閑話 魔王と魔人 『ふふ』
それは、満月が美しい夜の出来事だった。
凶悪犯罪者を多く収監しているアルベイク監獄。
ここでは、多くの兵士があらゆる場所で警備の目を光らせている。
だが、この日の警備はいつも以上に厳重だった。
城塞のように高い監獄の壁。
更に崖のような山の上に建てられた難攻不落ともいえる立地条件。
そこに、いつも以上の人数を配した警備体制が敷かれている。
これらは通常であれば過剰ともいえる警備。
しかし明日の通常ではない仕事を考えれば、不安の残る警備体制と言えた。
このため、上層部にも兵士の間にも緊張が走っている。
明日、囚人の1人が更に脱出が難しい監獄への移送が予定されている。
仮に囚人が逃走を考えているすれば、移送の途中だろうと上層部は考えていた。
すでに監獄の内部も外も、何か仕掛けられていないか調べ尽くしてある。
しかし何も見つかってはいない。
このため、上層部は杞憂ではないのかと思いはした。
だが、油断をするわけにはいかない。
そのため念を押して今回の過剰ともいえる警備態勢を敷いたのだ。
──しかし、全て無意味なものとなる。
周囲を崖に囲まれたアルベイク監獄に光る雪が舞い込む。
その雪は城壁を何事もないように通り抜ける。
光の雪は風に吹かれるでもなくただ漂う雪。
それは兵士達の体に触れ、フっと消える。
最初は壁を素通りする光る雪に戸惑いの声を上げていた兵士達。
だが、1人、また1人と雪に触れた者から声と動きを止めていく。
いずれ監獄にいる兵士は全て、体の力が抜けてだらしなく立っているだけとなる。
その時の彼らに日頃見せるような逞しさ既にない。
まるで焦点の合わない目を開いているだけの人形のようであった。
………
……
…
意思を奪われた兵士達は、倒れることもなく虚ろな目をして立っている。
意思無き兵士達が、ただ立っているだけの監獄。
そこは夜の墓場を思わせるかのような不気味さが漂っていた。
既に監獄にいる全ての人間が──
いや、1名の囚人を覗いた全ての人間が意思を無くしている。
監獄に身を置く全ての者達の意思が奪われたため、沈黙が辺りを支配していた。
だが沈黙は地響きのような低い音がによって打ち砕かれる。
それは監獄と外界とを繋げる跳ね橋が降りた音。
どうやら虚ろな目をした兵士の1人が、跳ね橋の昇降装置を動かしたようだ。
~~
跳ね橋が降ろされてしばらく経った頃。
監獄の薄暗い通路をランタン型の魔導具が照らした。
ランタンを持つのは虚ろな瞳をした看守。
彼の後ろには、白髪の青年が歩いている。
左右を牢屋に囲まれた通路を歩き──
石煉瓦のみ続く通路を歩き──
階段を降り──
彼らは監獄の地下深くにある最深部を目指した。
彼らが途中で出会う兵士達も囚人達も瞳は全てが虚ろ。
どうやら、光る雪は地下でも舞ったようだ。
しばらく薄暗い通路に足音を響かせ続けた2人は、通路の月辺りで足を止める。
目の前には嵌められた鉄格子。
そう、ここが監獄の最深部であり、もっとも凶悪な囚人が収監されている牢。
看守の持っているランタンが、囚人の顔を照らす。
ランタンの明かりを受けて見るのは、美しい女性の姿。
黒い髪に金色の瞳を持った、妖艶なる女性──シーマ・ハルミナス。
「迎えに来たっすよ」
「ふふ、魔王様って意外と暇なのかしら?」
特別な金属を用いて作られた鉄格子を挟んでの会話。
それは気の抜けるような和やかなものだった。
「そうっすね~。暇でないのなら旅なんて出来ないっすからね~」
「じゃあ、ここに来たのは旅のついでかしら?」
「今回は、仕事のついでと言ったところっすね」
そう言った白髪の男は看守に視線を向ける。
