閑話 冒険者マルテと父の会話 『恨みますよスバル』
赤い絨毯が敷かれた廊下をマルテが歩いていた。
途中ですれ違うメイドたちは、彼女に対し頭を垂れる。
しばらく歩いた先にある両開きのドアの前に立ち止まりノックを2回。
返事を確認した彼女はドアを開く。
ドアを開いた先には、豪華な美術品がいくつも置かれていた。
絵画や陶器など、豪華ではあるがいずれも自己主張が過ぎるものではない。
静かに存在感を示すそれらは、一級品だと素人目でも分かる物ばかりだ。
これらの品を見るだけでも、部屋の主が只者ではないことは明白だろう。
実際、彼は権力者と呼ぶべき立場にある。
大商人や貴族、それどころか王族にすら引けを取らない立場だ。
部屋の主は、冒険者ギルドのトップであるカリス・クロウスター。
かつてスバルとともに戦った英雄の1人。
「ただいま戻りました」
「戻りましたか」
マルテを迎えたのは、黒髪の笑みを浮かべる男。
丸メガネの奥では、黒い瞳が優しげな視線をマルテに向けられていた。
「怪我はないですか?」
「はい」
端的な言葉で返すだけのマルテ。
しかし、居心地の悪さを感じているような雰囲気はない。
僅かにではあるが笑みを見せすらしている。
「あなたのことだから心配はないと思っていましたが、怪我がなくて何よりです」
「ありがとうございます」
2人は血の繋がらない親子関係にある。
だがマルテはカリスを尊敬しており、カリスもマルテを大切に想っていた。
向けあう自然な笑みが、2人に絆があることの証と言えるだろう。
だが、次の瞬間マルテの態度が一変する。
「彼はどうでした?」
「どうとは?」
若干の苛立ちが感じられるマルテの口調。
それは、普段の彼女を知るカリスには考えられないものだった。
少なくとも義父である彼の前では、マルテが怒りを見せることは滅多にない。
このときカリスの胸中には嫌な予感がよぎった。
(クレスト君は、彼と同様に妙な影響力があるタイプなのでは……)
義理とはいえ愛娘に変な影響が与えられたことに気付いたカリス。
彼の中でクレスへの評価は、娘に手を出した男への物に近づきつつあった。
クレスは、まだ10歳であるに関わらず──。
「いえね、一緒に行動しての感想とか言動とか、どうだったかなと思いましてね」
動揺を顔に出さないように、笑顔を作るカリスパパ。
なんとか心情をごまかせているようだと安心しつつ話を続ける。
「馬鹿でした」
この一言によりカリスの中で、スバルとクレスのイメージが一層深く交わった。
妙な影響力があったスバル。
彼に自分自身も影響されたからこそわかる。
あれはマズイと。
だからこそ、愛娘に変な影響が出ていないか心配になった。
仮にクレスが、スバルと似たような影響力を持っていたら──。
「他に評価はありませんか?」
「信じられない程の馬鹿です」
「そうですか……」
”信じられない程の馬鹿”
この一言で、カリスの中でスバルとクレスの存在が一層深く結びついた。
剣も魔法も天才か、それ以上と言えたスバル。
彼を思い出すと懐かしさが込み上げてくる。
(懐かしいですね)
だが、男が思い出しているのは彼の雄姿ではない。
──馬鹿をやらかすたびに、正座をさせられ叱られる情けない姿。
──その隣で同じく正座をさせられて、涙目になっているエルフの女性。
──2人にお説教をしている、バスカークという古き友。
(バスカーク。あなたの苦労を今なら理解できます)
彼は冒険者ギルドのトップになり、人を使うことを知った。
今だからこそ、馬鹿2人の世話係になってしまった友の苦労が分かる。
苦労が分かり過ぎて涙が出そうになる程に──。
「お義父さま?」
「すみません。考え込んでしまいました」
声をかけられた男は我に返り、いつも通りの笑みをマルテに向けた。
「疲れたでしょう。もう休んでいいですよ」
「……」
「マルテ?」
嫌な予感がした。
スバルが持っていたような影響力をクレスが持っていたら──。
マルテにクレスを直接会わせたのは失敗だったかもしれない。
そう考えて冷や汗が出る思いだった。
今、彼が思い出していたのはシルヴィア。
初めて会ったとき、美しさと聡明さを併せ持った女性だと感じた。
だが、スバルと話すようになった彼女は徐々に彼に感化されていった。
そして──馬鹿がうつった。
いや、正確には違うだろう。
スバルに対してのみ、馬鹿な部分を見せていたという方が正しい。
もし、同じ現象が愛娘に起こっていたら?
