Prologue
頼りないオレンジ色の灯りが周囲をぼんやりと照らし出している。
光の途切れる先は闇に飲まれ、前後に長く続いてるはずの通路を漆黒で覆っている。
不快な湿気の漂うこの洞窟をねぐらにして、どれくらい経っただろう。
スラタはランプに照らされ不規則な陰影を作り出す岩壁を見つめ、手にしていた物を懐にしまった。
不意に周囲の澱んだ空気がかすかに揺らいだ。
ランプの油が燃える匂いに混じって流れてくるこの匂いは……
『ニンゲンだ!』
足元に置いてあったランプの火をすばやく吹き消し、腰に括り付けていた金属の感触を確かめる。
間の悪いことに、仲間は出払っている。
略奪した食料の見張りを引き受けたのは自分ひとりだけだった。
徐々に早くなる自分の鼓動を聞きながら、ニンゲンの匂いが近づいてくる方向に意識を向けた。
近くの村を襲撃するために消えていった仲間の匂いは感じられない。
愚かだが、凶暴で屈強な仲間達が全滅したのだろうか?
もしそうなら、自分ひとりでどうにかできる相手ではない。
そんな思考の間も確実にニンゲンの匂いは距離を縮めていた。
数分も経たずに、この場所に現れるだろう。
どうする?
どうする?
後方に逃げても、洞窟の続く先は行き止まりだ。
そして自分達を強く憎んでいる人間が、戦闘を回避するとも思えない。
ならば……
スラタは前方の暗闇をじっと見つめた。
何も見えないが、匂いで敵の位置はおぼろげに把握できる。
自分はまだ死にたくない。
好んで人間の国に来たわけではないし、殺し合いも略奪も嫌いだった。
だが、今は目的がある。
スラタはそっと懐のふくらみに手を当てた。
その時、前方に続く暗闇の奥に小さな灯りが揺らめいた。
スラタは息を潜め、聴覚に意識を集中する。
かすかに響く複数の反響音。
数は……三つ。
仲間はどれほどの傷を敵に残したのだろう。
もしかしたら、人間達はすでに手負いであり満足に戦えないのかもしれない。
風下はこちらだ、奇襲が成功する確率は高い。
最初の一人を倒し二対一に持ち込めれば、生き延びる可能性があるかもしれない。
スラタは姿勢を低くして床を蹴った。
膝下から足の裏までを覆う獣の皮は、足音を極小にしてくれる。
左腰の剣を走りながら引き抜く。
ジャリっとした音が思いがけず大きく響き、心臓の鼓動が跳ね上がった。
目の前まで迫っていた淡い光と人影が唐突にかき消え、周囲の闇と同化した。
気づかれた!
剣の手入れを怠った自分を悔やみ、それでも目の奥に残像として残る人間の場所へ猛然と飛びかかった。
両手で握り締めた剣を見えない敵に振り下ろす。
だが、剣は闇だけを切り裂き、勢いそのままスラタは姿勢を崩しよろけた。
奇襲が失敗したことを悟った瞬間、後頭部に強烈な衝撃を感じた。
どさっと重いものが地面に投げ出される音が洞窟内に響いた。
自分の顔がひんやりとした岩の地面に接していると気づいた時、
音の正体は無様に倒れこんだ自分だと理解した。
握っていたはずの剣も落としてしまったのか、
空の右手はごつごつとした岩の感触しか伝えてこない。
心臓の鼓動に合わせるかのように後頭部の痛みが激しさを増した。
同時に意識が途切れる前兆を感じ、スラタは少しだけ安堵した。
自分はこのまま殺されるだろうが、剣を突き立てられる瞬間など感じたくはない。
ただ、目的が果せない事が心残りだった。
懐にいつもしまっていたのは一冊の本。
そして、本の持ち主であった人間が脳裏に浮かぶ。
優しく微笑むその顔が徐々に薄れ、スラタは意識の底に深く深く落ちていった。