俺は蕎麦を茹でる 『クレス様』
クレスの世界にも年の瀬が迫っています。
この世界で蕎麦という物を見たことがない。
パスタなどの麺類は食卓にも上がるのだがな。
どうして、いきなりこんな話をするのか?
しばらくすれば次の年が訪れる──。
と、考えたら蕎麦を食いたくなったからだ。
「お兄ちゃん、また……」
台所で鍋を火にくめている俺に、後ろから呆れたような声を投げかけた妹。
俺は、どんな表情をしているのか気になったが振りかえることは無い。
今は麺をゆでる鍋に注意を注ぎたかったからだ。
と、言うのは口実でコーネリアの表情を見るのが怖かった。
数日前にも俺は年越しに備えて蕎麦? を作った。
その時、コーネリアは──
『……毒』
この一言を残し部屋から出ていった。
そういえば、あれから俺が台所に入ると警戒するようになったな。
「今度のは美味いぞ」
「私は、パンを食べるから」
「……そうか」
俺の蕎麦が、どんな物か確認することなく即答された。
妹よ。この家に来た頃は遠慮していたよな。
だが、最近は本心を出してくれて、お兄ちゃんは嬉しいよ。
そう自分に言い聞かせ、胸をよぎった悲しみを偽った。
………
……
…
俺は蕎麦については蕎麦粉を使う程度しか知らない。
そして蕎麦粉を作るための蕎麦の実。
コイツが皮は黒が多いこと程度しか知らない。
だからケット・シーの情報網を借りて黒っぽい実を探してもらった。
この時、食用として使われている物を中心に集めてくれと頼んだ。
それで集まらなければ諦めていたが──大量に集まってしまった。
まあ、黒い実という特徴だけでは、そうなるよな。
それで集まった実を使っているのだが──。
鍋の中が凄いことになっている。
「クレス様」
コーネリアとは別の声が、後ろから聞こえた。
「…………」
「クレス様」
先ほどよりも近くから声が聞こえる。
声は笑みを浮かべた女性が発する明るさを感じるものだ。
だが、妙な迫力が声に込められており──怖い。
「クレス様」
「…………」
一層、近くから声が聞こえた。
鍋の中にある料理?
思わず『?』を付けたくなるコレには、俺とて後ろめたさがある。
だから、振りかえったとき何を言われるのかが怖く、俺は鍋だけを見続けた。
「クレス様」
「あ、ああ」
隣から声をかけてきた女性に対し、そちらに顔を向け俺は返答した。
彼女は、想像した通り微笑んでいた──が、想像した通り怖い。
この女性はリーリア。
ハーフエルフだが耳は人間と変わらない。
栗色の髪をした女性で目は茶色。
昔から俺の世話をしてくれている家政婦だ。
だが、本人は常時メイド服を着用しており、メイドだと主張している。
笑顔なのに迫力が凄い。
怒気というべきだろうか? 怒ったシルヴィアとは違う怖さがある。
ちなみに、怒ったセレグよりもは下だ。
だが、アイツは別格だから、隣の自称メイドが怖いことに変わりはない。
「何をお作りになられているのですか?」
「……蕎麦」
ごまかしたり嘘を突けば、一層深い恐怖を味わうことになる。
前世からの勇者としての勘がそう告げていた。
だから、俺は素直に答えることにした。
「茹で汁が紫色ですが、このような料理でしょうか?」
「……多分、違う」
俺が打った蕎麦? を入れた鍋の茹で汁は紫色になっている。
それも、お湯に色が滲み出た紫ではなく、ペンキの原液を連想する紫色だ。
「これ、食べ物でしょうかね?」
今までよりも、一層まぶしい笑顔で俺に問いかけるリーリア。
この時、俺の脳裏には『最後の審判』という言葉が思い浮かんでいた。
「食べられそうもないですよね」
「……多分」
俺は観念した。
「…………」
「…………」
しばらく続く沈黙。
それは、針のむしろに座らされているような辛い時間だった。
「…………」
「……クレス様」
このとき俺は、最後の審判を下される覚悟を決めた。
すると、恐怖がスッと消えていくのを感じた。
(覚悟を決めると、人は全てを受け入れられる物だな)
前世で経験した絶望的な戦い。
多くの仲間の心が折れていく中、戦い抜いた戦友がいた。
彼は、このような覚悟を持って戦いに身を投じていたのかもしれない。
「ご自分で、捨ててきて下さいね」
「はい、リーリアお姉さま」
思わず、シルヴィアへの癖が出てしまった。




