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Episodo 4

トウマとリンが二人がかりで亜人をロープで拘束している間、ツキミアは岩壁を背にして座り込み、その様子を眺めていた。

改めて不思議な気持ちが湧き上がる。

人間の亜種という意味で付けられた、この生物の俗称。

進化に関する文献によると、人間の祖先は猿に似た生き物だったらしい。

では犬が長い時間をかけて進化すれば目の前の生き物のようになったのだろうか。

答えの出ない考えに没頭しかけた時、亜人の懐に何かがあることに気が付いた。

ふくらみの大きさと形がある物を連想させ、ツキミアはおそるおそる亜人に近づくと傍らでしゃがみこんだ。

うつ伏せのまま手足を拘束された亜人はぴくりとも動かない。

訝しがるトウマとリンをしり目に、さらに視線を低くする。

「やっぱり」

ツキミアは自分にしか聞こえないつぶやきを発した。

亜人の懐の隙間には一冊の本がはさまっていた。

「ミアちゃん何か見つけた?」

背後からリンが興味深げに覗き込んでくる。

「あの、この人、懐に本を持ってるようなのです。 ですが、わたし。 その、手を入れるという行為は……」

「ようするに、怖いんだろ」

言うや、トウマは亜人の側面に足を入れて、無造作にひっくり返した。

仰向けに転がされた亜人は、低い位置にいたツキミアの鼻先で鋭い牙の生える口をかぱっと開けた。

ツキミアは喉の奥で悲鳴をあげ、ぺたんと地面に座り込んだ。

思考停止に陥る寸前でなんとか立ち直り、最大限の非難を込めてトウマを睨んだ。

だが当の本人は意に介したようもなく、首をこきこきと鳴らしている。

リンは背中を向けていたが、その肩が微妙に震えていた。

あきらめの混じった溜め息を一つ付き、ツキミアは改めて本を観察した。

茶色の皮で壮丁された、薄手の本。

亜人も本を読む文化があるのだろうか?

学術官としての知的好奇心が亜人に触れる恐怖を上回り、ツキミアはそっと胸元から本を抜き出した。

表紙は上部に可愛らしい書体の表題があり、下部は二人の女神が描かれた表紙絵が占めている。

ツキミアの大きめの目が、驚きでさらに開かれた。

「ルナとラナ……、子供向けの絵本です」

幼い頃に母親に読んでもらった情景が記憶の底から浮かび上がる。

幻想的で色あざやかな絵が印象的な女神の姉妹の物語だ。

だが犬の顔をした亜人がなぜ人間の、それも子供向けの絵本を持っていたのか。

それにこの本、汚れてはいるものの破れているところがほとんどない。

絵本を大切に持っていた? 亜人が?

