剛錬の獣王と漆黒の魔王 『これが魔王か』
クレスが倒れ、残されたシルヴィアとガリウス。
2人は魔王に挑もうとしていた。
「多分、アイツは漆黒の魔王シリウス……強いわよ」
ガリウスに対し注意を呼び掛けるシルヴィア。
だが、内心はガリウスを喜ばせる情報でしかないと思っている。
横目で彼女がガリウスの顔を見ると──案の定だった。
「気を付けるとしよう」
ガリウスは顔に笑みを浮かべ、少年のように瞳を輝かせている。
その表情を見て溜息を1つ吐いたシルヴィア。
もう、何も言うまい。
シルヴィアの心情は、この男に何を言っても無駄だと、諦めの境地に達した。
今の彼女に出来るのは、ガリウスが計画を忘れないことを祈るだけだ。
シルヴィアは覚悟を決めてガリウスに声をかけた。
「行くわよ」
「ああ」
2人は一斉に走り出した。
最初は並んで走っていたのだが、ガリウスは魔王の前へと出る。
そして彼を援護する形で魔法を放ち、シルヴィアはクレスへと近づいた。
一瞬、シルヴィアの方をシリウスが見たように感じた。
しかし、シリウスは気にする様子もなく、ガリウスとの戦いを続ける。
シルヴィアは、シリウスが自分を妨害しなかったことを不審に感じた。
だが、クレスが危険だと考え治療へと入ることにした。
「クレス!」
声をかけても返事は無い。
だが呼吸をしているのは分かる。
最悪の事態には至っていないのだと彼女は安堵した。
しかし、すぐさまシルヴィアの表情は真剣なものとなる。
クレスの胸には刃物が刺さったような傷跡があった。
だが、そこにあるハズの刃物が見当たらない。
周囲に落としたのではと考え、血の跡が残る方へと視線を向ける。
しかし、そこにも刃物らしき物は何もなかった。
毒が塗られていた可能性もあるため刃物を見つけたかった。
だが、刃物を探して手遅れになったら本末転倒だ。
そう判断して、シルヴィアは急いでクレスの治療を開始した。
………
……
…
シリウスと対峙するガリウス。
すでに獣化をしており全身を赤い獣毛が覆っている。
「おおぉぉぉ」
ガリウスは雄叫びと共に拳を放つ。
シリウスよりも一回り大きな巨躯を有する赤い人虎。
その姿は魔獣と呼ぶに相応しい威圧感があった。
対するシリウスは、ガリウスの凶爪を軽やかに避ける。
凶爪を避けたと同時に白く輝く剣を振る。
ガリウスの胴へと横へ薙ぐように振るわれる剣。
しかしガリウスは後ろへと飛び避けた。
その動きにはシリウスとは相反するような力強さがあった。
普段は技を用いて戦うガリウス。
一方で、獣化をして強靭な筋力を得たときには技と力を組み合わせ戦う。
その攻撃は、ただ鋭いの一言だ──が、彼には切り札がある。
ガリウスが後ろへと跳び退くとシリウスが動きを止めた。
そして、これまで片手で振っていた剣を両手で持ち直す。
シリウスは気付いていた。
ガリウスが何かをしようとしていることに。
獣王と魔王、双方に訪れた僅かな静寂。
流れる雲が日光を遮り、2人を影の中へと誘う。
シリウスの身を包む仮面は、より深い闇の色を湛えている。
一方、ガリウスの目は、影の中で獰猛に輝いていた。
ガリウスの心は悦びに満ちていた。
己の全てをぶつけることのできる大きな壁に巡り合えたことに。
再び太陽が顔をのぞかせたとき静寂を破ったのはガリウスだった。
「これが魔王か」
それは、とてつもなく深い闇を孕んだ声だった。
人語でありながら獣の唸りを連想させるその声はまだ発せられ続けた。
「魔王シリウス……我が力の全て、主にぶつけよう」
その言葉をきっかけに、彼の獣毛が炎へと変わる。
これが彼がシルヴィアに言った切り札。
獣化した者を包む獣毛は本物の毛ではない。
魔力が物質化したものだ。
獣化している最中に魔力は獣毛へと変わる。
更に言えば、獣化の最中は細胞などが異常な活性化する。
ガリウスの言う切り札とは、細胞などが異常な活性化をした状態の維持。
細胞が活性化した状態であるため身体能力は獣化以上に高まる。
その状態は獣化の途中であるため、獣毛へと魔力は変わらず噴出し続ける。
故に、炎を纏ったような姿にガリウスは変わったのだ。
全身に炎を纏う魔獣のごとき姿となったガリウス。
その様子を見て、シリウスに初めての戦慄が走る。
光の剣を強く握りしめる様子に、彼の覚悟が写し出されていた。
「行くぞ」
炎の奥で金色の瞳が狂気の色に輝いていた。
………
……
…
ガリウスとシリウスが最後の闘いを始めた。
その頃、シルヴィアはクレスの治療を終えようとしていた。
「クレス」
何度も頬を叩いても、クレスは目を開かない。
すでに表面的な治療は終わっていて胸の傷も消えている。
普通の人間なら、強力な回復魔法を受けた後は体力を消耗し動けない。
