手違い
制限時間:60分
お題:弱い秀才
※半翼の継承
この場所にいるべきではない。
そんな居心地の悪さを常々感じていたが、富とは無縁の、掘っ立て小屋暮らしの家族を思えば、逃げ出すことも出来ず、今日もまた上官に扱かれていた。
「突いて! もう一度! はい!」
日はとうに傾き始めていた。
私はもう立っているのがやっとで、握ったレイピアの先が地面と接吻していることに気付きながらもどうしようもなかった。
(また、自分だけなのだろうか)
周囲の者のほとんどは、根っからの武道家といった風で、頑健な肉体の持ち主、彼らのレイピアは真っ直ぐ上官を見据えていた。
そんな中で、自分のだらしないレイピアはよく目立った。
霞む視界の向こうで、上官の紫色の眼と目が合った。
(ああ、駄目だ)
今日もお叱りが下るだろう。
上官の紫色の目は、氷のように凍てついていた。
終わったのは、すっかり夜の帳が下った頃であった。
「皆、お疲れ様です」
にこりともせず、上官が言う。
その声に、跪けばとりあえず、今日の苦行はここで終わり。
……私以外は。
「そこの貴方、お待ちなさい」
逃げる気などさらさら無いというのに、上官はいつもそう呼び止める。
口癖なのだろうか。
「はっ」
そう跪いたまま返答したけれども、ぜえぜえと収まらぬ荒い息のせいで、聞こえなかったかもしれない。
だが、見上げて顔色を伺う勇気は無い。
内心、恐怖に震えながら、平生を保つ。
だらしない、情けない。
ああ、算段ならば、叱られるどころか褒められる自信があるのに、と、困窮からとはいえ、騎士団に突っ込んだ母を恨む。
「顔を上げなさい」
見上げられない。
恐怖で竦んで、全身の筋肉がカチコチに強張ってしまって、顔を動かせない。
ううと唸っていると、頭上から溜め息が降ってきた。
「まあ、いいでしょう」
呆れきった声。
ああ、もう駄目だ、不適応で今日こそ追い出されるのだろう。
「申し訳……ございません」
帰ったら真っ先に、溜まりに溜まった鬱憤を母にぶつけよう。
来る審判をぎゅっと眼を閉じて待った。
しかし、降ってきたのは追放の二文字ではなく、
「貴方、文字は読めますか」
という、淡々とした問い掛けであった。
「へ? も、文字ですか? もちろん読めますよ。文だって書けます!」
気付けば顔を上げて、言っていた。
この居心地の悪さからようやく抜け出せるのかもしれない、そしてそれが叶うのは今日次第だと。
「算段は特に得意で、紙が無くとも性格に計算できる自信がございます!」
眼を輝かせて捲くし立てるように言えば、上官は困惑顔でポツリと言った。
「なるほど……、貴方でしたか」
と。
「貴方でしたか、とは?」
「いえ、副団長の手違いで、志願書が文武混ざってしまいまして、文官志望が一人足りないということについこの頃気がつきましてね」
騎士志望にしては、体力が無いとは思っていたと、上官は真顔で告白した。
今更過ぎるだろう。
あと、母は文官として志願書を出してくれていたのか、恨み言言ってごめんなさい。
しかし……
「私の、生き地獄のような毎日は一体……?」
ふつふつと怒りがこみ上げてきたが、眼前の紫眼を見た途端、しゅんと一瞬で冷めた。
まるで感情を感じさせない、凍てついた冷たい眼。
この眼を前にしては、一足す一すらままならないと、私はまた身震いをした。