俺は帰る 『大声は出すなよ』
帰る時間だ。
確かに帰る時間だ。
絶対に帰る時間のはずだ。
だが──。
「…………」
父さんと 領主の親父‘Sが、腹を出して畳の上に寝ている。
酒瓶を愛しそうに抱きしめる父さんの姿に涙が出そうだ。
「徹夜で飲み明かしたみたいね」
母さんが、父さんに慈愛の目を向けている。
夫婦仲は問題が無さそうだな。
「父上……」
俺たちよりも早く、この部屋を訪れていたユーリが涙目になっている。
領主としても父としても、色々な物が失われたようだぞ。クラウディオ──。
「私たちだけでも帰りましょうか」
「はい」
母さんの言葉にコーネリアは満面の笑みでうなづいた。
さっき向けていた慈愛の目は何だったのだろうか?
まあ、これはこれで夫婦仲に問題がないということなのだろう。
*
「忘れものはないわね」
「忘れものは、父さんだけだ」
「じゃあ、大丈夫ね」
俺とコーネリアに忘れものがないか訊ねた母さん。
特に荷物があったわけではないからな。
忘れ物は父さんだけだ。
*
「どうぞ」
メイド──いや、割烹着を着た姿は女中というべきか?
女中が手にしたお盆の上には、水を入れた2つのコップが乗せられている。
クレスの父アレクと領主であるクラウディオは、そのコップをとって飲んだ。
「ああ、キツイ」
「飲み過ぎたな」
アレクの言葉にクラウディオが続く。
2人は一晩飲み明かした。
そのこともあり、いまの2人は酷い外見をしている。
髪はボサボサで顔色も悪い。
今の彼らを見れば、剣聖と領主の威厳はどこかに消し飛ぶことだろう。
「こうやって飲んだのは何年ぶりだ?」
「そうだな……これだけ飲んだのは、こっちで黒竜退治をした時以来か」
「なら、3年前か」
「……もう、そんなになるのか」
2人は、昔を振り返り懐かしんでいる。
身だしなみを整えた普段の姿なら、美形故に絵になるハズであった2人の姿。
だが今日は見た目が酷過ぎて、女中に笑いを堪えさせる結果となっていた。
「あの時は、全員で飲みつぶれたな」
「そうだな。朝起きたらユーリとエミルの視線が冷たかったのを覚えている」
アレクの言う全員とは、黒竜退治に関わった仲間。
スメラギ領は、王国の中でも高い武力を有している。
それ故に国から、他領に現れた強い魔物を討伐する依頼を受けることが多い。
だが内実は、国とスメラギ領の双方に思惑が見え隠れしている。
国は、スメラギ領の力を削ぎ、踏み絵的な意味で依頼を出す。
スメラギ領は、他領や国に恩を売る、兵を鍛えるなどの目的依頼を受けている。
裏で、このような思惑が存在するのが現状だ。
もっとも中心人物である二日酔い2人を見る限り、残念感しかないのだが──。
「ご愁傷様」
「お前も他人事ではないだろ」
「俺は尊敬されているぞ」
尊敬──その言葉が示すものは、腹を出し酒瓶を抱きしめた姿を見て壊れた。
そのことに気付かないアレク。
哀れではあるが、これは知らない方が幸せな事なのだろう。
「まあいい」
溜息混じりにクラウディオは話を終えさせる。
そして最も懸念していたことに話を移した。
「どうして、あんな剣を教えたんだ」
「クレスのことか」
「そうだ」
クラウディオが懸念していたこととは、クレスの使った剣術。
それは多くの達人と剣を交えるなどして、戦いの中で昇華させたものだ。
故に、殺すことに特化した剣術の理想形ではあるのだが──。
「あれは殺人剣でも活人剣でもない……修羅の剣だ」
「多分な」
「多分ってお前!」
「「くっ」」
クラウディオが大声を響かせると、2人は頭を押さえて苦悶の表情を浮かべた。
「……でかい声を出すな」
「……ああ」
二日酔いで、クラウディオの大声が頭に響いたのだ。
その姿を見た女中は遂に笑いをこらえきれなくなる。
「ぷっ」
「「……」」
「失礼いたしました」
女中は思わず吹きだしてしまい、剣聖と領主に睨まれる。
重い沈黙が流れたあと、彼女は何事もなかったかのように謝罪をした。
「仕事に戻って良いぞ」
「はい、失礼いたします」
二日酔い故だろうか?
