Episodo 6
日はすでに、彼方に見える海岸線に輪郭の一部を接し、残った力を放出するかのように白と黄色の光を放っている。
地平線は赤く染まり、上空からは濃紺の夜が少しづつ侵食を始め、気の早い星が一つ、また一つと輝き始めていた。
高台にある洞窟周辺も黄昏に包まれ、巨人の口のようにぽっかりと開いた内部への入り口が不気味な雰囲気を漂わせている。
洞窟から現れた複数の人影に、一番最初に気づいたのはニアラ駐屯部隊長のゼムルだった。
兜からはみ出るオレンジの髪と、同じ色の短いあごひげが特長の兵士長は緊張した面持ちで鋭い視線を洞窟に向けた。
黒髪と金髪の傭兵二人と、その後ろから続くフードを目深に被った人影。
王都から派遣され、自分が道案内を任された調査隊に間違いなかった。
ゼムルは三人に駆け寄った。
「ご無事でなによりです。 亜人どもは?」
「この洞窟にいた亜人は三名。 全部、俺が切り殺した」
トウマはそう言うと、大きな荷物袋を背負いなおした。
「さすが、トウマさんとリンさん。 亜人狩の名は伊達じゃないですね」
ゼムルは素直に感嘆を表した。
トウマとリンの二人は亜人狩の傭兵の名で呼ばれていた。
各地に出没する亜人の討伐を優先して請負い、多くの戦果を上げていたため、国軍ではその名が広く知られていたのだ。
「今後も警戒は必要ですが、とりあえずの安全は確保できたはずです。 引き続きウッドンの村の警備は続けたほうがよいでしょう」
リンの言葉にゼムルは力を入れて頷いた。
「今度襲ってきたら、必ず返り討ちにしてやります」
拳を握り締め、決意をみなぎらせるゼムルにリンは微笑で答えたが、内心では気負いすぎる部隊長に首をかしげていた。
その時のリンには知る由もなかったが、ゼムルが放つ気迫は彼の強い後悔に由来するものだった。
剣の技量を認められ、辺境ではあるが一部隊の隊長に抜擢されたにもかかわらず、亜人に戦いを挑むことをためらった。
家族を殺された村の男の言葉が頭をよぎる。
彼は怒りと憎しみを露にし、ゼムルに詰め寄った。
戦う力を使わないで、何のための兵士だ!
命令に従うという体裁で、臆病をごまかした自分自身をゼムルは許せなかった。
次こそは必ず……。
「学術官殿は、怪我など負われませんでしたか?」
決意を胸にしまいこみ、トウマの後ろでうつむいたままのフードの人物にゼムルは尋ねた。
本国から派遣された年若い学術官は、洞窟までの案内で何度か言葉を交わしただけだが、不思議とゼムルに強い印象を残していた。
しかし、答えたのは本人ではなくリンだった。
「体は無事ですが、長時間の探索でかなり疲労しています」
「学術官殿は、女性ですからな。 過酷な任務を果されたことに敬意を表します」
心底、心配そうな視線を投げかけるゼムルの前にトウマが割って入った。
「俺たちは次の任務に出発する。 後のことは頼んだ」
その言葉にゼムルは驚いてトウマを見た。
「すぐに出発するのですか? せめて夜が明けるのを待っては」
「急を要する任務なのです。 王命を受けた学術官殿の意向なのでお気遣いなく」
夜間の移動は日中に比べはるかに危険が多く、ゼムルの提案は当然のものだった。
だが、リンに涼しい顔で王命という単語を出されては、それ以上は引き止めることはできない。
「了解しました。 御武運をお祈りいたします」
ゼムルが左胸に右手を当て軍式の敬礼をすると、三人はその脇を早足に通り過ぎた。
その時、トウマの背負い袋の紐が千切れ、大きく膨らんだ荷物が地面に落ちた。
「むぎゅ」
ゼムルはくぐもったその音に不審な表情を浮かべた。
「今、何か聞こえませんでしたか?」
「気のせいだ」
トウマは地面に落ちた袋の口をつかむと、乱暴に背負いなおした。
「で、では失礼します」
リンが多少ひきつった笑顔で会釈すると、二人を促し再び歩き出した。
ゼムルは首を傾げ、遠ざかる背後を見送った。
洞窟から距離が離れたことを確認してから、トウマは膨らんだ背負い袋を地面に乱雑に下ろし入り口を縛っていた紐を緩めた。
明るい褐色の頭につづき、うっすら涙を浮べたツキミアが窮屈そうに顔を出した。
「トウマさん……袋の中は、痛くて苦しいです」
「歩かず済んだんだ、そのくらい我慢しろ」
おしりをさすりながら袋から出てきたツキミアが、フードを目深に被った人影に視線を送った。
「うまくいきましたね」
人影がフードを下ろした。
短めの毛が覆う突き出た口から、安堵のような呼吸音が漏れる。
「スラタも名演技でしたよ」
リンの言葉にツキミアも笑顔で頷いた。
三人は洞窟内で今後の方針を話し合った結果、スラタに道案内を頼むことに決めたのだが、二つ問題があった。
スラタからもたらされた情報を報告し王国の判断を仰ぐとなれば、馬を飛ばしても最低二日、議論が長引けばそれ以上、三人はここに足止めされる。
トウマはすぐさま却下した。
ディアナの居場所が判明した今、何もせずに悠長に待つだけなど彼にとって論外だった。
もう一つは、スラタ自身の扱いだ。
意志の疎通も人間への協力も今だ前例のないことであり、恐怖の象徴である亜人を引き連れての探索行は不確定要素が多すぎた。
したがって、スラタの存在を隠し、国軍の協力なしでディアナを助けだすという方針に至った。
スラタは亜人にしては小柄なほうで、ツキミアとさほど背丈は変わらない。
顔と手足を隠せば、正体を悟られないのはさきほどの一件で実証済みだ。
「さて、この場を急いで離れましょう。 いつ巡回の兵士に見咎められるかわかりませんからね」
リンの言葉を聞いたツキミアは、スラタに古代語で話しかけた。
スラタは了承したように頷くと、フードを再び被りなおした。
その時、遠くから良く通る大きな声が三人に届いた。
「学術官殿ー! お待ちくださーい!」
声の大きさに比例してランプの灯りも同じように近づいてくる。
ゼムルの声だと気づいたとトウマは、すばやく背負い袋を指差した。
「ミア、入れ」
ツキミアは一瞬泣きそうな顔になったが、いそいで袋に駆け寄った。
だが、濃さを増す夕闇の中、足元にころがる倒木にツキミアは気づくことができなかった。
「トウマ殿ー! リン殿ー!」
ゼムルが後方から追いつき姿を現すのと、ツキミアが勢いよくつまづいたのはほぼ同時だった。
「ここにおられましたか、間に合ってよかった。 先ほど、トウマ殿の荷物からこれが落ちたので、持ってまいりました」
息を切らせながら話すゼムルの手には、袋の紐が切れた時に落としたらしい分厚い古代語の辞書があった。
辞書を渡そうと三人に近づいたゼムルは、地面に奇妙な物を見つけ動きを止めた。
舌打ちしそうな顔のトウマと、明後日の方向を見るリン。
彼らの足元にある背負い袋から、人間の足が生えていた。
暗がりでもわかる白く細っそりとした二本の足は、苦しそうにバタバタと宙をかいている。
ゼムルは口をぽかんと開いて、その光景を見つめた。