「……」
「マルテ?」
先程から何も言わない愛娘に笑顔のまま問いかける。
冒険者としても名を馳せるカリスは、畏怖と尊敬を持って見られる存在だ。
それなのに、娘に弱いのはパパだから──。
「なぜ……です」
「?」
先程までよりも空気が冷たくなったとカリスは感じていた。
だってパパだから──。
「なぜ、彼にそこまで興味を持つのですか?」
「!」
マルテは、笑顔を作り疑問をカリスにぶつける。
その笑顔には、気押されるような迫力があった。
きっとパパでなくても迫力を感じたハズ──。
「彼は、昔からの友人の関係者でしてね。少々気になる点があったのです」
「気になる点というのは?」
カリスは笑顔から一変、真剣な表情をしてマルテに顔を近づけた。
「それは……」
「……」
珍しく真剣な表情の父を見据えながら、マルテは生唾を飲んだ。
「秘密です」
マルテの反応に合わせてカリスは表情を緩めた。
彼の変化についていけず、マルテは口をわずかに開けポカンとなる。
だが、からかわれたことに気付き──。
「……お義父さま!」
「すみません。ギルドに関係したことなのでマルテにも言えないのですよ」
むくれるマルテを宥めるかのように、彼女の頭を撫でながら笑みを向けている。
内心は、娘が機嫌を直してくれるかビクビクしながら──。
「……わかりました。彼のことはもう何も言いません」
「そうしてもらえると助かります」
この言葉を聞き、愛娘の機嫌をこれ以上は損ねずに済むと思い安心した。
やっぱりパパだから──。
その後、しばらく2人は言葉を交わす。
用意された紅茶を1杯飲み終わるころ、マルテは瞼を重たそうにし始めた。
「すっかり話しこんでしまいましたね」
「……はい」
「話はこの辺りにして、もう休みなさい」
「……はい、お休みなさい。お義父さま」
夢と現実の境界線をギリギリ彷徨っている状態のマルテ。
ふらつく足元に若干の不安を覚えつつも、カリスは彼女を見送った。
(はぁ、あの子がこんな風になるなんて)
マルテの姿にクレスの影響があったと確信したカリス。
娘の変化に若干の寂しさを覚えていた。
だってパパだから──。
(子育てとは大変なものですね)
少し冷めかけた紅茶を口に含みながら、カリスは振り返った。
マルテを引き取ってから何年が経ったのだろう?
初めの頃は遠慮がちだった彼女も、少しずつ自分になついてくれるようになった。
(感情を今日ほど見せてくれたことはなかったのですが)
クレスの影響であろう、先ほど見せたマルテの感情的な面。
初めて感情をぶつけられて戸惑いはした。
しかし今となっては、愛娘との距離が縮んだことを嬉しいと感じている。
もっとも、愛娘の感情を引き出すきっかけ。
それが10歳とはいえ他所の男というのは納得できずにはいるが──。
「恨みますよスバル」
そう言うと彼は溜息をつきながら天井を見た。
表情からは疲れが読み取れる。
旧友の影を感じるがために生じたクレスへの興味。
まさか愛娘にこのような影響が出るとは思ってもいなかった。
八つ当たりだと分かっていてもスバルに当たりたくもなる。
だってパパだから──。
※マルテがクレスを目の敵にしていたのは、父の興味がクレスに向けられているというのが大きいです。




