危ねえ事ばかりやってんじゃねえよ。しかも相手は女なんだぞ」
「……傷ついても回復魔法で」
「そういう問題じゃねえだろうが。いいから来い、お前には反省文を書かせる」
「げっ」
周りでクスクスと笑うヤツらが──。
ムチャクチャ恥ずかしいぞ。
「イリア、お前もだ」
「わ、私もですか」
「お前は、クレストに恨みでもあるのか。いつもと違って全く容赦がなかったじゃねえか。あんな剣を普通の生徒に向けたら大ケガするぞ」
確かにイリアは、普段の訓練と同じノリで剣を振っていた。
剣は俺が教えて、ガリウスのヤツは暗殺術を教えたり──手加減なしで戦えば、効率的に人を殺すための剣にしかならないよな。
「あと、ラゼル、ブリット。お前らもだからな」
「えっ」「なんで」
「ラゼルは、剣の授業なのに無手の技ばかり使っていただろ。ブリット、お前はムチャクチャすぎる」
「わたしだけ、具体的じゃないんだけど!」
「具体的に教えて欲しけりゃ放課後に職員室に来い。たっぷり時間をかけて教えてやる」
「うぅ」
よかった、仲間がいた。
しかし俺とイリアとラゼルがセットで呼び出されるとは。
きっと、ガリウス考案の訓練に慣れすぎたせいだろう。
全て常識外の存在であるガリウスが悪いんだ。
俺は悪くない──たぶん。
*
太陽が夕日へと表情を変えかけた時間帯。
放課後になり、教室に残っている生徒たちもまばらになっている。
「まさか、呼び出しを食らうことになるとは」
「何でこんなことになったんだろうな」
「私は初めてです」
「何がいけなかったのよ~」
「俺は関係ないだろ」
ため息を吐きながら、教室の一角に固まっている俺たち。
そこには、異分子が2人ほど混ざっていた。
「お前らのクラスは、ココじゃないだろ」
「呼び出され仲間なんだから、いいじゃない」
別のクラスに在籍中のブリットが、いつの間にか俺のクラスに紛れこんでいる。
ついでにフェルも一緒に来た。もちろんブリットに連行される形で──。
「逃がしてやったらどうだ?」
「仲間は多い方が安心でしょ」
ラゼルの優しい言葉に、ブリットは反論する。
2人はそれほど話したことはないハズだが、ブリットの物怖じしない性格のせいだろう。普通に会話が成立している。
「連れて行ったら、書かされる反省文の量が増えそうなんだが」
「うっ、仕方ないわね」
すごく嫌そうな顔をしたブリットは、渋々という感じでフェルを見た。
「じゃあ、俺は帰らせて……」
「フェルは、私たちの帰りをここで待っていてね」
どうやら、手放す気はないようだ。
それに、完全に上下関係ができあがっている。
二度と2人の関係がひっくり返ることはないだろう。
「なんで、他所のクラスで待っていなければいけないんだよ」
「冗談よ。本当は、反省文って何を書かされるのか聞きたかったの。フェルは少し前に反省文を書いたでしょ」
「……そういうことなら、最初に言えよ」
「フェルの反応って面白いから、つい……ね」
ブリットは目を逸らしながら、フェルの抗議に応えた。
だがその顔は、反省など微塵もしていないヤツの顔だ。
「はぁ、まあいいや。俺は反省文を書かなかった。その代わり先生の手伝いをした」
「裏取引でもしたの?」
「そんなことしねえよ。学校の伝統みたいなものらしいんだが、反省文を免除する代わりに、先生の手伝いをすることが選べるみたいなんだ。騎士学校で教師やるには試験に受からないといけないんだが、その試験が厳し過ぎて、万年人手不足なのが原因だって言っていた」
厳し過ぎる教員試験──絶対、イザベラのせいだな。
前世を思い返すと、他人に高すぎる理想を求めていた。きっと頭部の毛根に優しくない試験を実施しているに違いない。
「で、アンタは何をやったの?」
「歴史の資料室の整理」
「それなら、反省文よりもいいかもね」
「今なら反省文を選ぶ」
心底嫌だ! フェルは、表情でそう訴えている。
「どうしてだ?」
「変な標本とか、禍々しい魔導具とか、勝手に動く目玉が……もう、あの部屋には入りたくない!」
「落ち付け」
フェルのトラウマに触れてしまったようだ。
とりあえず彼をなだめておいた(ラゼルが)
「じゃあ、俺たちは授業の道具を整理すると、いうところか」
「そうかもしれませんね」
授業で使う道具の整理か。
4人でやれば、早く片付くのではないだろうか。
(何か見落としている気が?)
確かに4人であれば、道具整理は早く終わるだろう。
しかし何か肝心なことを見落としている気も──。
しばらく悩んでも出なかったその答えは、イリアの疑問で解けることになる。
「クレス達が学校に入ってから、剣術の授業で反省文を求められた方はいましたっけ?」
「……いないよな」
イリアの言葉で、嫌な予感がした。
謀略に嵌められかけているような、そんな不気味な予感だ。
「人手が欲しくてとか?」
「「「…………」」」
俺とイリアは、今日の授業で始めて組んだ。
しかし、少し前にラゼルと組んだときは、俺も同じ調子で戦い、ラゼルも体術を繰り出しまくっていた。
だが、反省文など書かされなかった──人手が欲しいがために、反省文を書くヤツが増えるのを待っていたとか?
わざわざ、人が集まるまで反省文を書かせるのを遅らせる。
それって、人手が必要な面倒な作業を行わせるためではないのだろうか?