すると、虚ろな目のままと看守は鍵を取り出して牢の開錠を始めた。
「ずいぶん、弱っているみたいっすね」
「そうね……可愛いエルフちゃんに負けちゃったからね」
「ずいぶん強いエルフなんすね」
「ええ、とっても強かったわ。一緒にいた女の子も」
他愛のない会話が続く。
この気安い言葉の応答を 魔人と魔王の会話であると誰も思うことはないだろう。
「と、開いたみたいっすね」
錠から何かが外れた音が暗い通路に響く。
すると看守が後ろに下がり、代わりに青年が前へと出た。
「動いてはダメっすよ」
そう言いながら青年は鉄格子に手を伸ばす。
手に反応するかのように鉄格子全体に赤い文字のような物が浮かび上がり──
弾けるように消失した。
浮かび上がったのは牢に仕掛けられた罠。
仮に解錠しただけで囚人が外に出ようとした場合に罠が発動して命を奪う。
罠を破壊した青年が牢の扉を引くと、周囲に金属同士が擦れる音が響き渡る。
その音は重々しく、本来なら数人がかりで開ける物だと教えていた。
牢の扉が開かれると、ゆっくりとした足取りで出たシーマ。
彼女は青年を一瞥すると──。
「本日は私のような下賤な魔人のためにご足労いただきありがとうございました……誘いの魔王カーティス様」
誘いの魔王カーティスに恭しく礼を述べるシーマ。
それは敬意の欠片も感じさせない、ある意味で見事な礼儀作法だった。
「相変わらずっすね」
「ふふ」
呆れながらも笑うカーティス。
そんな彼に誘われたかのようにシーマも笑った。
「ま、とりあえずココを出るっすよ」
「そうね」
「じゃあ、帰りの案内お願いっす」
カーティスが虚ろな目をした看守に案内を命じる。
魔王の命を受けた看守。
彼は地上に向かって歩き始める。
魔王の人形としての役目を果たす為に──。
………
……
…
シーマを連れて跳ね橋近くまで戻ったカーティス。
彼は1人の兵士に近づき何かを受け取る。
「それは何かしら?」
後ろから彼に話しかけるシーマ。
彼女のいる後ろへと振り返ったカーティスは手にしたネックレスを見せる。
「これっすよ」
「そう言えば、取り上げられていたわね」
「……大切な物っすから、そう言えばで済ますのは無しにして欲しいっすね」
カーティスが手にしていたの赤銅色のリングにチェーンが通されたネックレス。
よほど大切な物だったのだろう。
シーマの言動に彼の顔に苦笑いが張りついて離れない。
「私は、それを回収するついでだったのね」
「そういうことっすね」
納得したという表情をしているシーマ。
彼女と話す彼の表情に、疲れの色が見えるのは、気のせいではないだろう。
「じゃあ、俺は帰るっすがシーマはどうするっすか?」
「そうね~。巻き込まれるのも嫌だから、この国を離れようと思うわ」
「……それが良いかもしれないっすね」
何に巻き込まれるのかを、カーティスは聞かなかった。
彼女が嫌がっているのは、自分達の計画に巻き込まれることだと気付いたから。
「じゃあ、縁があったらまた会いましょう」
そう言うとシーマは、カーティスと別の方向へと歩き出す。
だが少し歩いた所で振り返り──。
「エルフちゃんに気を付けてね」
「了解っす」
そう、険呑な口調で魔王に忠告すると魔人は再び歩き出した。
ここは監獄。
だがそれは、今の彼女にとっては瑣末なことだろう。
もう、この監獄が彼女を繋ぎとめることはできないのだから。
カーティスが手にしていたネックレス。
それは、かつてクレスがヒルデと戦った時に回収されたのと同じ物。
意図せずに関わってしまった2つの事件によって、クレス達は大きな運命の渦に飲み込まれつつあった。