だが、クレスは能力持ち。
目を覚まさないハズは無い。
そう、シルヴィアは考えていた。
だが、彼女は失念している。
目の前で眠る少年の肉体はスバルだった頃の肉体ではないことを。
記憶や能力を持っていても体は子どもの物だ。
そして現在は勇者の素質を封じたため弱体化をしている。
だから前世の彼と同様の扱いをすること自体が無茶な話なのだが──
彼女はクレスと肩を並べる程のバカだった。
更に、現状の危機的状況への焦りもあった。
このため、バカな彼女が己の失念に気付くはずもない。
「起きなさい!」
シルヴィアは右手を大きく振り上げる。
その手が振り下ろされたとき、砂漠に乾いた音が響き渡った。
これは気付け代わりのビンタ。
決してひどろの恨みを晴らしているわけではない。
「う……」
涙目になりながら目をうっすらと開けるクレス。
最初に見たのは、美しい女性が天高くに振り上げた手だった。
そして、二度目の乾いた音が砂漠に響いた。
………
……
…
全身に炎を纏った獣王と、漆黒の魔王は最後の戦いを開始していた。
彼らの耳にもクレスの頬から響いた乾いた音が聞こえたハズだ。
しかし、強敵との攻防を繰り広げる彼らにとっては、目の前の戦いに関係しない情報など何らの価値もない。
振るわれる光の剣に、炎の中に輝く鋭利な獣爪。
それらが、相手の命を奪おうと無数に繰り出されている。
そこは、何者も立ちいることが許されない強者の聖域。
激しくぶつかり合う爪と剣。
武の道を歩む者なら彼らの戦いから新たな技を発想するだろう。
そう思わせるほど高度な戦いだった。
しかし、どんな物にも終わりは訪れる。
魔王が剣を振り下ろしたとき、獣王は後ろへと跳び退いた。
斬るべき相手を失った剣は足元の砂へと向かい真っすぐに下りて行く。
対してガリウスは、すでに右腕を引き己の全てを込めた一撃を繰り出そうとしていた。
そして魔王の剣が砂に触れる直後、ガリウスは動いた。
「ぬおおぉぉぉぉ」
全身の炎をたなびかせ放たれた一撃。
その凶爪は、ただ魔王の心臓を貫くことだけを求めていた。
防御を完全に捨て放たれたガリウスの攻撃は魔王の鎧へと届く。
そして鋭さゆえに力を分散されることなく凶爪が漆黒の鎧を穿つ。
だが──突如として暴風が吹き荒れた。
守りを捨てていたガリウスは巨躯に風を受けて体勢を崩す。
魔王の心臓を、あと一歩で貫いたはずの爪。
その手から勝利の二文字は遠ざかった。
ガリウスは、体勢を崩すも即座に構えなおした。
その顔に勝利を逃したことへの未練はない。
魔王と再び戦うために構えるガリウス。
数秒、向かい合ったとき彼の口元が歪んだ。
シリウスの魔力が、格段に高まっていることに気付いたからだ。
目の前に、先ほどよりも更に強くなった相手がいる。
そのことが堪らなく嬉しかった。
だが、不自然な点にも気づいている。
不自然な点というのは、シリウスの後ろに見覚えのない人物がいたこと。
魔王の後ろにいる人物は、線が細く女性を連想する。
だが全身を鎧が包み、兜は頭のみでなく顔全体を覆っており表情は分からない。
そして鎧と兜は薄い金色をしていた。
魔王のみでなく乱入者を相手にしなければならない。
このことはガリウスにとって不愉快のものでしかなかった。
彼が望んでいるのは強者との決闘。
1対1で戦い己の全てを賭けて戦うこと。
だが、すぐに思いなおす。
邪魔をするのなら倒せば良い──と。
ガリウスは強靭な脚に力を入れ再び魔王へと立ち向かおうとした。
だが、最初に動いたのは魔王だった。
漆黒の魔王は天に剣をかざす。
わずかに遅れてシリウスに向かって駆けだしたガリウス。
「…………」
シリウスが何かを言ったような気がした。
だが、その直後に膨れ上がった魔力を前にしたとき、何を言ったかを気にする余裕はなくなった。
膨大に膨れ上がった魔力は全てシリウスが天にかざした光の剣に集まる。
それでもガリウスは再びシリウスの命を奪わんと走った。
尋常ならざる速度で駆けるガリウス。
だが、間に合わなかった。
シリウスの剣が振り下ろされたとき、周囲が蒼い光に飲み込まれた。
………
……
…
蒼い光が収まると見なれた場所だった。
そこは世界樹の森。
周囲を見回しても、魔王シリウスはいない。
全身に炎を纏ったガリウスは一度、空を見上げると獣化を解く。
空を見上げたとき、彼は何を想ったのだろう。
彼の想いを詮索をするのは無粋かもしれない。
呆気ない終わり方をした魔王シリウスとの戦い。
だが、俺の中に変えられない変化を残していた。
変えられない変化──それは、勇者の素質への完全な封印。
俺が、この事実に気付くのは、もう少し先のこととなる。