(嫌な予感しかしない)
俺が横を見ると、最初にラゼル、次にイリア、最後にブリットと目が合う。
この瞬間、俺たちはお互いの想いを目だけで感じ取れた。
人の心とは、これほど簡単に通じ合えるものなのか。
想いが通じ合った俺たちは、同じ答えを導き出していた。
「反省文を選ぼうか」
「それが良さそうだな」
*
時間となり移動した俺たちは職員室にいる。
教師たちは多くが残っており、机の前で何かを書いているようだ。
「お前ら、反省文の代わりに……」
「いえ、反省文を書かせて頂きます」
「反省文よりも身体を動かした方がいいぞ」
「絶対、反省文でお願いします」
シグリッド先生との押し問答が、職員室内に響く。
ここまで準備室の掃除をやらせたいということは、イリアの推測が当たったということだろう。
「お前ら、補習したいのか?」
「先生、それは脅し……」
半ば脅しじみた言葉に、ブリットは抗議の声を挙げた。
俺も同じ気持ちだ。
「はぁ……分かった、反省文でいい。その代わり、魔窟掃除を頼もうとしたことは誰にも言うなよ」
「魔窟?」
「第三体育準備室を上級生や教師は、そう呼んでいるんだ。理由は……分かるよな」
「臭いですね」
「そうだ」
魔窟、その意味は悪魔の住んでいる場所や魔境。もしくは、悪人が集まる場所。
だが、今回の魔窟は、汗や汚れがついた防具を放りこんで生まれたのだろう。
時間が経つことで生じた、瘴気のごとき臭いが名前の由来だろう。
悪人や悪魔が逃げ出すほどのな──。
「自分の使った防具は、自分で洗うって校則で決めませんか?」
「それは無理だな。昔、校則にしたことがあったが授業が出来る時間が減るやら、次の授業を受け持つ教師から遅刻者が多いと苦情がくるやらで散々だったんだ」
顔は笑っているが、本当に嫌なことを思い出すかのような目をしている。
たぶん、話した以上のことがあったのだろう。
「業者に任せるわけには?」
「金がな……」
世知辛すぎる理由だな。
数年前にケット・シーを通して校舎の建て替え費用が回した。
その金は、すでにないだろう。
しかし、それからも寄付金を毎年わたしたはずだが──確認しておくか。
「じゃあ、俺たちは反省文を書くので」
「魔窟……第三体育準備室の掃除はしてくれねえのかよ」
「「絶対に嫌です」」
次の授業では、新たな魔窟への生贄が用意されることだろう。
俺たちは、魔窟から逃げ出すことに成功した。
新たな生贄となった者達もまた逃げ出せるだろうか?
それは、俺が口を挟んで良いことではないだろう。
巻き込まれたくないから。
*
「イザベラか?」
『なんじゃ、下着の色なら薄いピンクじゃぞ』
「そんなこと聞いてない」
『本当は嬉しいくせに。愛いヤツじゃ』
俺は通話石(見た目がス○ホ)を手に、イザベラに連絡した。
昔のイザベラは、もっと神秘的な感じだったのに、なぜこんなセクハラロリババア(略してSLB)になってしまったのだろう?
「そんなことより、ケット・シーから寄付金が毎年入っているだろ」
『あれは、お主が手回ししてくれたようじゃのう。礼を言っておくぞ』
「ああ。結構な金額のハズだが、第三体育準備室を掃除する人間すら雇えないって聞いてな。一応、伝えておいた方が良いと思って連絡させてもらった」
イザベラのヤツも、色々と忙しいだろう。
あまり時間をとらせるわけにはいかない。
『今は、校舎を建て替えたばかりで色々と物入り……と、言いたいところじゃがな』
「それ以上はいい。俺は伝えるべきだと思ったことを伝えただけだ。それ以上を聞けば面倒事に……」
『猫ババを疑がっとる』
「俺は何も聞いていないからな」
『猫ババじゃ!』
「…………」
イザベラは何かを言っていたが、電源? が切れてしまった。
俺を巻き込もうとしたのだろうが、後半は電波の状況が悪くて何も聞こえなかった。
電波を使っていないのに、電波の状況が悪くなることってあるんだな~。
(猫がなんとかって言っていたが……そう言えば、コーネリアが猫の使い魔が欲しいなんて言っていたっけ。そろそろ作ってやらんとな)
などと、別のことを考えて、俺はイザベラとの会話をした記憶を上書きした。
学校の裏側なんて俺は聞いていない。
仮に聞いていても、俺の性能の悪い頭はすでに忘れている。
自分にそう言い聞かせて、俺は忌々しい記憶を封印した。
*
窓から差し込む日差しのない時間帯、イザベラは校長室にいた。
「やはり喰いつかんか」
イザベラは、手にしたス○ホもどきに視線を向けながら笑っていた。
その笑いは苦笑いに近い。
自分の渡した金が横領されている。
そのことを知れば、何らかの反応があると思ったのだが──結果は空回り。
クレスの手紙を渡されたあと、シルヴィアにも確認した。
だから、少なくとも彼女はクレスをスバルだと信じていることは分かっている。
しかし、それはシルヴィアが信じているというだけだ。
自分が信じる理由にはならない。
大勇者と呼ばれるスバル。
共に戦ったからこそイザベラは、彼の危険性をよく知っている。
恐ろしい魔王を倒した真の勇者としての彼を知っている。
勇者というには血にまみれ過ぎた裏の顔も知っている。
組織の長としてそのような者を放置するわけにはいかない──と、いう口実のもと、クレスの正体を示す確証探しをゲームとして楽しんでいる。
騎士学校校長イザベラ──彼女は今日も暇だった。