先ほどまで女中がいたことを完全に忘れていたクラウディオ。
恥ずかしさで顔を赤くした彼は女中に退席を命じた。
そんな領主の姿に再び女中の肩が震えていた。
だが、そのことに気付きながらも何も言えなかった。
ここで何を言っても、恥の上塗りになることは目に見えていたからだ。
「話を続けるぞ」
「ああ」
女中とのやり取りを無かったことにして再び話始める2人。
アレクも兄の尊厳を守ろうと先ほどのやり取りは忘れることにした。
若い女性の前で見栄を張りたい気持ちは、同じ男として理解できるから──。
「師匠の言葉を忘れたわけではないだろう」
「修羅の剣は敵を殺し味方を殺し自分すらも殺す……だったか」
「そうだ」
どちらも頭に声が響くのを恐れて声を潜めている。
そのせいか、不自然なほどの緊張感が2人の間には漂っていた。
ただの二日酔いに関わらず。
「まあ、いいんじゃないか」
「お前!」
「「うっ」」
再び頭に響く声。
アレクは、目に怒りを込めてクラウディオを睨んだ。
「悪い」
「気をつけてくれ」
頭を押さえながらの会話。
先ほどよりも2人の顔色は悪くなっているようだ。
「そもそも、アイツはいつの間にか剣術を身につけていたんだ」
「お「待て」」
クラウディオを手で制し、アレクは言葉を遮った。
「大声は出すなよ」
「あ、ああ」
クラウディオは大声を出そうとしていたのだろう。
言葉を遮られたことにより、毒気が抜けたかのように言葉から力が抜けた。
「あれ程の剣術を自分で身につけたというのか?」
「そうだ」
「才能どころの話ではないだろ」
「まあな」
クラウディオに言葉を返すアレク。
彼は複雑な心境を表すかのように、言葉を濁した。
「だが、問題はないだろう」
「! ……お前」
アレクの楽観的な言葉に驚いたクラウディオは再び大声を出そうとする。
だが、弟に睨まれて声をひそめた。
アレクからすれば内心『いい加減、学習しろ』と兄に対して怒りを感じている。
だが何も言わなかった。
話が長引けば、再び兄が大声を出すのは目に見えている。
このことを考えれば余計なことを言うのは自殺行為だからだ。
「剣が人を迷わすのではなく、人が剣を迷わすってな」
「……師匠の言葉を盗むな」
「師匠の言葉だったか?」
とぼけるアレクは、クラウディオから目を逸らしたあと──。
「あいつが道を間違えるようなら俺が止めるから安心しろ」
良いことを言って誤魔化そうとした。
だがアレクの目には強い意思が込められていた。
その意思は、必要であれば実の子でも斬るというもの。
もし自分の子が化け物になるのなら、人であるうちに殺すという優しき冷酷さ。
もっともクレスは10歳にして、すでに戦い疲れた戦士の心情に達している。
よって、アレクの覚悟は無意味としか言いようがないのだが──。
「そう言えば師匠と言えば、いまどうしているんだ」
「……」
「なにかあったのか」
クラウディオの沈黙は、師の身に何かあったと思わせるに十分なものだった。
だがその不安は良い方向に裏切られる──。
「元気すぎてな……」
「?」
「若い娘と結婚して子どもを作ったんだ」
「あの人らしいな」
遠い目をする2人。
何とも言えない切ない想いが2人の胸中を満たしていた。