推論の意外性に自ら驚いた時、ツキミアの手から本が無造作に奪われた。

見上げるとトウマが手にした本を開き、ゆっくりとめくっている。

本を持つその手が、かすかに震えていることにツキミアは気づいた。

最後のページを開いたところで、何かに打たれたかのようにトウマは動きを止めた。

「ミア、尋問は中止だ。 そこをどけ」

トウマは絵本を閉じると地面にそっと置いた。

そして鞘から剣を抜くと、足元の亜人に剣先を向けた。

「落ち着いてくださいトウマ。 その本にいったい何があったのですか」

ツキミアの背後から、リンが進み出た。

その顔から普段の微笑は消え去っている。

亜人を凝視していたトウマが顔を上げた。

「これは、ディアナの本だ」

リンを見つめる目に危険な光が浮かんでいた。

「……妹さんの本が、なんで……」

言葉の意味を理解するのにリンは時間を要し、ようやく発した声は受けた衝撃によってかすれていた。

「こいつが。 この亜人が俺の妹を連れ去ったからに決まってる!」

トウマは剣を握る手に力をこめた。

「だから、ここで殺す」

「待ってください! この本が妹さんの物だというなら、どこで見つけ、なぜ持っているのかを知るべきです」

衝撃から冷めやらないリンは、それでも必死でトウマを制止しようとした。

「話のできねえ獣に何を聞くってんだ! あいつを探して、もう一年だぞ。 ディアナはもう……」

心の奥底に深く沈めていた暗い感情が、絵本をきっかけとしてトウマを内側を侵食し始めていた。

「ここで、妹の敵をとる」

ゆっくりと振り上げた剣は、トウマの心を映したかのように小刻みに揺れている。

「敵と決まったわけではありません。 妹さんを諦めるというのですか!」

「うるせえ! 邪魔をするな!」

トウマの前に立ちはだかるリンは、その時ある予感に捕らえられていた。

この一年、トウマが平静をかろうじて保っていたのは、ディアナの生存という希望と救い出すという意志の力だった。

だが、今ここで絶望に身をゆだね亜人を討ち果たした後、トウマをつなぎ止めていたものが崩れ去る。

後に残るのは、深く埋めようのない空洞を胸に抱え、失意のまま抜け殻のように生きるトウマの姿。

ふいに浮かんだその光景はリンにとって耐えがたいものだった。


混乱と疑問がツキミアの頭の中でぐるぐると渦を巻いていた。

今にも弾けそうな二人の衝突を唖然としながら見上げる。

だめだ、このままじゃいけない。

止めなきゃ。 

わたしが? どうやって?

……落ち着け。 

考えるんだ、ツキミア・リーゼン。

女神の絵本。

亜人との戦争。

トウマさんの妹。

そして、目の前で意識を失っている犬の顔をした亜人。

崩されたパズルのような情報の断片を必死でつなぎ合わせる。

そして、思考は自分自身の内面にも向けられ、ツキミアの想いを浮かび上がらせた。

わたしは何もできない、いや、しようとしなかった。

本に囲まれた自分だけの世界に閉じこもり、外の世界を傍観していた。

だけど、あの日に決めたはずだ。

城壁を見上げる門の前で、二人の護衛と出会ったときに。

誰かのために、困難に立ち向かえる自分になりたいと。

揺るぎない意志と勇気で、大切なものを守る本の中の主人公のように。

その形のさだまらない想いが全身を満たした時、ツキミアは脳裏に閃いた言葉をありったけの力で叫んだ。


「ディアナーラ!」

すぐ側で発せられたその絶叫にトウマとリンは振り向いた。

立ち上がったツキミアが両手を握り締め、そこに立っていた。

「今のは古代語です。 わたしだって辞書がなくても、少しくらいはわかるんです」

二人は不意を打たれ返事をすることもできず、必死の表情を見せるツキミアを見つめた。

「わたしには、二人の気持ちはわかりません。 意見する権利だってありません。 だって、わたしは守られるだけの非力な護衛対象なんですから。 だけど、だけどこのままじゃいけないんです。 無抵抗の亜人を害することも。 二人が争うことも……。 だから、わたしは亜人と話します。 絵本のことも、妹さんのことも、絶対に聞き出します。 その本が希望になるなら、それはわたしの役目です」

ツキミアは一つ息を吸うと、トウマに顔を向け言葉を続けた。

「さっき、わたしが言った古代語、偶然ですが妹さんの名前ととてもよく似ています」

ツキミアはかすかに笑みを浮かべ言葉を続けた。

「意味は『信じる』です。 トウマさんのご両親には古代語の知識があったのでしょうか、素敵な名前です」

トウマは無言だった。 だが、体中を蝕み、暴れまわっていた負の感情は勢いを弱めていた。

「頼りないですが、わたしのことを信じてください。 そして、妹さんのことも」

ツキミアは真っ直ぐにトウマを見つめた。

その眼差しを押し黙ったまま受け止めていたトウマは、やがて視線を外しゆっくりと顔を下に向けた。

そこには地面に置かれたディアナの本があった。

ふっと力が抜けたように、トウマは剣を下ろした。

「親父もおふくろも古代語なんて知らなかったさ」

そうつぶやくと、地面に置かれた本を拾い、そのままツキミアに差し出した。

「これは、おまえがもってろ」

少しためらったツキミアだったが、本を受けとると両手でそっと抱きしめた。

背を向け、離れていくトウマと入れ替わるように、リンが側に立った。

「ミアちゃん、ありがとう」

見慣れた微笑を浮かべながら、リンはツキミアの頭に優しく手を置いた。

ツキミアの胸に抱いた本に、雫がはじけた。

抑えきれずあふれ出た気持ちは、大粒の涙に変わり、ランプの光を反射してきらきらと輝いた。

ツキミアは絵本が自分の涙で小さなシミを作っていくことに気づき、慌てて胸から開放した。

そして、ふと思いつき、絵本の最後のページを開いた。

トウマが憎しみに囚われる寸前に見ていた場所を。

ぼやけた視界の中、ページの空白に手書きの文字があった。


ディアナへ おまえの兄貴より


満面の笑顔で絵本を抱きしめる幼い少女と、その頭を優しく撫でる黒髪の青年。

くせのある文字で綴られた短い言葉を見た瞬間、ツキミアは自然とそんな光景を思い浮かべていた。


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